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前田恵一のプロフィール(半生)

詳細プロフィールにアクセスありがとうございます。
前田恵一と申します。

こちらのプロフィールは、略歴ではなく、
私の公私含めた半生を記載しておりますため、
多少長めの記載となっております。
目次をご覧頂きながら、気になるところに飛んでいただければと思います。

私は、現在前田塾というビジネス私塾をやってます。
2013年から始めて、通算3,000名を超える方に
ご受講頂き、若手ビジネス教養私塾としては
国内最大級の規模になってきました。


1979年生まれの鹿児島出身です。
数学教師になることを夢見て、上京しました。
入る学部を間違えたり、いろいろありましたが、
現在は結果的に数学に多少関係がある講師業(AI・ファイナンスなど)
を営みながら、楽しく生きております。

以下、簡単に半生をまとめてみました。
ご笑覧ください。


1979年:鹿児島で生まれます

1歳のとき。
3歳のとき。
7歳のとき。病気で半身不随になってしまった弟と。

1989年:弟が亡くなる

少年期の一番の事件です。9歳ながら、母の心痛が伝わりました。
母子家庭であったため、母親を支える手段として
「勉強しなきゃ」と心に決めた時期です。

6歳で弟は亡くなりました。

1995年:福岡県立小倉高校入学

鹿児島から北九州市に引っ越し、1年9カ月おりました。
この青春期を過ごした北九州市小倉は第二の故郷です。

男性だけのクラス(ダンクラ)に配属。上から3列目・右から2番目の私のふてくされた顔の理由は察してください。

1998年:鹿児島県立鶴丸高校卒業

2年生の3学期に編入で入ったにも関わらず、化学や数学をクラス向けに放課後レクチャーしたことがとても受けがよく、仲良くなれました。
「学びを通じてのコミュニティ形成」を体感した時期でした。
ちなみに、この辺から数学教師への憧れが強くなっていました。

学年一仲良いクラスだったなぁという自負ありです

1999年:福岡駿台予備校

毎日勉強しましたが、この時期にたくさん映画を見ました。
いい映画が本当に多かったです。

グッド・ウィル・ハンティングが特に大好きでハマりました。
より一層数学で生きていくことへの憧れが高まることとなります。
数学教師から数学の研究者に夢が変わります。


2003年:東京工業大学工学部電気電子工学科(旧第5類)卒業


センター試験で失敗し、後期試験で本大学を選ぶことに。
急遽選んだ5類は、まさかの数学ではなく電気電子工学でした。
前半は、やさぐれてあまり学校には行ってませんでした。
代わりに授業料や生活費を自ら賄うため、アルバイトの日々。
特に家庭教師をたくさんやっていました。

クラスメイトとは、旅行によく行ってました。
非常に人間的魅力に溢れたクラスメイトが多く、
とても楽しい大学生活でした。

5類の友人たち

意図した学部ではなかったものの、ちゃんと勉強してみると
電気電子や情報工学はこれはこれで面白く、
研究テーマの音声認識も非常に楽しく学べました。
特に恩師・古井先生には大変お世話になりました。

友人たちのおかげもあり、なんとかギリギリ卒業に漕ぎつけます。
「自分は勉強が得意だとか、一人でやるものだという思い込み」
が消えた経験を得ました。
一人では成しえないこともあるんだなぁと学びました。

学びも遊びも一生懸命に共にした友人たち。
いまだに毎年サシ飲みしている仲の平井くん

2005年:東京大学大学院情報理工学系研究科修了

研究テーマ:遺伝子発現部位の機械学習
数学の研究者の夢への限界を感じました。
努力だけでは超えられない壁みたいなものを感じました。

「料理が上手いことと、上手なレシピを作れる力は違う」
そうはっきり感じました。

悲嘆にくれ、学校にいかず、友人と飲んでいました。。

酒に逃げ、酒に溺れ・・。
潰えた研究者への夢のあと、
自分はどうやって生きていこうと真剣に悩みました。

その当時は、「飲んだくれ」という表現がおそらく正しかったと思います。

飲んだくれといってもこんな感じですけど。。

友達に本音で悩みを話し、築かれる絆の有難さに気付き始めた時期です。

2004年:IBMビジネスカレッジに出会う

友人に紹介され、応募し参加してみたIBMビジネスカレッジ。
1,000名を超える応募から58名に選んで頂けたこともあり、
「いい場所にしたい」という気持ちが先走り、
出会う前に旅行を企画したり、期間中毎日飲み会を行うと宣言したりしましたが、結果自分の人生を大きく変える場となります。

