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スフィーダ世田谷FC:樫本芹菜『日本に女子サッカー文化を』

藤枝順心高等学校で幾多もの全国大会を経験。

各世代別の日本代表にも選出され、U17女子ワールドカップでは準優勝を。

高校を卒業後は、女子サッカー最強の地『アメリカ』へ。渡米後に加入したButler Universityでは、即中心選手として活躍し、Conference, All-regionのsecond teamにも選出された。

サッカーの本場アメリカの地で、なおかつ、プロ同様の扱いを受けるアメリカ大学サッカーで、このような選抜に選ばれるということは簡単なことではない。

大学を卒業してからは、一年間ブンデスリーガ1部でプレーし、その後、日本のマイナビベガルタ仙台を経て、現在はなでしこリーグ2部に所属する『スフィーダ世田谷FC』でプレーする。

この経歴を見れば彼女のプレーレベルは理解出来るだろう。いちアスリートとして、そのピッチ内でサッカー選手としての価値を存分に発揮する。

しかし、そんな彼女にはもう一つの顔がある。

いや、もう一つの顔などと言うと、怒られるかもしれない。彼女はピッチ内に限らず、ピッチ外でも、アスリートとして、サッカー選手としての限界に挑む。

彼女の持つビジョンやパッションには終わりが見えない…

アメリカには確かな女子サッカー文化があった。環境、文化、人、その数だけ、男性も女性も別け隔てなくスポーツを楽しむ文化が明確に根付いていた。そして、その中心にはやっぱりアスリートが居たし、そんな環境、文化のもとプレー出来るアメリカの選手が羨ましかったです


そんなにも日本とアメリカにおける女子サッカー環境には違いがあったのか。あったとするならば、どんな違いがあったのか気になるところだ。

日本は忘れもしない2011年ドイツワールドカップで歴史に残る優勝を果たしました。その瞬間、世界の女子サッカーの関心が、奇跡の優勝を果たした『ニッポン』に集まったのです。フィジカル重視のサッカーを展開し世界を圧巻していた大国アメリカを、決して体格的に恵まれない小国日本の技術的なサッカーが、見事勝利を収めてみせたのです。多くの国がそんな日本のサッカーを模範にしようと試みました

だとすれば、今の日本女子サッカーは順調どころか、思ってもいないような発展を遂げることに成功しているのではないのか。

『あんな凄いことをしたニッポンはまだプロ化されていないの?』…これが世界の声です。確かにそうですよね。あの歴史的な勝利。日本国内における世間の関心も得ていた。しかし、そこの波をうまく活用することが出来なかったんだと思います

日本には日本の良さがある。例えば日本のラグビーリーグは、プロではなく、企業スポーツとしてここまでの成長を果たしてきた。

企業スポーツでは、競技生活だけではなく、社会人としての社会生活を経験することが出来るし、プロアスリートも将来の生活を保証してくれていると言っても過言ではない。

日本女子サッカーにもその道があるし、あえて悲観的になる必要はない。

では何故、樫本選手は、今の現状に満足していないのだろうか。

本当に本質的に大事なのは『プロ化』という表面的なことだけを変えることではありません。どういうことか。例えば、私がアメリカの大学でプレーしていたころ。そのチームはもちろん形式上はプロではありませんでした。しかし、一人ひとりの選手の意識や姿勢、大学サッカーを取り巻くファンサポーター、組織のマネジメントは完全にプロでした。厳密に言うと、『プロ意識』です。『私達はサッカーで自身を表現するんだ』という誇りを持っていましたよね。そういった意味でも日本は独特ですよ

形式的なプロと、彼女がいう【プロ意識】とは、何が違うのだろう。

そして、日本のどんなところが独特なのだろうか。

誤解を恐れずに言うのなら、日本人の国民性には謙遜というものがあるじゃないですか。素晴らしい美徳だとは思うんでけど、これに関して悪い方向に影響が出ちゃってると思います。良くも悪くも日本の女子サッカー界には『助けてもらってる』とか『私達なんて…』的な姿勢が蔓延しています。私達の立ち位置は紛れもなくトップです。表面上のプロ化が進んでなかろうが、仕事をしながらサッカーをプレーしていようが、日本女子サッカー界におけるトップです。少なくとも今日も私達みたいなサッカー選手になりたくて、ボールを追いかけているサッカー少女が存在するということ。そのうえで私達は誇りを持つことから始めないといけないのかなと思っています

