『逃げ上手の若君』市河助房と小笠原貞宗を考える

 最近とても市河助房が好きなので、市河について(後半は貞宗についても)つらつら考えたことをまとめました。
 市河の好きなところが、貞宗にも国司にもぽろっとタメ口が飛び出してしまうところなのですが、それはきっと心の中ではすごい勢いでタメ口を叩いてるからで、恐らく誰に対してもそうなんだと思います。彼は忠義を心からは信じてなくて、生き残るための1つの道具だと思っていそうです。
 そんな傲岸不遜な彼が貞宗の弓や考え方には一目置いてる様子が見受けられるのが面白いです。

 市河氏全体で見ると、初期の中野氏乗っ取り(ここが超サスペンスっぽくてゾッとして楽しいのでぜひ調べて欲しい)から、諏訪神党にも(おそらくメリットありきで?)入りつつ、南北朝時代は時勢を見極めてちゃっかり建武方となり、以後守護方として動き続けるのが、「寄らば大樹の陰」と言いますか、一貫して生き残り戦略をシビアに繰り広げていて感服します。
 ただ、ここまで冷徹に戦略的な動きをしてきたのは、もともと甲斐から信濃に移住した余所者として、周りの領主たちと深い関係を築くことができなかったからなのではないでしょうか。市河文書を大量に残していたのも、周りと対立した時に助けてくれる味方が少なく、証拠を残せるものに頼らざるを得なかったからなのかもしれません。
 もっとも、そこで周りとつるもうとしなかったために余計に周りから疎まれたのではないかとも言えるので、市河氏がもともと協調性の無い、合理性をなによりも重んじる一族だった可能性もあります。

 そんな市河氏の血を濃く受け継いでいそうな市河助房は、逃げ若では小笠原貞宗と不思議とウマが合うようです。それは何故なのかを考えたいと思います。
 まず、彼らの共通点を見ていきます。一族レベルで見るとどちらも甲斐からの移住者で、おそらく土着の氏族とはあまり上手く付き合えていないように見えます。また作中の個人レベルで見ると、一族や家の繁栄にかなり重きを置いています。そして、その過程でしたたかに戦略的に動いてるところも同じです。市河は貞宗を、まず自分と同じようなしたたかさを持つ者として認めているのだと思います。

 次に相違点を見ていきます。したたかさという意味では似た二人ですが、市河は特にしたたかさを極め、またそのために文書をきっちり残す几帳面さがあります(根に持つタイプとも言えます)。これは前述の通り、移住してきた者だからこそ身を守る術として身につけたのだと思われます。
 対する貞宗はしたたかさに加えて、圧倒的に武芸に秀でています。これは貞宗が周りと協調できない分、武芸に打ち込んだ成果なのかもしれません。市河と発端は同じ(周りと協調できない)でも方向性が全く異なっていますね。市河が文書や守護権力という外部の力を頼りにしたのに対して、貞宗は武芸で周りを黙らせる、つまり自分の力を頼りにしているという対比が面白いです。武芸に関しては、市河が貞宗に尊敬の念を抱いている様子が窺えます(第13話「貞宗殿の弓には遠く及ばん」)。

 また、瘴奸に対する二人の考え方の違いも面白いです。初めに貞宗が積極的に瘴奸を登用した時、市河は「賊のものです」(第16話)と諌めていました。これは、市河の方が小領主ゆえに悪党と最前線で戦い、その悪辣さや考えの浅さを身をもって感じている故の認識の差なのでしょう。市河はこの段階で、瘴奸が殺戮に興じてしまうところまでうっすらと見抜いていたものと思われます。貞宗は、もしかしたらそこまでは考えておらず、単純に元弘の乱(1333年)などでの悪党の働きぶりを見て、自分も召し抱えたいと思っただけかもしれません。
 そして、市河が予想していた通り瘴奸は悪行を繰り返しました。恐らく市河は「だから言ったのだ。悪党などというものは排除すべきもので、身の内に抱えるものでは無いのだ」と改めて思ったことでしょう。しかし、それに対する貞宗の動きは市河の想像を遥かに超えていました。瀕死の瘴奸を助け、悪い所は叱り良い所は褒め、領地を与えて武士として育てようとしたのです。そして瘴奸は貞宗に忠実な武士へと育ち、見事1335年の前哨戦を勝利に導きました。
 貞宗には失敗した者を排除すること無く、むしろ育てようとする根っからの指導者気質があります。それは貞宗の、己だけでなく他人をも信じることができるという特徴を表し、市河にはそれが全くありません。市河はむしろ「他者を信じるな、証拠と時勢を信じよ」という教えを信じて生きてきたのかもしれない、というくらいには人を信じて期待する姿勢が見えません。そんな市河からすると、貞宗の姿勢はそれこそ信じられない、驚きに満ちたものだったのでしょう。しかし、その行動は前哨戦の勝利という結果を伴いました。
 これを目の当たりにした市河は、自分と同じ根本(したたかさ)を持ちつつ、決して敵わない武芸と、自分には思いもよらない他人を信じる心(しかも結果を伴う)を持った貞宗には、完璧に敬服せざるを得ないでしょう。根が傲岸不遜なだけに市河が敬服する対象は決して多くなく、もしかしたら生涯で貞宗だけなのかもしれません。
 そしてこれは、人を裏切らない時行に対する玄蕃の驚きや敬服と同じ構図なのでは、と思っています。そう考えると、貞宗・市河の鬼名披露シーンではそれぞれ時行・玄蕃を狙っていますし、他のシーンでも貞宗→時行、市河→玄蕃を見ていることが多いです。今後この二組の関係性がどのように変化していくのか、今からとても楽しみです。

*本文中の「」内台詞は『逃げ上手の若君』(松井優征、集英社)より引用

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