見出し画像

無題

2024年になりました。
大晦日はじいちゃんの家に泊まってうまいもん食べさせてもらってそのままお正月を迎える、じいちゃんとばぁちゃん、叔母が3人で暮らすようになってからいつもの恒例行事。幸せだ。

1/2に初詣に行っておみくじは「吉」で
1/3にインフルにかかって幸先が悪すぎやんと毒づき、もう完全に治りましたって
1/9の朝にじいちゃんが亡くなった事を知った。

インフルかかってる時にじいちゃん、ばあちゃん、叔母の3人共がコロナにかかって、じいちゃんが入院してる事は聞いてたけど、全然大丈夫そうって病院の人も叔母も言ってたけど、タバコ、LARKの3ミリ(それ以外吸ってるの見た事ない)をバカスカ吸ってたし可能性は考えてた。

1/9の7:30に母親が電話が来ていて、起きてたけどそうゆう内容かなと思ってしまって無視して、美容院に11時に行くつもりだったからその後にしよって、1時間置きに電話が来ていて不安は何度も過ぎるけどまた無視して、髪を切って家に帰ってから電話した。そうゆう内容だった。
その日は涙が出なかった。

もしこんな場面で「体調が急変したから早く来て」って連絡だったら絶対だめなんだろうけど
考えたくない目の前の出来事から逃げてしまう卑しさは嫌な意味で自分らしいなと思ってしまった。これからも意味はないのに一旦考えてしまうのはやめれないかもしれない。

お通夜の前に実家に戻って出迎えてくれた父の顔は何度も涙を流した事が一瞬で分かる顔をしていて、きた。

じいちゃんの顔を見ると葬儀屋さんが綺麗に顔周りを明るくしてくれていて嬉しかった。
遺影を見るとその写真がすごくいい顔をしていて
涙はすぐに出た。本当にいい写真。

じいちゃんが大好きだった。
控えめじゃなくてめちゃくちゃ甘やかしてもらった。2人で色んなところに連れて行ってもらった。本ばっか読んでて寡黙だったけど大好きだった。最近はいつ会えなくなるか分からないから行ける時は家に行って顔は見ていたから後悔はないけど、もう会えないもんね。

2週間前の2023年の大晦日にあまり言わないのに「俺もビールをもらおか!」って言って
僕がついで
「あぁ久しぶりに飲むビールは美味いな!」って言った言葉が何度も思いだす。何度も
最期に会えて良かったなって本当に思う。

SNSみたいなネットのゴミ箱に言葉を発するのは嘘臭いなと自分でも思うけど、今だけのこういう気持ちを残したいなと思う。
全部が具体性に欠ける僕だけど信じた事を頑張ろうと思います。

あぁあの写真、本当に良い写真。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?