ネウロが究極の『謎』を欲する謎についての妄想

本能と情熱の両面からネウロと『謎』との関係を妄想しています。長い。

ネウロを読むたびに、ネウロが「自分の腹を永遠に満たせる究極の『謎』」を追い求めてることに疑問を感じていた。
『謎』を解く(くう)ことが大好きなら、生涯色々な味の『謎』を解き続けたくないのかな?腹が永遠に満ちてしまったら生きがいが無くなってしまうのでは?永い時を生きる魔人は感覚が違うのかな…?以下妄想。

ネウロは魔界の『謎』を1つ残らず喰いつくしてしまい、『謎』を求めて地上にやって来たと言っていた。本人は「飢えた熊が人里へ降りてくるように」と軽い調子で言っていたけれど、地上は魔界のように瘴気が満ちてないし(常に超空気が薄い感覚?)、魔人の力は地上では万分の一になるし、魔界と地上は次元も時間軸も異なりすぎるから元の居場所に帰れる保証もない(美味しい料理があるけど一度足を踏み入れたら帰って来られるか分からない場所に、観光気分では決して行けない)。そんな困難を抱えながら地上に来るにはかなりの切実さが必要なのではないか。

また『謎』、正確には『謎』を解くと放出されるエネルギーがネウロの唯一の栄養源らしいけど、それってかなり恐ろしいことだと思う。もし自分が、オレンジが唯一の栄養源でそれ以外の食料等からは一切カロリーや栄養を摂取できない体になったら恐怖の感情が先行する。オレンジがなくなる=死、だから、オレンジを大量に買い占めて、なんならオレンジ畑を耕す。魔界変異種のネウロも、ゼラのように魔界の小虫を栄養にしたりが、できない。おそらく嗜好の問題ではなく体の作り的に『謎』以外のものはカロリーや栄養にできないから、自分の情熱とは別に生きるために必要なものとして『謎』を欲している。当たり前だけど。

こう書きながら、デイビッド・ライスがネウロに「納豆を食べないと呼吸ができない体」にされたのと似ている、と思った。あれはできなくなるのが呼吸だからやや違うけど、納豆「だけ」という恐ろしさはネウロがよく知っているところなんだろうな…脱線。

ネウロにとって『謎』が唯一の栄養源ということの恐ろしさが分かると、「魔界の『謎』は1つ残らず喰いつくしてしまっていた…」というセリフの恐ろしさが身に沁みる。この世界に食べられるものが一切無くなってしまえば、そこに待っているのは緩やかな死。魔界で『謎』はまた作られないのかという疑問が湧くけど、長寿ゆえに諦めることに慣れた魔人たちは、ネウロに『謎』を解きつくされたらもう『謎』を作らなくなってしまうのかもしれない。そうなれば当然、空気や魔力の問題を差し引いても手つかずの『謎』が残っている地上に行かざるを得ない。 

しかし地上に行っても、また魔界のように『謎』を解きつくしてしまうかもしれない。そうやってネウロは常に食糧を食べ尽くす不安を抱えながら過ごさなければならない。その不安を解消するのが、究極の『謎』なんだと思う。永遠に空腹の心配をしなくてもいい、それは地上に生きて様々な食物を食べられる私たちには分からない、ネウロならではの苦悩が生み出した幻想なのかもしれない。

そうはいっても、ネウロはただ必要だから『謎』を追い求めてるだけではなく、『謎』にかける情熱も本物だと思う。さっき私はオレンジしか食べられなくなったらオレンジ畑を耕すと言ったけど、そうやって自分で食物を作るのが一番早くて楽。でもXやシックスによって養殖された『謎』をネウロは「喰う気にもならん」と一蹴した。ネウロは『謎』を喰うことを自分の嗜好としても大切にしていることが分かる。

まとめるとネウロは『謎』を「本能」と「情熱」の両方から追い求めている(この2つはゼラの台詞にもあった)。究極の『謎』はネウロの情熱から欲しているものではなく、本能的な恐怖から逃れるためにネウロが渇望しているもの。そして情熱が求めるものと本能が求めるものは違うんじゃないかな…情熱が求めたものは、きっと人間の作り出す純粋な『謎』を追い続け、そして守ること。ネウロが身を投げ出してシックスを倒したのはそういうことなんじゃないでしょうか(適当)。
なんだか綺麗にまとまった気がするけど最後雑い。

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