時間はある。あるだけだが。

 こんにちは、異羽です。
 今日はバイトからバイトのハシゴ生活なんだけど、前半が早めに終わっちゃって隙間時間が生まれた。意図せず生まれた暇をうまく使える人間って羨ましい。
 僕は後半バイトの近所のカフェでスマホをいじることしかできない。こういう時に本が必要なはずなんですけどね。

 ここ数日で一つの悩みが生まれてしまい、その答えを出すために頭を唸らせている。
 今までの人生経験的に、悩む時はすでに答えが出ているんです。であれば即行動に移すべきなんだけど、踏ん切りがつかない。見えてる答えのその先が見えるわけじゃないからね。
 そんな事を繰り返してたら、うだうだすんのがだんだん好きになってきた。

 どーしよっかなぁ、でもなぁ、あー、上手くいかなかったら、上手くいったら、あー。
 無味な言葉ばかりが頭を覆い隠して、たった今まで何に悩んでいたのかすらわからなくなる、迷宮。
 生きてるなぁって思う時がここです。

 やりたいことやってる時はとりあえず突っ走ってるからゴールとかどうでもよくて、その時に見えてる景色とかその瞬間の思考に旨みを感じるから楽しい。
 やりたいことを吟味する時に突っ走れるほど僕に度胸はないからとぼとぼ歩いて、周りの景色なんか見ず、ぐちゃぐちゃな思考を整頓もせず、ただ居る。
 結局どう生きたって後悔や軋轢があるのであれば、新たな可能性につま先を向けてみたほうが楽しいのかもしれない。

 そう、僕は新しいものが好きなんですよ。僕に対して刺激を与えてくれるから。
 それは時間的に新しいって意味ではなく、知識的な新しさ。
 例えば僕は歴史の勉強がからきしなんだけど、そんな僕が最近ハマってるのが週刊少年ジャンプで連載中の『逃げ上手の若君』。『魔人探偵脳噛ネウロ』や『暗殺教室』を書いた松井優征先生の漫画。北条時行を主人公とした歴史漫画なんだけど、これが面白い。
 きっと漫画的な手法の魅力ももちろんなんだけど、僕が知らない(もしくは授業で習ったけど全部忘れてる)事柄がバンバン出てくるから、僕にとっては新しい。
 そういった新しさは僕の心を動かしてくれる。

 もちろんAppleが出すガジェットにも心ときめくわけだけど、新しさで言えば知識外という点で同じなわけだ。
 この世界には僕が知らないことが多すぎる。まさか死ぬまでに全てを知ることなんて出来はしないってことぐらい分かってるけど、死ぬ寸前に満足できるレベルの新しさを味わったつもりでいたいんだよな。

 僕が悩む時は決まって、環境を変えたい時。それは翻って、何かを知りたい時なんだと思ってる。
 であれば、知りたい僕の手助けをするのが、自分の味方である僕がやるべきことなのかなぁとか思ったり。

 自分との戦いって言葉があるね。でもね、僕は僕の全面的味方でありたいし、善玉菌的な役割でありたい。自分に対して良いものを促せる立場であれればあれるほど、僕の人生はきっと楽しくなる。

 そういえばこの前、先日の舞台の共演者と自己肯定感の話になった。
 僕は自己肯定感はバカ高いのだが、その理由について「僕らはこの世界に生まれてる時点で肯定されている」と言った。
 瞬間の気付きで出た言葉だけど、これは割と的を射ている気がする。
 自分という存在を保持する事をこの世界に許容され、より大きな何かに肯定されたからこそ僕は僕でいられる。そんな巨大な肯定を背負ってなお自分が僕を否定する理由がないんだよな。

 だから悩んでいる時間にいるいろんな立場の僕はみんな、僕のやる事を許容するスタンスになっている。
 裏を返せば自分を律する術をもってないとも言えるね。やりたいことばかりをやるし。
 ただ、そうやって自分の決断から責任を削いでいくことで肩の荷を無理やり下ろすことも出来るから、僕には合ってるんだと思う。

 と、ここまでうだうだ書いてみて、やっぱスッキリするもんだ。僕にとって新しさってのは良い意味でも悪い意味でも刺激なのだということ。

 僕の尊敬する人が「人生は気づきのゲームだ」って言ってて、まさにそうなのだと思いながら生きてる。
 僕の身辺に転がっている無数の何かに気付けるかどうか。気付いてどうするかを試されてる。
 文章を書いたり人と喋りながら思考を整理すると、その気付きってのが案外容易に起こったりするから楽しい。あぁ僕はこう考えて生きているんだな、と。
 なるべく断言の少ない生き方を選んでいきたいけど、これだけはきっぱり言えるから残しとこう。

 僕はこれで良い。

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