俺の人生①


初めまして。ぽん君です。
僕の人生を振り返りながら・・・
おそらく皆さん途中で閉じるでしょうね!(笑)

こうゆうのはあまり得意ではないので、時系列で書きます。


生まれ~小学校時代

僕は中国地方の田舎で生まれました。田舎の基準は人それぞれかもしれませんが・・・。ざっくりゆうと車社会で電車は30分に1本しかないようなところでした。
僕が生後3か月で両親は離婚したらしく、物心ついたころは僕と母親、母親の彼氏(Tさん)と3人で生活していました。
まあこのような家庭はどこにでもありそうですが・・・
Tさんの職業はパチプロ兼スロプロでした。

幼稚園が終わり、母親が車で迎えに来ます。
家に帰るのではなく、パチンコ屋へ連れていかれます。
平成10年頃は小さい子供もパチンコ屋に入れる時代でした。

そんな生活が小学校まで続き、Tさんと母親が別れたのをきっかけにおばあちゃんの住んでいる町に引っ越ししました。
小学校2年の冬に突然母親が入院したんです。原因はシャブでした。
僕は知らなかったんですが割と頻繁にやっていたみたいで、もはや依存症でした。
小5の時にも母親は入院しているんです。その時は眠剤を大量に飲んで自殺しようとしたみたいです。
それ以来おばあちゃんと過ごすことが多くなったんですが、寂しさを感じたことはなかったですね。
そもそもおばあちゃん子だったんでしょうね。
小さいころからしょうもないことで母親とよく喧嘩になったんですが・・・
僕が「出ていけ!」って言ったら、ガチで家出して1か月くらい帰ってこなかったこともありましたね。
朝ごはんは食べず(当然家に食料はない)学校へ行き、給食をお腹いっぱい食べて家に帰る。夜ごはんは当然なし。金曜の夜~日曜日までおばあちゃんの家に泊まる。
こんな生活をしてたある日電気が止まり、生活ができなくなってしまい、おばあちゃんの家にお世話になることになりました。
この時に初めて、母親と喧嘩して出ていったこと、もう3週間ほど帰ってこないこと、電気が止まり生活ができなくなってしまったことを話しました。
めちゃくちゃ怒られました(笑)
「なんでもっとはよ言わんのじゃ~」と。

当時の心境はあまり覚えてないのですが、「別に誰にも言わなくていいか~」くらいに思ってたんだと思います。
小学生でも割と一人で生活できます。
電気、ガス、水道さえ止まらなければ(笑)


中学校時代~中1~


中学校入学するころは、また母親と二人暮らしでした。おばあちゃんは家から徒歩10分ほどのところに住んでいたため、たまに遊びに行ったりしてました。
実は、母親が働いているところを見たことがないんです。おそらく母子家庭手当とおばあちゃんに金をせびったり、今でいうパパ活的なことをやっていたんですかね。とにかく働かないクズでした。
中学校に入って野球部に入りたかった僕は、母親ではなくおばあちゃんにお願いしました。12歳のクソガキにも母親じゃ埒が明かないと思ったんですかね(笑)
おばあちゃんは
「野球がやりたいんならすりゃええが。ばあばが道具揃えちゃるけん」
一生懸命働いたお金でスパイクや練習着など買ってくれました。
ですがおばあちゃんに申し訳ない気持ちもあり、グローブは安いもので我慢しました。田舎のホームセンターに売ってある2500円くらいのペラペラのグローブで。
今思えば中学校上がりたてのクソガキにも、おばあちゃんの経済力を理解してたんですかね(笑)

おばあちゃんが背中を押してくれたこともあり、野球は本気で練習していました。
中学校から野球を始めた少年は当然、周りについていけません。
野球がうまくなりたいと思った僕は部活が終わって帰宅した後に、ランニング素振りをすることにしたんです。

ある日ランニングに付き合ってくれる同級生と、夜21時頃に家の周りを走っていました。
少し休憩をしようと言う話になり、コンビニに行ったんです。
そこのコンビニには田舎ならではのシャコタン軽四が停まっていて、車の周りには3人の男たち。つまりヤンキーです。
中1のガキは当然絡まれます(笑)
「おめえらこんな時間に何しょんなら!悪さでもしょんか?」
「ランニングしてるだけです。」
「なめとんか?しばきまわしちゃろうか」
一緒にランニングしていた同級生の子には兄がいたんですが、絡んできたヤンキーと仲が良く顔見知りだったみたいで、僕だけ激しく絡まれました。
絡まれたというよりもはや脅迫に近いです(笑)
帰り際に

ヤンキー  「おめえ名前なんてゆうんなら」
僕     「〇〇です」
ヤンキー  「???」

なんだか不思議な顔をして帰っていきました。

後日またランニングに出たときに、またあのヤンキーがいました。
めんどくさいので見て見ぬふりをしようとしましたが、そうはいきませんでした。

ヤンキー 「おい!」
僕    「はい?」
ヤンキー 「おめえ名前〇〇ってゆうたよな?」
僕    「そうです。」
ヤンキー 「Yって人知っとるんか?身内になるんか?」
僕    「あー。母親のいとこっすね。〇〇会のYですよね」

この前のあの不思議そうにしていた顔の原因がこれでした。
その頃はあまり意識してなかったのですが、僕の母親のいとこっていうのが地元ではそこそこ名前の通った極道の端くれだったんです。
そして僕に絡んできたヤンキーは、Yに可愛がってもらっていた後輩でした。
その日からヤンキーと仲良くなってしまい、当然その周りの人も・・・
Yの身内ってだけで有名になり、誰からもいじめを受けることもない、何かあったら飛んできてくれたり、夜遊びに連れ出してくれたり。
13歳にガキには、そんなヤンキー達と過ごす日々が楽しかったんでしょうね。

気が付けば野球なんてやめてしまっていた。


続く・・・

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