その実何もない A.M.180 - Grandaddy

Don't change your name
名前を変えないで
Keep it the same
そのままでいて
For fear I may lose you again
きみがまたいなくなるのが怖くって
I know you won't
そんなことは起きやしない
It's just that I am unorganized
ただ単にぼくの 整理がつかなくて
And I want to find you when
ばったりきみに会いたくなる たとえば
Something good happens
いいことがあったときとか

If you come down
もしきみが帰ってきたなら
We'll go to town
ぼくらは街へ出たりして
I haven't been there for years
ぼくはもう何年も行ってない
But I'd be fine
でもまぁいい
Wasting our time
時間を無駄にしたり
Not doing anything here
何にも手をつけないでここで
Just doing nothing
ただ何もしないで

We'll sit for days
ずっと座り込んだり
And talk about things
なんかいろいろ話したり
Important to us like whatever
ぼくらの大切なこととかなんか
We'll defuse bombs
爆弾を解除したり
Walk marathons
マラソンを歩き
And take on whatever together
やってみる なんでもいいからふたりで

Whatever together
なんでもいいからふたりで
Whatever together
なんでもいいからふたりで
Whatever together
なんでもいいからふたりで
Whatever together
なんでもいいからふたりで
Whatever together
なんでもいいからふたりで

――――――――――――――――

 この歌は前にも訳した。この記事のは古い私訳を一切参照せずにパパッとやった全くの新訳である。新しく訳したのは、古い訳と感想文をサルベージするのが面倒だったからだ。既に消してしまった前のnote垢だが、削除前に記事データはxmlファイルとして書き出していて、検索をかければ簡単に引っ張り出せたはずなのだが。
 その時僕はキッチンの机に数時間単位でへばりついていた。リビングまで何歩かあるいてpcを立ち上げてあとはちょいちょいと操作すれば、古い記事はサルベージ出来た。ほんの簡単なことなのだが、僕はキッチンの机から動けなかった。毎日のように、そこから動く方法が分からなくなる。この日もそうだった。
 でも手元に訳が欲しくなった。だから一から全部訳した。それが上の訳だ。

 『A.M.180』は、あくまで僕が知ってる中で、だが、「最もどうしようもない曲」であり、「どうしようもなさが最も美しく昇華されている曲」だ。何もろくなことを言えておらず、思考としても感情としても何もまとまっていないのだからろくなことを言えるわけもなく、音割れするおもちゃピアノのように聞こえる鍵盤、ディストーションに塗れて掻き鳴らされるばかりのギター、淡々と、ひとつひとつはやけに強くリズムを刻み続けるドラム、ぶつぶつ言うささやきばかりのボーカル。
 目を逸らしたくなる孤独、現実味はないのに振り切れないほど濃い不安、やり場のない、やり場がないあまりに存在自体があやふやになってきてる感情、そして救い難い幼稚さ。
 そんな曲のあらゆるそんな要素が奇跡的なバランスで合わさり、そんなようなことを描き出している。

 病んでいるか、ラリっているか、あるいはその両方である人間と、彼から見えるものについて歌っている。彼自身も、彼が見る現実も、どちらもどうしようもなくふにゃふにゃで幼稚だ。病んだ人間というのはどんなに繕ったところでどこまで行っても幼稚なのだ。現実に足をつけられないから、現実を見ることも聞くことも出来ない。考えることも話すことも行動することも出来ない。頭を抱えてうずくまって、へばりついて、ふらついて、ムカついて、悲しくなって、でもどれひとつとして十分には実感出来ず、結局何にも出来ず何にもならない。

 「A.M.180」とは無理やりに徹夜し、深夜を未明を明朝を朝さえも通り越し、昼を迎えようとする時の現実感のないラリった状態を指す、という説や、デキストロアンフェタミンを過剰摂取することを指す、という説を見た。アンフェタミンというからには過剰摂取すれば過集中状態、覚醒、多幸感が生じるわけで、そのオーバードーズ状態と、徹夜して昼になってもう壊れかけてるのに自分のスイッチをうまく切れない状態は似たものになるだろう。

 ラリってるせいで、孤独のせいで、不安のせいで、怒りや悲しみのせいで、頭が働いてないせいで、上手に言葉に出来ないわけじゃあない。うまく言葉に出来ないだけで…なんてのは嘘でしかない。孤独や不安や感情に打ちのめされている人間は、そも、言うことや考えてることなどろくにないのだ。自分を打ちのめすものを誤魔化すためになんか考えてみてなんか喋ってみてるだけで、その根っこには何もない。何かに心が蝕まれていってるように思う方がまだ幸せだからそう捉えてるにすぎない。心は何か色のついたものに染められていってるのではなく、単に欠けていき、単に空っぽになっていってるだけなのだ。だから考えることも話すこともない。その能力自体が、自分自身がすり減ってなくなっていってるのだから。


 そんなわけで、今日もキッチンに数時間座っている。この文章を書いてるという以外には、今日のことは何も思い出せない。ここから何故動けないのか、何故何も出来ないのかも、僕には分からない。

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