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これだから、坊主はョ😟

先日じさまが亡くなったので、急遽新幹線をとって愛知へ帰り、通夜と葬式に出た。

じさまは初孫の私をたいそう可愛がってくれた。私が生まれるとなった時には長年吸っていた煙草をやめ、産まれた時には両親がつけることを決めていた「雄」の字に自分の名前の文字である「三」を合わせて「雄三(ゆうぞう)ちゃん雄三ちゃん😊」と喜んでいたらしい。遊びに行く度にドラえもんの漫画を買ってくれて、単行本の本編45巻に加えプラス版5巻を合わせた50巻が揃ったほどだった。文章を読む力はこのお陰でついたと思っている。またよく市民プールやら公園やら遊園地やらいろんな所へ連れて行ってもらった。めちゃくちゃ可愛がってもらったし、とても感謝している。

じさまは私が大学1年のときに倒れた。手術後車椅子に乗っているところを見舞った際に「これを機にボケるのはアカンよ」と言ったことを覚えているので、当時はまださほどボケていなかったのだと思う。しかしながら、歩くのが困難になっていく過程で認知症の進行は避けられず、更に左脳が血栓によって損傷してしまったため、遂には会話をすることもできなくなってしまった。
そうして大学3年頃には胃ろうをして延命治療をするか否かの決断が、親族に求められることになった。その頃のじさまは時おりこちらに反応して顔をくしゃっと泣き笑いのような顔をすることはあるものの、おぼろげで常にコミュニケーションがとれるわけではなかった。会話ができていた期間ですら、最後の方には、すでに私とおじとを混同しており、理性的な部分が衰えていることをかんじていたが、そこから更に1年ほど寝たきりでかつ左脳を損傷しているとのことだったので、私は胃ろうによる延命治療に反対だった。

人生で最後の言葉はなににしよう、どのようにして最期をむかえよう、など、自分の死に際して人生の終わり方をどのようにするかを考えた経験は、誰しもあることと思う。自分の最後の在り方を決めることは自己決定権の究極的な行使であり、またそれは人生やその人を締めるものであるからその人生全体に掛かる重大な決断であると思う。(遺言や「葬式ではこれを流したい」のような死後の自己決定はこれの延長にある。)
じさまは、彼の母親が延命治療の末亡くなった際、自分は延命治療をしたくないというようなことを言っていた、と微かに記憶している(定かではない)。なにより身体をろくに動かすこともできず、意思表示もできず、食の楽しみもなく、ただひたすらに目を開いて天井を見つめることしかできない生活を強いられるのは、あまりにも可哀想だと思った。生きたまま気が狂いそうな途方もない時間を過ごすことは、拷問的だと思う。果たしてその先にいる人は、その人格は、その人自身だと言うことができるのだろうか。最期を正気でいられなくさせるのは、その人の尊厳を著しく傷つけることだと思う。
本来延命治療を行うか否かは当人の意思で決められるべきであるが、その意思確認が困難な場合には、このことには相当慎重に当たらなくてはならない。(マジで人格を保っている間に、全ての人に延命治療を望むか否かの意見を表明させる制度が必要だと思う。)私は、上記の理由からそのような場合は、自然に任せたり、消極的安楽死(セデーションなどをして鎮痛を図ること)を採ることがよっぽど倫理的だと考えている。そのため私は延命治療に反対であった。が、祖母や母、おじは延命治療を選んだ。
そこからじさまは先週まで、胃ろう開始から4年ほど生きた。最後の方はこちらからの刺激に微かに反応してはいたものの、私にはそれが理性的なものなのかどうかの判別はつかなかった。

葬式で涙など出るはずもなく、自分の中での葬式はこの何年かの長い期間をかけて既に済まされていたのだと気づいた。
しかしながら、母やおじは泣いていた。
関係値の差はあるのかもしれないが、その様子を見た時に延命治療は当人のためではなく、その家族のためにするものであることを再確認した。急な死を避け、心の準備をする時間を家族に与えるための、延命治療である。じさまは晩年、私が産まれた際にやめたはずの煙草をまた始めていた。食事も、暴飲暴食気味だったと思う。じさまにも身体を悪くした原因はあった。ただ、4年間の途方もない日々は、その代償としてはあまりにも重すぎたのではないか。

さて、葬式では、一族を代々送ってきた坊さんが来て諸々の儀式を行なっていった。じさまの母親、つまりひいばあさんの葬儀やその後の法要を行ったとのことで、生前のじさまとの交流があったらしい。その坊さんが、葬儀の際に言った。

「私の中で𓏸𓏸さん(じさま)は、4年前のあの頃既に亡くなっていたようなものだったのですが…」

愕然とした。
これは、延命治療が決まって以降のじさまの4年間の苦行を無下にする発言だと思った。なにより驚いたのは、これを坊主が言ったことだった。
そもそも葬式は、遺族のための儀式である。長ったらしいお経やらポクポク、厳かな装飾やらで説得力をもたせ、仏教の、形而上学な世界観をつくり上げる。そうして骨になるまでの過程を見せ、あたかもじさま自身が天に昇って行ったかのようなイメージを与えて遺族を慰め、心の整理、区切りをつけさせる、そのための宗教儀式である。差し当って坊主は形而上学的概念を扱い、操り、与える役割を担っている。

その、救済をもたらすはずの坊主が、「あの頃、既に死んでいました…」と現実的なことを言うのが、本当に意味がわからなくて、滑稽だった。怒りなどは全くなく、ただひたすらに、ワロタ。いやいや、じゃあ、今あんたが着てるその派手なでかめの服と被り物はなんですかと。じゃあ、今あるこの変な「呪文を聞く時間」と、白米に箸を突き立てていたりよくわからん銀色の道具やたいまつみたいなものある謎の祭壇を前に大人がそろって頭を垂れてるこの奇妙な空間は、なに笑、と。その一言でその場の全ての意味がなくなり、一切が珍妙なものになってしまった。
私情などは当然押し殺して、形而上学を伝える者としてロールするのが、金をもらったプロとしてのあなたの仕事なんじゃないのかと、言ってることとやってることが違いすぎて、全裸で生徒指導してる教師かと思った(あんまわかりやすい例えじゃないな)。この場でお前は形而上学のピエロたれ。最後までピエロを演じ続けろ、ピエロが喋るな。僧侶は儲かり、家では酒池肉林傍若無人の限りを尽くしていると聞いていたが、ここまでだとは。数十年やってる仕事のはずなのに、こんな本末転倒なメタ発言をしてしまうとは、あまりにも自分仕事に対する理解が浅すぎる。そんなこと、とっくに知ってて、それでもそうは言わないようにやってきてんねん。この場に付き合ってやっとんねん。葬式の場でその今世的な教え(延命と人格の問題)を説くのは場違い甚だしく、またまさに釈迦に説法すぎた。(俺が釈迦ね。)おいおい、坊主のあんたがそれを言うかい、、と、呆れ果てて、葬式中だというのにニヤけてしまった。

まあ、つまり何が言いたいかってェと、その時の俺は拳願会と煉獄の対抗戦で隼に指でテニスボールを切り裂くパフォーマンスを見せつけられた理人さながらだった、ってェコト😁


誰もが本質を見失っており、俺はそれが悲しくて

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