初日に毎日飲み会開催を58名の前で宣言
セッションの休憩中は常に参加人数の把握と居酒屋の空き探し。
東京にきてからの初めてのコミュニティ形成成功体験

2004年:前田部誕生

IBMビジネスカレッジ以来、
ほんとに新しく友人を作ることが楽しくて、楽しすぎて、
週次でたくさん飲んでいました。

自分の部屋もカギを開放し、誰でも入れるようにしました。

自分の部屋は「部室」と呼ばれるようになり、集まって飲むことが
「部活」だと位置づけられ、それら活動を「前田部」と回りから
呼ばれるようになりました。

我が家改め、「部室」です。

部屋にだんだん入りきらなくなってきたので、活動拠点を
居酒屋に移します。

当時渋谷和民に大勢で出没する学生団体「前田部」

当時、前田部員は500名を超え、2005年入社就活生界隈でちょっとだけ目立っていました。

フロア全部貸切ってパーティをし続けていた日々。

だんだん定例会は毎回100名を超える規模に。

2005年の新年会の様子
※この辺のイメージはこちらで動画を作ったことがあるので、ご興味ある方はご笑覧ください。

数学の研究者の夢は潰えましたが、多くの友人たちとの交流で
視野が広がり、「数学の研究者じゃなくても人生は幸せに過ごせる」という
当たり前のことに気づかされました。

2005年:IBMビジネスコンサルティングサービス入社

IBMビジネスカレッジをきっかけにIBMとIBMに集う友人たちに魅力を感じ、IBMビジネスコンサルティングサービスへの入社を決めました。

IBMビジネスカレッジとはまたひと味違う魅力的な同期たちに恵まれ、
半年間みっちり研修頂きました。
とても贅沢なことで、有難いことだったと思います。

本当にきつくもあり、充実していた新人研修時代

仕事は財務会計の仕組み刷新にご縁があり、携わってきました。

厳しくも優しい先輩方@IBM

2006年:新人研修の設計・開発・講義を担当

新人時代の動きが認められ、光栄にも新人研修担当役を拝命。
サラリーマンとして「講師業」を体験させてもらえた有難い時期でした。

2006年4月~11月まで長期に及ぶ新人研修のインストラクターとして

2007年:会計データの移行業務を主担当として。

研修業務から現場に復帰し、引き続き休みなく働く日々を続けます。
大量にデータを処理すること全般が得意になったのがこの時期です。
9時~25時まで毎日SQLやExcelと格闘した1年間でした。
仕事を「楽しい」と思えるようになるまで時間はかかりましたが、
出来るようになると楽しくなるものですね。

プライベートほとんどなく、深夜まで毎日ひたすらに働いてました

働き続けて、睡眠障害になったため、医師に相談。
なんと図らずもドクターストップがかかり、
プロジェクトから離れることに。やることないし、
平日日中お話相手として転職エージェントと話してたら、
トントンと話が進みすぎて野村證券に進むことになります。
IBMを辞めるつもりも特になかったのですが、
お給料あがるし、新天地でのチャレンジもしてみたく決めました。
「数学を用いた仕事をしたい」
という願いを受けてくださり、
クオンツ分析を行うトレーダーとして配属が決まります。

野村證券への転職が決まり、初めての長期休暇。有給休暇中に行ったイタリア一人旅。2007年11月

2008年:野村證券にて株式トレーダーに転身。

金融業界に一転。右も左もわからない中、「ニュースや社会のことをひたすらにインプットした」3年間となりました。
上司がイギリス人だったため、英語も必死に勉強しました。

