【安居楽業】を考える

【安居楽業】あんきょらくぎょう

 社会的地位や住まいなど、環境に不満がなく、自分の仕事を楽しんでできる状況にあること。また、よい政治がおこなわれ、国民生活の安定していることのたとえ。
(豊富な用例でよくわかる 四字熟語辞典 改訂第3版より引用)

 こんにちは、異羽です。
 いや〜サボった!!! 3ヶ月辞典を開かずに過ごしてしまいましたね。
 無理に習慣づけようとするとこうなるぜって話だ。

 さてと。そんな瞬間が今まで生きててあったのかと問うてみると、「あんまねぇな」の一言に尽きるね。
 唯一頷けるのは「自分の仕事を楽しんでできる状況にある」ということぐらいだなぁ。

 僕の信条として、あんま記録に残るとこで政治的な話をしたくないというのがあるからあんまそれには深く触れないけど、まぁよい政治ではないなと感じる瞬間は多いのかな。世界がどうとかではなく、僕自身に付随する様々が僕を苦しめていることに変わりはないから。
 ただこの苦しみから脱するには僕の努力が必要不可欠になってくるので、巡り巡れば僕の問題とも取れるんで、まぁ頑張って生きますよ......!

 何かに不満があるから仕事をするのではなく、不満がないから仕事が楽しいってとこまでいけたらそりゃ楽しくないわけないよな。だって仕事の目的が給料じゃないとこに向くわけだし。
 だからといって「やりがい」だなんてヤバい言葉に背中を預けるわけじゃないですよ。僕はその言葉があまり得意ではないもんで。

 結局のところ、自分に何ができるのかが明らかになると楽しさを感じるんですよ。
 自分の行動が何によって生まれ、何に繋がり何を生むのかがはっきりすると、言いようもない嬉しみがあります。

 「0から1を生む人」か「1を100に増やす人」のどちらになりたいかと言われたら、僕は迷わず「0から100を生む人」になりたいと言ってしまう。それって言わば発明だからね。
 「人生は気付きのゲームだ」と僕が尊敬してる人はよく言ってて、それに則って生きているつもりだけど、まだまだ僕には気付けているところが少ない。
 より多くの気付きを得るためには、広い視野と表現に富んだ語彙が要る。せっかく気付いてもそれを言語化できなければ指の隙間を通り抜けてしまうから。
 おそらく死ぬまで僕の指の隙間からは多くの気付きが通り抜けてしまうだろう。勿体無いなぁ、だから130年以上は生きときたいんだ。そんぐらいありゃ、今より少しは世界のことがわかる気がするから。

 ところで世界がわかったところで安居楽業に繋がるのだろうか?
 否、繋げるための暴論を生むための気付きをこれからは求めていくべきなんだな。
 いい加減政治のことを少しは勉強しないといけないのかなぁ、誰か一緒に勉強しないか。

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