【悪事千里】を考える
【悪事千里】あくじせんり
悪い評判やうわさは、たとえ千里も遠く離れているところまでも、またたくまに知れ渡るということ。
(豊富な用例でよくわかる 四字熟語辞典 改訂第3版より引用)
こんにちは、異羽です。
悪四字熟語トライアル、まだ続くんですよ。
インターネットがない時代から悪事千里は存在したと考えると、人間ってどんだけ人の話好きなんだよってなりますよね。
今はもう何かあればネットに刻まれるわけで、千里どころか万里どころかって話ですけど。
ただ、ネットすら正確でない今ですから、口伝なんてより正確さに欠けるはずなんですよね。
これは想像ですけど、ネットの無い当時、人の話に末端は存在しないのですでに終わった事柄について遠く離れたところでは「真っ最中だ!」と大騒ぎしていた可能性があるわけですよね。
贖罪についての話です。
人はさまざまな罪を犯しますが、その罪は何をもって贖われたとされるんでしょうか。心とか恩とかと同じく目に見えないものですので、そこは永遠に難しい。
例えば名のある罪、言わば犯罪の場合懲役というものが便宜上存在しますが、それが終わっても許されないことがあります。
そして名のない罪、人間関係での問題とかですね。これに関してはマジでラインが人それぞれすぎて掴めない。
やってらんないんですよね。まぁこれは多分僕がこれまで大きな罪を犯していないか、犯しても気付いてないから言える暴論なんでしょうけど。
言われる身にならないとこの窮屈さは想像の域から出ないよねぇ。
僕は割となんでも信じるインターネット向いてない人間なので、噂に振り回されてしまうんですよね。
情報の鮮度ばかりに目がいって、ファクトチェックの術を持ち合わせていない。ので、千里走ってきた悪事の噂を知った時、僕はその悪人の印象を悪くしてしまうことでしょう。
まぁ言うて僕は聖人ではないのでそんぐらいは許して欲しいものなんですけど。
こんな生き方が千里先で人の反感を買ってなきゃいいけど!!
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