野村證券2005年入社組飲み会

ただ仕事ばかりしていたというよりは、
余ったエネルギーで日本中徘徊していました。

東京から名古屋までの自転車旅行

新富町で友人とルームシェア生活をスタートします。
経済産業省の森川くんと住むことで経産省の友達がたくさん増えました。
普段絡むことがなかったこともあり、パーティが毎回新鮮でした。

一番左:森川くん 官僚って本当に面白い人が多いです

2010年:三田で2回目のルームシェア生活開始

そんな中、当時マッキンゼーにいた加藤エルテスくんと意気投合し、
ルームシェア生活開始。彼からの刺激はとてつもなく、結果サラリーマンを辞めることを決意します。

盟友エルテス(真ん中)とルームシェアしながらホームパーティする日々


2011年:レゾナンス社創業・代表取締役

エルテスくんからの影響もあり、
「ホームパーティを通じたコミュニティ形成」に時間全部を注ぐため、
会社を辞めることになりました。

同期で最も仲がよい方志くんもIBMを辞めることに。

現・ダイアログ社長の方志くんもレゾナンスの創業メンバー
創業期はほぼ毎日ホームパーティをしていました。

2012年:Business Mentorshipプログラム(5回開催)

ホームパーティだけでなく、
「学生と社会人の対話を通じたコミュニティ形成」へのチャレンジを開始。
1年半心血注いでかけて150名(30名×5回)の20代前半の若手の方々向けに
コミュニティ形成を行いました。
コミュニティマネジメントの要諦を学べた時間でした。

前田塾の原型、「ビジネスメンターシップ」プログラム(通称:BM)コミュニティは未だ健在
圧倒的満足度のコミュニティになりました。

2013年:前田塾開始

Business Mentorshipは事業性が低かったため、継続の観点も重視し、
「真剣に学ぶことで絆が深まる」ことを仮説に、
「学びを通じたコミュニティ形成」へのチャレンジが「前田塾」です。

自宅で、しばらくやっていました。

2014年:塾生200名突破

2014年:家族への還元


ようやく創業して軌道に乗ってきたこともあり、遅まきながら、はじめて家族に海外旅行をプレゼント。母と叔母と3人で台湾に行きました。

左:母 にプレゼントした宝石は、予想を超えて喜ばれました。

長崎のオランダ村旅行

台湾で買ったネックレスがたいそうお気に入り

2014年:35歳の誕生会

メモリアルで最高に楽しい誕生会でした!

2015年:各種学生会立ち上げ

大学の中でも「コミュニティが作りづらい」と聞き、
各種学生会を立ち上げていきました。

東京大学法学部会を立ち上げ

2015年:武者修行プログラムとの協業

山口和也氏と意気投合。以降兄弟プログラムとして活動していました。

ベトナム・ホイアンにて前田塾開催

2016年:引っ越し(六本木→東新宿)

前田部と同じ様相を呈してきました。

2018年:前田塾5周年

記念して過去の経緯を動画にまとめました。

2019年:トップキャリアコース開始

30歳前後を対象とした30名選抜制コミュニティ形成へ挑戦。
「Business Mentorship」の社会人×学び版。

2020年:前田のニュース解説(現・前田塾大学)開始

コロナ拡大に伴い、オンライン化を決めました。
野村證券時代に培った「朝の新聞読み合わせ」を工夫したコンテンツ。
気になるニュース及びその背景を1時間語るコンテンツに延べ100名参加してくださいました。

現在はニュース解説だけではなくオンラインでディスカッション(オフ会は2か月に一度)型のゼミ形式で前田塾大学に進化しています。

2022年:前田塾講義動画オンデマンドサービス開始

WEB PORTALでいつでも購入できる仕組みが完成。
1講座2,980円から好きな講座を好きなタイミングで学べる環境が実現。


今に至ります!3,000名を超える方に関わっていただき、感謝です。

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Panasonic Let's Note Special Interview 07 前田恵一


(長めのインタビュー記事)前田恵一の歩み