俺の人生③


中学校時代〜中3〜

車の無免許運転及び窃盗の容疑で現行犯逮捕され、警察署の留置所に収監されることとなりました。
が、当時14歳だった僕は法律的に?留置所には2日しか居れなく、すぐに鑑別所に収監されることとなりました。
留置所の中は人から監視されるストレス、大変な事をやらかしてしまったストレスと反省で髪がかなり抜けた記憶があります。
それに初めて捕まった(初犯)からすぐに出れるだろうという甘い考えもあった。
現実はそう甘くはなく、最終的に鑑別所に35日(鑑別所の収容最大期間)入っていました。
その後家庭裁判所の審判により、児童自立支援施設という少年院より少しだけ自由のある施設に入ることとなった。
そこに収容されているのは主に中学生で、理由はさまざまでした。親に見放されて養護施設から来たもの、児童相談所から来たもの、家庭裁判所の審判で来たもの・・・。
県内のいろんな中学生が集まっていて、人数は中3が30人、中2が15人、中1が5人、小学生が2人。といった具合の比率でした。
施設は田舎の山奥にあり、敷地内には寮が6つ、学校、グラウンド、テニスコートやプール、体育館、武道場などがあります。
施設に入所したものはその敷地内から一歩も出ることは許されない環境にあり、外に出たものは懲罰房的な場所に一週間ほど監禁される。
地獄のような生活でした。

朝早くに起床し寮の掃除、朝ご飯を食べ、学校で勉強、終わると野球or柔道、寮に帰ったら洗濯風呂晩飯を食べて就寝。土日は山の中に入り草刈りや敷地内の掃除をしたり。
少年院よりは少しマシだっただろうか。
少年院と少し違うところは、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始に親の同意があれば我が家へ帰省ができます。
僕の場合は帰省できたのは年末年始の1度だけでした。理由は教えてもらえませんでしたが。

高校受験も受けることができ、わずか数名ですが施設にお世話になりながら高校に通う人もいました。
僕は車好きもあり、受験する高校は公立は工業高校、私立も工業系の高校を受験しました。
公立は落ちてしまいましたが、私立は合格をいただきました。

ですが、僕は1つの人生の選択に迫られました。
自分の親のところへ帰り地元から高校に通うか、そのまま施設にお世話になりながら高校に通うか。
地元へ帰れば今までの縛られた生活とはおさらばできます。携帯も所持でき、門限もなく、ゲームもでき、好きな時に好きな物をたべたり、新しい友達とも自由に遊ぶこともできます。
施設から高校に通う場合、まず1日の所持金は500円に制限され、携帯も禁止、ゲームなんてとんでもないです。

僕はかなりの期間悩みましたが、施設から通うことを選択しました。
中学校卒業したとはいえ、施設を退所するには親権者の同意が必要だったんです。
【施設を出れたのは私のおかげ】
母親にこう思われるのが嫌だったんです。
それに母親と生活するくらいだったら、縛られた生活のほうがマシ。
こうゆう感情もありました。

施設から高校に通うことを決めた僕は、ついに入学式を迎えました。

続く・・・

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