【愛別離苦】を考える

【愛別離苦】あいべつりく

 愛するものとの離別のつらさ。とくに親子・兄弟・夫婦など愛する人と生き別れたり、死に別れたりする苦痛や悲しみのこと。
(豊富な用例でよくわかる 四字熟語辞典 改訂第3版より引用)

 こんにちは、異羽です。
 この企画(?)をやるにあたって、僕の日頃持ち歩くものに辞典が加わりました。まぁさもありなんではあるのですが。
 元々持ち物多めの僕ですが、ひとつでこんなボリュームあるものはそんな無いんですよね。
 今日もバッグの中で存在感を放っています。

 さて本題。愛別離苦ですね。
 これは今回辞典を読んで知ったわけではなく前から知識としてあったことなのですが、愛別離苦は「愛別」+「離苦」ではなく「愛別離」+「苦」なんですよね。
 じゃあ愛別離ってのはなんだいって話。これは辞典の知識ですが、仏教には「八苦」というものがあり、その内のひとつらしいです。他の七苦は書いてなかったのでよくわかりません。

 哀毀骨立でも書いたとおり、僕は親に対して「先に死なないでね、先に死なないから」という矛盾の感情を抱えています。それはもちろん兄姉に対してもなので、将来これが襲ってきたらと考えると非常に苦しいですね。

 仮定でもちょっと落ち込むんですから直面した時の気の定まらなさは想像できません。まぁしたくないのでしないのですけど。

 僕が小学生の頃から実家で飼っていた愛犬が、今年亡くなりました。
 当時からなんだか帰省しにくい不文律が成立してしまっていたので、実はまだ帰って両親に話を聞いたりできていません。
 なんの偶然か、僕は12時間後には実家に居る用事が先日できたのでその時いろいろ話そうと思います。
 LINEを通じて知った愛犬の事情に僕はまだ実感を抱いていません。多分明日は酷いことになるでしょう。
 件の愛犬より前に飼っていた愛犬が亡くなった際には、僕はまだ幼少期だったのでとても泣いた記憶があります。その時は当然ながら「実感が〜」とかどうたら言う自我は育ってなかったので今より非常に素直だったのだと思います。
 ただ、その素直さを差し引いたとて、やはり物理的に身近ではなくなってしまった状態で聞くのはやはり部屋の外で鳴っている音を聞くような感覚になってしまうんですよね。
 寂しいことには寂しいのですが、それで身をやつすようなことにはならない。
 これを「大人になった」というのであればやっぱり僕はまだ子どもでいいかなぁと思ったりします。

 僕だって人間ですんで、いつかは死ぬようです。絶対イヤだけど。
 ただその時は周りに大勢の人がいて欲しい。僕に対して愛別離苦を抱いて欲しいと思っています。わがままですね。
 この「大勢」にはまだ存在さえしていない僕の家族や、存在は確定している多くの友人たちが含まれています。
 生まれてこの方「ちやほやされたい」と思い続けているので、ぶっちゃけ知らない人居ても、「まぁ情があるならええか......」と笑顔で終われる気さえします。
 というかそういう時に知らない人にまで悼んで欲しいので、有名になりたいんですよね。承認欲求と自己顕示欲が相乗りしています。早くこの車を廃車にしてください。

 しかしまぁ、油断多めの言葉をここに残しておくとするならば僕の人生はまだまだ長いですし、不本意ではあるものの愛別離苦を抱かせるより先に抱かされることを何度も経験するでしょうから、その中でちょっとはこの考えが人並みになればいいなと思っております。

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