原案

 こんにちは、異羽です。

 思えば僕は、辞典を最後まで読んだことが無いんですよ。
 そもそも辞典って書物の性質は読書の埒外にあるからしょうがないことなのかもしれないけれど。

 じゃあ、疑問。辞典を最後まで読めたなら、何か僕は受け取るものがあるのだろうか。

 ここから別件。高校の頃、古典の先生が「読み止す」ことの楽しみを嬉々として話していたことがあった。
「横たわって、本を開いて、文字を追いながら微睡んで、次気付いた頃には知らないページにいる。そこから知ってる文脈まで戻って、最初からやり直す。こんな読書が面白いんだな」
 と、まぁ正確ではないにしろこんな旨のことを言っていた。
 僕は一度本を開くと基本的には最後まで読み通したくなってしまうのでこの気持ちに共感できたことはないんだけど、辞典ってもしかしてそれ向きなのでは?

 ここから統合。僕が近々何をするのかというと、一冊の時点の一項目ずつをちょっとだけ深掘りする。
 微睡を交えた読み止しではなく、一歩一歩立ち止まって考えることを前提とした読み止しをやってみようと思う。

 人生をかけて何かを成せるという自信が欲しい。きっと辞典を読み止しながら読み通すことは、人生を引き合いに出すぐらいには時間のかかることなんじゃないか。
 有言不実行の僕がどこまでできるか、自分に対してどのレベルまで意地を張れるのかを、これにて試してみようと思います。

 てなわけで僕が読み始める辞典は学研教育出版から発行された『豊富な用例でよくわかる 四字熟語辞典』。改訂第3版のものを使う。

 手のひらにギリ収まらないこの書物は、僕が中学の頃漢字にどハマりしたことがきっかけで手に取った中古の品だ。
 表紙に思いっきり「卒業記念」と書いてあり、誰かの記念の品であることがわかる。売れるんだ、こういうのって。

 過去の自分の例によれば、こういう自分を鼓舞する発破の言葉はあんま効力を発さないのだけど、ちょうどいいからやってみる。

 頑張ろう。異羽の名前に恥じないように!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?