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私を変えた出会い

結婚願望のなかった、むしろ結婚したくなかった私が結婚をし、さらには子供が苦手だった私が二児の母となり、やりたいことをしたいとの思いとはウラハラに逆の方向へと進む人生の途中に出会った人とは?

一人で生きていく勇気も持てず結婚することに

私はずっと働いていたかった。
そのつもりで、就職面接の時も「御社の育休制度は?」と聞いていた。

結婚もせず、生涯独身。できれば、結婚せず、パートナーはいるみたいな、で自分のやりたいようにバリバリ働く。そんな人生を漠然と夢みていた。

その割には、どこか寂しさはあって、就職して一年後には彼ができた。

30歳目前にもなると、結婚という二文字が脳内にも耳からも入ってくるようになり、私はその現実を見ないふりして過ごしていた。

さらにこの頃は、自分のやりたいことは何なのか?上層部に女性のいない今の会社に勤め続けて未来はあるのか?プログラマーの適齢期は35歳!?などと情報にも振り回され、文字通り、迷走していた。アロマコーディネーターの資格を取ったのもこの時期。

そうこうしているうちに、彼からの結婚話。内心、マジか・・・と思った。昔の男性がよく結婚は墓場と言ったと聞いたが、その気持ちがまさにだろう。「パートナーというわけにはいきませんか?」とお伺いをたてるも、「それはちょっと。。。」と言われ(笑)そりゃそうなのだが(笑)

一度保留にしていただき(笑)、結局は一人で生きていく勇気も持てず結婚することにした。


結婚=子供=墓場という思考

何がそんなに嫌だったのかというと、子供だ。私は子育てをすることにどうしても抵抗があった。「私は子供が嫌いや!」という母のもと育ち、(この子供というのはおそらく全般的な意味で、我が子という意味で私たちに言っていただわけではないっぽい)私自身も小さい頃からぬいぐるみを持っておままごとするタイプではなく、赤ちゃんを可愛いと思ったこともなかった。さらに、姉たちの子育てを見て、「子供っていいなぁ♪可愛いなぁ♪」と思うよりも、「うわぁ、大変そう。。。」としか思えなかった。

結果、結婚=子供=墓場という思考が出来上がったのである。

とはいえ、結婚しない勇気も持てず、結婚した迷走期真っ只中の私はどうなったか。雑貨屋で働いてみてよう!仕入れとかも学んで、海外との物流も学べたら最高!と思い立ち、思い切って退職願いを出したのだ。

残業時間100時間、徹夜3日とか、帰宅は2時とかあったプログラマー職からの脱出だ。2カ月ぐらいはゆっくりしてから雑貨屋さん探そう!と夢が膨らんでいた有休消化中、何だか、体に違和感が。。。


死ぬ勇気も、生きていく勇気も持てない日々


ドラッグストアで妊娠検査薬を購入し、恐る恐る検査した。

案の定、、、私のお腹には子供が宿っていた。

そこから、つわりまではあっという間で、毎日いろんな意味で「地獄だ。。。」と死ぬ勇気も、生きていく勇気も持てない日々を送っていた。

産まれてからも、産むのがゴールではない事実に、毎日毎日愕然としていた。産む痛さもさることながら、その後は母乳を上げるたびに乳頭がちぎれるかと思う痛さ、時間に関係なく泣き叫ぶ我が子、あげく退院二日後に大量出血、元々比重の軽い血液のためか貧血が酷く進行し、快適の「か」の文字も、幸せの「し」の文字も感じられない、何とも言えない日々を過ごしていた。

それでも、寂しい思いをさせてはいけない。私がいつでも寄り添ってあげなくてはいけない。いつでも助けてあげなくてはいけない。との強い思いから、専業主婦となり、毎日必死に子育てをした。本当に必死に。完母で育てたし、ベビーフードも一度も使わず、夫の出勤と共にお弁当持ちで公園に行き、変えるのはお昼寝頃の14時で、起きたら夕方の散歩。書いてて、泣きそうになるぐらい必死だった。おかげで、子供にたいして、もっとこうしておけばよかったという思いは無い。あれが限界だったから。


