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1993年有馬記念、その直前の競馬場の(個人的に見た)風景。~#アニメウマ娘 Season2最終回に寄せて

それは、金杯からはじまった

その年の競馬の幕開けとなる、東西の金杯。そのうち、ややメンバーの揃ったこの年の西の金杯は、前年エリザベス女王杯で人気を裏切り大荒れ馬券を演出してしまったエルカーサリバーが年明けてあらためてそのポテンシャルを…という競馬ではあったのだが、とにかく後ろが凄かった。

Netkeibaでも見て貰えればすぐわかるが、2着争いがドバっと横一線。ハンデキャッパー優秀過ぎというレースは、この年の競馬も多士済々に盛り上がる予感を存分に感じさせるものではあった。果たして、クラシック路線のBNW、古馬のマックイーン対ライス、そしてマイル路線ではヤマニンゼファーやシンコウラブリイなどが覇を競う名勝負の生まれたヴィンテージ。

そのエルカーサリバーは春競馬で壁に当たるものの、有馬記念まで駒を進めている。そして、その裏の東の金杯では、セキテイリュウオーという前年牡馬クラシック世代の脇役が、勝利を収めていた。

BNW、クラシックのあとさき

クラシックの勢力図として、「3強」というのは「天下三分の計」的な美味しさを秘めたコンテンツとなりがちではある。BNWがその中でも比較的優れていたのは、それが岡部幸雄、武豊、柴田政人という当時の頂点を極めた騎手によって争われたという辺りにもある。因みに有馬でテイオーに騎乗した田原成貴が原作の「勝算」は、このBNWの3強(とそのジョッキー)を向こうに回した一世一代の勝負、という仕立てを取っている。本宮ひろ志の絵による、髭面のオタベさんが憎ったらしくて良かったですね。

そして、その物語性を更に高めたのは、その中ではやや穏やかな存在ではありながらダービーに関しては一方ならぬ思いを公言していて、かつこの年までその競馬界最高の栄誉に手の届かなかったベテラン、柴田政人がウイニングチケットで勝利する、という大団円にあった。

逆に、ユタカの皐月賞での技巧、政人のダービーでの意地、という条件があったからこそビワハヤヒデは敗れていた、その意味で春二冠で敗れても馬の戦闘能力ではある程度ビワハヤヒデへの疑義は希薄だったのもこの世代の大局としてはあり、果せるかなアタマが大きく…じゃなく「階段を一つ上った」と岡部に言わしめた成長は、菊でのレコード圧勝として結実した。丁度菊花賞の前の週(ここ重要、ウマ娘は現代の番組に合わせるから前後が逆転してる)のレース直前にメジロマックイーンが故障で引退した辺りで、「芦毛伝説の後継者」たる位置づけも得て、前途洋々で有馬に向かったのである。

ところで、93年の有馬には牝馬二冠のベガも、菊花賞で不本意な競馬をした後休みに入ったナリタタイシンに代わって、主戦の武豊をヤネに、駒を進めていた。しかしこの時代牝馬は古馬中長距離戦線でそこまで重い地位を得ることは無く、大体イクノディクタスが宝塚記念で2着してビックリされてたくらいではあったし、余り順調でない文脈で牝馬三冠のエリザベス女王杯にぶっつけで挑んでいて敗れており、そこまで重い評価とはならなかった。

そこまで「終わってる」とは思われていなかったトウカイテイオー

そのヴィンテージイヤーを通じて有馬記念までターフに戻って来られなかった、トウカイテイオー。しかし、だからと言ってアニメにあったほど「もう復活はない」と思われていたかというと、個人的にはそういう印象は割と薄かった気がする。

いや、だからってあんな勝ち方するという話ではなく、この馬のピーキーさは、どこかで何らかの形でもう一度形になるというような薄っすらとした信頼というのは、あったのかなと。

それを担保していたのは、アニメでは語られていない92年のジャパンCが大きかった。

ジャパンCってゲームのウマ娘とかやるとアホみたいに軽視されまくってる風潮あるし、実際昨今の競馬場の風景において余り前景に立つようなレースにはなり切れていない、という部分は、感じなくもない。なにしろ「海外招待」をうたいながら実際には海外から有力馬は余り来ないし、それが「来ても勝てない」みたいな風潮が強いから、と思うと。

