しばらく投稿あいてしまってた

お久しぶりです。

しばらく書き物の手が止まってしまっていました。

ここ最近は合宿や飲み、卒業旅行が続いていて、なかなか自分の時間が取れず、思いを書き綴ることができませんでした。大好きな人たちといることは本当に幸せなんですけど、自分だけの空間と時間がなければ、やっぱりわたしは心が渋滞してしまう質なので。そしてそういう時間が取れた時に、すぐ執筆に取り掛かれるわけではないのです。寝て、ぼーっとして、ご飯を食べて、脳死でTwitterを眺めて、お風呂で歌って、そうこうしてああわたしが戻ってきたなと思ったら書くのです。

書きたいことは大いにありました。ここ1週間2週間は特に心が動いた時だったからです。その心の動きは紛れもなく他者からの影響であり、良い影響も悪い影響も受けました。

ただ、最近のわたしで進化したところがあります。それは、他者と心を一体化させようとしなくなったところです。

目の前の人が悩んでいる時、共感することは大切です。ですが、わたし自身も辛くなる必要はないのだと気づきました。気づいたというか、今までは心のコントロールが下手くそだったんですけど。

でも、だからと言って柔らかな言葉を発していれば良いわけでもない、とわたしは思います。言葉はわたしの中から発された形あるものでなければいけないのです。ふわふわの言葉を連ねて、さも相手に共感しているかのように振る舞うことは、相手を欺くことであり、わたしの心に反します。

ですから、相手の気持ちを受け取って、それを自分の感情にしないことが大事なのです。受け取った気持ちはわたしの「言葉」で返し、わたしの所有物にしない、ということ。受け取ったと言葉で示すこと。今のところは、きっとそれが、わたしを保ちながら他者に寄り添える手段なのだと思います。

だけど、言葉で受け取った気持ちを表すことは難しいです。わたしの感じた苦しみと相手の感じた苦しみは同種ではないし、相手の気持ちを100%理解した気になってはいけないと思うから。そうすると、わたしは何を言葉にすれば良いのでしょう。何も言葉にできない時だってあります。

でも、たとえ言葉にできなくても、もしかしたら大丈夫なのかもしれません。

きっと大事なのは、他者と自分は別の人間だと認識することです。話が非常にまどろっこしいですね。わたしは、良い意味での傍観者でいたいです。自分を他人と違う人間だとわかりつつも、どうでも良いなんて突き放すようなことはしない人。

そうですね、相変わらず理想だけ高くて、何もできないわたしは、わたしです。わたしはわたしのペースで理想を叶えていければ良い、そう思います。

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