確かにその通りだ。

その分野でトップに君臨している限りは、プロとしての美学を持って振る舞うことに異論は無いし、そうするべきだと思う。

しかし、その樫本選手の言う「誇り」や「プロ意識」を持つことで、実際に女子サッカーにどのような影響を及ぼしてくれるのかという道筋が見えてこないというのも、率直な気持ちだ。

正しい意見なんて存在しないと思いますけど、プロ化が進んでいないから、こういう意識が蔓延してしまったのか。それとも、こういう意識を持ってしまっているから、未だにプロ化が進んでいないのか。という考え方も出来ます。鶏卵の話ですけどね

なるほど。

「心が変われば、行動が変わる。
 行動が変われば、習慣が変わる。
 習慣が変われば、人格が変わる。
 人格が変われば、運命が変わる」

と、哲学者ウィリアム・ジェイムズは言った。

樫本選手も一人ひとりの選手の意識が変われば、チームが変わり、チームが変われば、その組織の在り方を変えるということを確信しているのだろう。

【では、樫本選手はそんな現状に対してどのようなアクションを起こすのか】

ロールモデルを作りたいと思っています。私一人がリーグをどうにかしようという考え方は通用しないと思うので、だったら自身の身を持って体現したいです

ロールモデル?

自身の身をもって体現する?

もっと具体的に聞きたくなってきた。

自分で自分のプロ環境を作るということです。アスリートである以上、1番のプライオリティはピッチ上でのパフォーマンスです。そこには変わりはないし、変えてはいけないと思ってます。まずはピッチ上で、数字とか科学では表せないようなエモーショナルなインパクトを世間に与える。そのうえで、ピッチ外にも目を向けます。それこそ【アスリートが持ちうる価値】を突き詰めて、考えて、言語化する。そのうえで、自分が考えている社会の課題に取り組んだり、自分ならではのストーリーをクリエイトします。そうすることによってスポンサードしてくれる企業さんも名乗り出てくれるかもしれませんしね。そして、自分自身が樫本芹菜の1番のスポンサーでありたいとも考えてます

ピッチ上でのアスリートとしての姿に磨きをかけながらも、ピッチ外にも目を向けて、自分が実現させたい社会や理想の自分を目指して走り続ける。

社会という大きな枠組みの中にスポーツがあるだけなんです。だからサッカーに関心が無い層に向かって、『サッカー楽しいから観てみてください!』とアプローチしてもほぼ無駄です。だったら人が普遍的に持っている社会に対する共通のテーマを勉強して、発信する。すると、『こういう事に興味を持っているサッカー選手もいるんだ。面白い!』と、今まではサッカーに関心の無かった層が、入ってきてくれるかもしれませんよね。だからこそ私は活動し、発信し続けます

社会という大きな枠組みの中にスポーツが存在する。

世の中はスポーツで成り立ってなんかいない。

だからこそ、アスリートでありながらも、当たり前のように、社会の課題や理想に目を向けるのだ。

ただ、社会に認めてもらわないといけないからと言って、社会に寄せていくような姿勢が強すぎると、続かないし、いつかボロが出ると思っています。いま私が取り組んでいる、チャリティであったり、アパレル事業、アスリートの発信プラットフォーム作りなどといった活動の全ては私のパッションからスタートしているので、何よりもやっていて楽しいです

では、ピッチ外でのそのような取り組みが、どのようにしてピッチ内である、アスリート樫本芹那に影響を与えるのだろうか。

私の場合はピッチ内もピッチ外も同じ矛先に向かっています。ピッチ外でのこのような取り組みも最終的には、その競技に専念できるような環境づくりに繋がると思ってます。自分自身を自分でプロサッカー選手としてプロデュースするイメージです