しかし、1992年の段階で、ジャパンCを日本の競走馬は「2回しか勝っていない」のである。我らがカイチョー、皇帝シンボリルドルフと、そのカイチョーを逃げで抑えてあっと言わせた前年のカツラギエース。オグリはホーリックスの世界レコードに敗れ、マックイーンはスローでゴールデンフェザントに幻惑された。それを、前走ダイタクヘリオスとメジロパーマーの大立ち回りを深追いして惨敗した直後に勝って見せたのである。そこに、「何かをやる」ポテンシャルを見出す向きは多く、4番人気という「そこまで低くもない」人気に結びついていた。

マックイーンの存在の重さと、それを埋める名馬たち

テイオーとマックイーンのアトサキという意味では、92天皇賞はある意味唯一の直接対決でかつ決定的なものであったが、テイオーがジャパンCを勝ったことでややテイオーが差を埋めて同格的な風潮はあった気がする。

そうした中で、マックイーンが「ジャパンCでは通用しない馬」ではないことを雄弁に証明したレースが、この年の天皇賞(秋)の前哨戦となる、京都大賞典であった。

2分22秒6のレコードタイム。それは、上述したオグリ対ホーリックスの世界レコードの僅か0.4秒差。この京都大賞典こそがメジロマックイーンの完成した境地を最もよく表現するレースという評は、同時代のファンに根強いと思う。だからこそ、それを何かとこの馬が縁の薄かった秋競馬で見られなかったショックは大きかったし、マックイーン回避後の秋天のオッズは、混沌と言っても良いものであった。なんぼなんでも、ツインターボ3番人気にさせたらアカンやろw

押し出されて人気となったライスシャワーこそ、この秋から始まる長い雌伏を象徴する敗戦となったものの、金杯から地道に地力を上げ続けたセキテイリュウオーが辛くもマイル路線の王者として階級を上げてきたヤマニンゼファーに届かなかったこのレースは、結果としては上質の印象を残す名勝負で、この時代の競馬の分厚さを物語るものとなった。ヤマニンゼファーはここから更に3階級を目指してスプリンターズSに臨むもサクラバクシンオーという最強のエキスパートの2着に敗れる一方、セキテイリュウオーは勝てるレースを求めてOP特別を挟んで有馬に臨む。

ジャパンC、驚異の日本馬連覇

ということで、今言っても信じられないけど、この当時はジャパンCを日本馬が連覇なんて、それこそルドルフみたいな駒も無いのにビックリだよ、みたいなとこはあったのです。

その主役を演じたのは、前走、京都大賞典でメジロマックイーンの「最高の競馬」に4馬身差で完敗した騙馬レガシーワールド。昔は「騙」ってIMEで変換されなくて不便でしたね(インターネット老人会)。ミホノブルボンと同厩ということでスパルタマスター戸山為夫の門下であったが、師がブルボン三冠を逸した後一線を退き、その後個性派として鳴らす敏腕、森秀行の手が、クラシックや天皇賞に出走制限のある騙馬には合っていた。

この年のジャパンCは、招待馬の顔ぶれもなかなか豪華で、アメリカからはブリーダーズCターフを制したコタシャーンが折り返しで来日し、欧州からはキングジョージと凱旋門の2着と活躍したホワイトマズル、前年テイオー2着から再挑戦する豪州馬ナチュラリズムと、各大陸から有力馬が集まる分厚さがあった。因みに凱旋門賞馬でのちの大繁殖牝馬アーバンシーも居たんですけどね、ある意味オルフェに勝った時のソレミアみたいな「何か勝っちゃったよ」っぽさがあって、このレースでも人気が無かったくらい。

そうした強力メンバーを相手に、コタシャーンの騎手のポカがあったものの(当時は存在した100mの標識をゴール板と誤認)、前走からも相対的に十分な地力を感じさせたレガシー、そしてダービー馬ウイニングチケットもそれに肉薄するという展開は間違いなく、それまで見てきた充実の競馬のシーンに、相応な実力が伴ってきたという高揚感をもたらしたレースとなった。

そして、G1ホース8頭というグランプリへ

この8頭という頭数は、当時のグレード制におけるレコードだった。まぁ中には、メジロパーマーのような近走かなり不振な馬も居たり、朝日杯でビワハヤヒデに競り勝って以降半年以上休養してたエルウェーウィンなんかもちょい微妙なとこではあったけど、それでも数は数であり。

そうした中で、クラシック世代の代表としてのビワハヤヒデ、古馬の層の厚さを証明したレガシーワールドという申し分のない軸があってのオールスター。それが1993年の有馬記念の主体となる風景、トウカイテイオーがダービー馬の意地を見せる舞台、として。

テイオーが勝つか負けるか、という注目以上に、この年のヴィンテージとされる競馬は、有馬記念を独自の熱狂の中で迎えていたのである。

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