【阿附迎合】【阿諛追従】を考える

【阿附迎合】あふげいごう
【阿諛追従】あゆついしょう

 相手へのご機嫌をとり、気に入られようとしてへつらい従うこと。
(豊富な用例でよくわかる 四字熟語辞典 改訂第3版より引用)

 こんにちは、異羽です。
 大晦日ですね、2022年も終わりです。
 今年何をしただの、来年どうしたいだの、色々言うべきことはあるのかもしれないけれど、楽しきゃ良いじゃんを標語として据えることでお茶を濁そうと思います。

 人と交流する中で、愛想というものは大事になってくるんですよね。「こいつ話せるやつだぞ」みたいな印象を持ってもらうことで円滑に進むものがある。これをご機嫌取りや媚び諂いと捉えられるのであれば、割と僕の人生は阿附迎合に終始しているのかなぁと思い至りました。

 無意味に反抗してもあんま意味はないんですよね。とりあえず懐に入っとくことで、出ることもできるわけだし。
 まぁ僕には度胸があんまないので滅多に懐から出ることはないんですけれど。

 これは交流が続く場合の話ですが、交流が視野に入っていない時の愛想も存在します。
 わかりやすいとこでいえばコンビニとか。店員さんにどう対応するかで店員さんの内心が変わってくるんじゃないかと思ってます。
 っていうかその点で言えば愛想を振り撒くのの何が悪いのか、今の僕にはわかりません。思考の放棄ではなく、これまで生きてきた結果として、その場限りの短い会話でさえ愛想が出ない人は苦労するだろうなぁと思うようになったからかもしれません。

 情けは人の為ならず、なんて言葉がありますね。情けをかけることで巡り巡って自分にいいことが返ってくることを示した言葉です。割と好きなんですよ。元も子もないこと言っちゃえば自分のためってことになるわけですし。

 接客応対されてる時の愛想が情けかはまぁ置いとくとして、多分「ちゃんとした客」を完遂できた時って気分がいいんですよ。自他双方にノイズが生じてない実感があるので。
 だからたまにお店で店員さんに粗暴な態度を取ってる人を見ると僕は「これよりはいい人間なのだな」と思えるわけです。
 文章にすると結構性格の悪い自己肯定感の不労所得に見えてきますけど、分析すると多分大体のものが性格悪く見えてきてしまうんですよね。
 人は作為的なものを心なしか嫌う傾向にあるので。

 でもいいのです。それで困るわけではないし! と無理矢理前向きに生きていくしかないよな。

 明日もきっと店員さんに、友達に、ここ以外のインターネットに楽しく愛想を振り撒き続ける異羽が存在するのでしょう。
 せっかくなので、お互い気分良く生きましょうね。

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