若者は音楽離れしているのか(サブスクとフィジカル2)
前回の記事で、今日本の音楽業界がCDからの脱却へ向けてどう進むのかを考える上で知っておきたい事を書きました。
今回はその中で最後に少し触れた
「若者は音楽にお金を使わない」
という点から始めてみようと思います。
いきなり、自分の言った事を否定しますが、若者は音楽にお金を使います。
正確には「音源」にお金を使わないのです。
もはや月額1000円程度のストリーミングサービスですら使わない。ストリーミングサービスも収益が頭打ちだという話も聞きます。(突然サービスが終了して聴けなくなる可能性もあるかもしれません。それはまた別の機会に)
だってYouTubeはタダです。
いや、正確にはスマホ代の中にYouTubeの視聴料が入っているという感覚ですね。
昨今のYouTuberブームも考えればYouTubeがテレビとラジカセの両方を担っていると言えます。しかもコンテンツの数は無限に近い。
今の30代から40代前半ぐらいの方は中高生の時にCDバブルを経験しています。携帯もまだ大人のものだった頃、カップリングを含めても2曲入りで1000円というシングルCDが中学生、高校生にも飛ぶように売れていた時代です。
今、あの頃のミリオンセラーという言葉は○○万回再生へと変わっています。音楽は所有するものでは無く、アクセスするものになったということです。
スマホ代だけが音楽へのお金の使い方ではありません。
音源が実質無料で常に手元にあるのですから、これまでのCDを買う事で得られていた「所有欲」や「アーティストを応援しているという実感」は別のものへ移ります。
それがライブとグッズです。
音楽フェスの乱立、世界のモードと逆行するようなギターバンドブームもあり、音楽好きの若者はライブへ行き、推しのバンドTシャツやタオル、ラバーバンドを買うことでその欲を満たしていきます。
当然そこには、レコード会社が仕掛けてた狙いがありました。どちらが先というものでもなく、売り手と買い手の利害が一致した結果とも言えます。
一見、音楽の聴き方が変化しただけで何も問題が無いように見えます。
レコード好きの私も、別にフィジカルを買わなければダメだとは思いません。アーティストが活動する上でのビジネスモデルがきちんとしていればそれでいいのです。
(ただし私が好きな海外のアーティストを日本に呼ぶ場合は、再生回数だけではリスクが高く呼び屋さんが呼べない為、フィジカルの売上が重要になります。この点もまた別の機会に)
しかし、一点において危機感を感じます。
それは「村社会化(クラスタ化)」です。
人気番組アメトークの○○芸人というのをイメージしていただくと分かりやすいかもしれません。
つまり、一つの括りの中に押し込まれているのかも知れない、という事です。
以前、後輩の20歳の女性に聞いたことがあります。彼女はクリープハイプというバンドが好きで他にも色々バンドを知っていました。しかしCDは1枚も買ったことは無いと言います。では「どこでそんなバンド知ったの?」と。その子の答えは「YouTubeの関連動画を辿っていって」でした。
よくネット通販と本屋の話になるとありますね、「お店では自分のお目当て以外の物に出会う可能性があるじゃないか」というやつです。しかし関連動画というものでお目当て以外のものも知れるじゃないかとなります。
もう何が言いたいか分かるかと思います。この「関連」って「似たり寄ったり」でもあるんです。
あるギターバンドが、例えばレゲエからインスピレーションを受けてそのエッセンスを取り入れた曲を作ったとしましょう。しかし関連動画には「国」や「性別」や「雰囲気」が似たギターバンドが並び、ボブマーリーは(余程でない限り)並ばないでしょう。
実はストリーミングサービス(特にSpotify)も、よく聴くジャンルに合わせて「似たもの」を勧めてくる傾向があります。アルゴリズムというものですね。それが強み、素晴らしい部分でもあるので、ダメとは言えませんが。
繰り返しになりますが、だからフィジカルを買いなさい。お店に行きなさい。という事ではないんです。
知らず知らずの内に、可能性を狭められ、カテゴライズと分断に取り込まれていませんか?というのが危険だと感じるのです。
アメトークを思い出してみましょう。ケンコバさんなど色んな○○芸人に出てくる方、いらっしゃいますよね。そしてアニメの話をしているのにプロレスラーの話になったりしますよね?そこにストーリーが生まれ、多角的な楽しみが生まれ、更に新たな出会いと発見が生まれます。音楽の世界だけに限定しても同じです。
過度に村社会化した先には、マンネリと消費するだけの未来しかありませんし、若者の可能性すら奪います。ちなみに日本の音楽カルチャーに限定した話で、若者批判では無い事はご了承下さい。
つまり日本の音楽業界は売上を維持するための囲い込みを進めた結果、文化の発展において大きな遅れを取ることになりました。
所謂ガラパゴス化です。
かつてガラパゴスと呼ばれた携帯電話は、iPhoneによって絶滅の危機に立たされました。果たして音楽文化はどうでしょうか。
さぁ、分断と断絶のその先は?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?