強い。

自身のパフォーマンスに邁進しながらも、解決したい社会課題にもエネルギーを注ぐ。

そして、その根底には樫本選手の【パッション】がある。

決して義務感に駆られて動いている素振りはない。

ただ、近頃、『アスリートの価値とは』というワードが先走りしていて、おそらくその選手は自分のパッションで動いていないだろうなということが客観的に見ても、垣間見える選手がちらほら出てきている。

きっとそんな選手は周りが動いているからこその焦りを原動力に動いてしまっているのだろう。

実際に僕のところにも、「発信したいと思っているんですけど、どんなことを発信すればいいですか?」という相談がよく届くのだが、そこに対する答えを僕も明確に持てていない…

とにかく、アウトプットの積み重ねだと思います。今の時代は良くも悪くも情報が埋もれているので、一大決心で発信したようなものでも、タイムライン上ではすぐに流れてしまうので、あまり注目されないんです。だから、自分の練習だと思って、アウトプットをやっていけばいいと思います。日本人は勤勉だし、真面目なので、インプットに関しては問題ないと思うんですけど、アウトプットの文化が薄いですよね。例えば、英語学習の場面でよく出てくる話なんですけど、日本は正しい文法を正確に勉強出来ているんだけど、その知識をコミュニケーションに落とし込めているかと聞かれたら、そんなに多くの人が落し込めていないんです。何故このようなことが起こるかと言うと、『間違うこと』への警戒心の強さからです。アウトプットに関しても同じです。例えその時点で不確かなことであっても、間違ってもいいから、アウトプットすればいいんです。そうすると必ずリアクションをもらえるので、もうそれが学びに繋がりますよね

樫本選手は幼い頃から、本を読んだり、作文を書いたりなど、学びに恵まれた環境で育った。

その習慣が身についたうえで、アメリカで経験したスポーツ文化が樫本選手を覚醒させたのだろう。もちろん、まだまだ志半ばではある。

そんな樫本選手はいま、どんな夢を持っているのか。

この期間たくさん振り返りました。多くの興味を持っている中で、絞るべきか否かを考えましたが、おそらくそれは難しそうです。ただ、そのすべての矛先は『女子サッカーを文化にする』という目的に向かっているものです。スポーツは一つのツールに過ぎませんが、私はサッカーから様々なことを学びました。そんなサッカーを楽しみます。その楽しむ姿を見せていきたいですね

いま、もっとも伝えたいことは?

人は足りないからこそ、行動を起こします。ただそのすべての根底には『楽しむ』というエネルギーがある。ピッチ内であろうが、ピッチ外であろうが、全力で楽しむからこそ、人を惹き付けたり、巻き込むことが出来ると思っています。アスリートとは、運が競技人生を左右させる部分がありますけど、その運を引き寄せることが出来るのか出来ないのかも、その選手の行動次第です。だからこそ、不確かな状況が続いたり、不安な時こそ、自分自身が楽しむことを忘れずに頑張りましょう

正直、この記事だけで樫本選手の全てを紐解くことは難しい。

しかし、この記事を読んでいるあなたは、あなたのその立場だからこそ感じうる何かを感じただろう。

言論の自由が与えられたこの日本で、あなたの職業や固定概念に囚われた口の硬さを開放させてもいいかもしれない。

間違ってもいい。間違うからこそ人は成長する。



2021年より、女子プロリーグ【WEリーグ】が開幕される。

女子サッカー界、女子スポーツ界は今後、大きな変革期を迎える。

そんななか、自身の変革を常に起こしている樫本選手はこの動きをどのように捉え、どのようなアクションを取っていくのか。非常に興味深い。

僕自身も樫本選手との出会いをきっかけに、女子スポーツの現状をもっと勉強していきたいと思った次第だ。

さて、女子スポーツの未来はどうなるのか。

あなたも女子スポーツの一翼を担う人材になれるのかもしれない。