頭だけで考え、行動した結果

そこまで自分を雁字搦めにしなくてもよかったのだが、私は家に帰ったら母親がいて、おかえり~とおやつを出してくれたり、宿題をみてくれたり、授業参観にきてくれたり、そんな母親への憧れが強く、知らず知らずに、そんな母親であることを自分に強いていたのだ。

でも、本来的には、先にも書いたように赤ちゃんを可愛いと思ったことがあまりない母性愛の少ないタイプなのだ。だから、そんな母性愛に溢れた母親になれる気がしていなかったのも、結婚をしたくなかった理由の一つで。

こうするといいだろう。こうしないとダメだろう。と結婚することから子育てまでを頭で考え、判断してきた私の心は常に満たされなかった。何なら、漠然と毎晩「このまま眠り続けれればいいのに」と思って寝て、朝がきては「あぁ、今日も朝がきてしまった。」と思って目覚めてた。

そんな状態の最中でも、何とか打開したい!働きたい!何者かになりたい!という思いはずっと持っていて、野菜ソムリエやベビーマッサージの資格を取得したり、Webデザインのオンライン講座を受けたり、ハンドメイドに明け暮れたり、ナチュラルスイーツやハンドマッサージでマルシェに出店したり、、、他にもあった気がするけど、とにかくあれやこれやと模索していた。

それでも、これだ!と思えず、とにかくモヤモヤした日々が続いてた。

そんな最中、とあるライフコーチに出会った。これが私の人生を変えることになる。


そして出会い

アメブロで中井あかねさんというライフコーチがコーチングの体験セッションを募集していた。今から、たぶん約3年前。直感で、この人だ!と思い申し込みしたのを今でも覚えている。

体験セッションを受け、もちろん、すぐに目に見えて大きな変化があるわけではない。でも、ずーっと目の前の景色にモヤがかかり、言ってみれば、黒い雲に覆われた光のない景色、そんな感じだった景色が、セッションを受けたあと、パーッと光が差したように晴れ渡ったのだ。そう、あかねさんに興奮気味に伝えた覚えがある。

そこから、あかねさんは継続セッションの話はしなかった覚えがある。案内ぐらいはあったのかな?申し込みフォームか何かに書いてあったか、自分から聞いた気もする(笑)とにかく、私は継続セッションを全5回だったか受けた。

そこから、自分と向き合うこと、一旦全て手放して本当にこの瞬間したいことをする練習(トイレ行きたいと思ったらすぐ行くとかw)、思考の練習、気持ちの切り替えの練習を積み重ねていった。どれも初めてのこと。

とにかく、最初は大きな変化はなかった。よくわからなかった。でも、そこから私は心の支えにもなる織田信長氏を好きになり、約2年前には茶道とも出会い、バンクーバー在住(現:メキシコ在住)のArisaさんのヨガにも出会った。


結局は、その日その時の自分の在り方

そして、この半年のうちには、多くの素晴らしい素敵女性と出会い、私はこれまでの人生で一番幸せな時を過ごしているといっても過言ではない日々を過ごしている。子供たちも優しくのびのびと育ってくれて、夫婦関係も良好。冗談を言って笑い合えるそんな家族が築けている。兄妹喧嘩は絶えないがwイライラすることもあるがwそれでも良し!と思えるし、アカンかったなぁと思えることは子供たちにも素直に謝っている。(そして間違いなく即座に赦してくれる子供たちは私より器が大きいw)

もちろん、過去に出会った友人たちとの時間も本当に楽しかった。友人たちがいてくれたから、生きてこれた気さえもする。

結局は、その日その時、自分とどうやって向き合い、自分をどう取り扱っているかがポイントなのだと気づいた。あかねさんとの出会いなしには、ここまで至れなかったと心から思う。


で、最後は宣伝

そんな、あかねさんが、育休から復帰初のお仕事をご案内中です^^

私もしばらくお会いできておらず、お休みされている間に少しスピの方も取り入れられたそうなので、私が受けた時とはまた一味も二味も違うかもしれませんが、私にとっては恩師なのでご紹介させてください。

もしかしたら、もう満席かもしれませんが(;'∀')

あなたの貴重なお時間を割いて、とっても長い文章を最後まで読んでくださり心か感謝します。ありがとうございました。


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