「保科党」の呼称について

 なぜ保科が何度も「保科党」と呼ばれていたのか分かってしまった。
 というのも、作中で何度も名字に「党」をつけて呼ばれるのは「保科党」くらいだったので不思議に思っていたんですが。

 6巻冒頭「両党合併」のためなんだ。保科と四宮はこれまで国司の圧政に遭ったり、絆を深めたりしてきたけど、それは一般信濃武士が乱世に経験した出来事の象徴なんだと思ってる。
 で、絆を深めるパートの印象的な言葉が「両党合併」なんだけど、「両党合併」以上に分かりやすく武士たちの結合を表す言葉が見つからない。(多分歴史学?的に正しい)「一揆」と言っても「百姓一揆」と混同して分かりづらい。もしくは例えば「両家合併」だとなんか婚姻みたいに見える。より直接的に手を携えた感じを出せるのが「両党合併」なのだ。

 しかし、もし6巻まで「保科党」という言葉が出ていなければ、「両党ってなんのこと?」と分かりづらくなる。だから6巻冒頭で「両党合併」がすんなり読者の頭に入るよう、4巻初登場時から刷り込むように何度も「保科党」という言葉が使われてきたんだ。しかもそれが指す意味が「保科軍」や「保科•四宮軍」と広がったり狭まったりしたのも、「党」という言葉が緩い繋がりを表すということを暗示していたのかもしれない。
 と、いうことはつまり、保科と四宮は初登場時から既に両党合併に向けて走り出していた/デザインされていた、まさしくコンビなんだねと今日も今日とて感慨深くなりました。おわり。

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