見出し画像

お薦めが思い出になる前に

これは、僕がいつも感じていることの一つを取り上げたものです。誰もがインターネットで発信できる時代で、ちょっと皆さん、考えてみません?という点について書いています。

「何も信じられない」ってなってくるのは嫌だよ

僕は特別疑り深いタイプでもないんですけど、物事はちゃんと見極めたいなとは常日頃思っています。そんな中、よく触れることの多いインターネット、そしてSNS…虚も多いのは昔から言われてますが、個人が発信しやすくなった今だからこそ、改めてちゃんと考えたいなって最近もとても感じます。

「何も信じられない」なんてことは嫌だし、現実はそんなことない方が多いと思いたいので、良い言葉に出会いたいなって気持ちで記していきます。

本当に薦めているかの揺らぎ

例えば、アフィリエイトを否定するわけじゃないですけど、本を薦めている人がいて、その人がAmazonのリンクを貼っていたら、「あ、アフィリエイトやってるのか」って思っちゃう。(やってない場合も多いです)

もちろんそこで、「別にいいやん。そんなの誰でもやってるし」ってなればいいんですけど、お金目的なのかもって思ったら、『本当にこの人は良いと思って薦めてるの?』ってなってくるんですよね。その薦める気持ちの向こう側に何があるのか、そんなことを考えてしまう…。

僕はこれの「別にいいやん」と「本当に良いと薦めてる?」の両方を感じちゃうタイプです。アフィリエイトをやることには否定もなにもないけど、それとは関係なくちゃんとした気持ちは持ってよねって。

なので僕は、こういうときこそ、しっかり言葉を見ます。
本当に言いたいことは何か、ちゃんとした気持ちで言っているのか、この人はこれをなぜ言ってるのか…。すべて憶測だけど、それで信用するしないを考えればまぁ納得するしかないでしょ。

そうすると、現にお金目的の人はハッキリ見えてくるもので、言葉がペラペラなんですよね。どの本にも同じように評せることしか言ってないし、ただただオススメ!って言ってるだけ。
もしかしたら、インフルエンサーとかならそれでいいのかな?まぁそういう人は廃れていくとは思うけど…。

学びについても感じる薦めの違和感

お薦めの勉強法なども同じように、違和感を感じることも多々あります。学びについては、何か物を薦めるときとは、ちょっとまた違う問題があるんですよね。

こうした方がいいよって言われても、それが当人にとって再現性があるかが結構な問題。ただ言いたいだけの人、教えたがりの人でその問題を越えていけてる人はあまり見受けられないです。
なんでかって言うと、その人を見てないから・想定してないから。

まるで教科書や参考書に書いていることをそのまま言ってる人、その言葉は広くわかってもらうためのものなので、ピンポイントで「あなた」となったときに効果が薄いんですよね。それはSNSの中にいる広い意味での「あなた」であって同じです。そのあなたを想定できてない発信は、誰にも響かない。僕はそう考えています。表面的には良いこと言ってるから、いいねはつくかもしれないけど、学びたい人には深く入り込まずに足りない内容かもしれません。(それでいいんでしょうけど)

こうした方がいいと薦めたい、本当にそう思うなら、自分の言葉で、しっかりとその人(たち)に合う言葉を送ってほしいです。

結局は薦める気持ち。良いお薦めで僕を困らせて

まとめです。

例として二つ、➀物を薦めるとき、➁学びを薦めるときについて挙げました。これらに共通して僕が求めたいことは気持ちの部分です。良いモノを薦めたいというその気持ちをちゃんと持ってほしいです。
そこに嘘はあってほしくないし、テキトーでもあってほしくないです。そして想いがあること。借り物でない言葉でその想いが入っていてほしいです。

何か下心があってもいいんです。優しいふりだっていいんです。そこに薦めたい気持ちがあって、それが本当に良いモノなら、なんて素晴らしいことなんだって。そんな良さげなモノであふれていることを知ることで、僕はどうしようか手を出そうか試してみようか困ってみたいんです。

終わり。続編、「魔法のコトバ」をお楽しみに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?