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つくり手であること 07*お米

母がお米農家さんと再婚して20年になりました。

おかげさまで私もこの20余年は、母と義父のお米を食べて、健康でいます。

義父の家は新潟県・佐渡市。そのためこの20年は、母に会い に佐渡まで行くようになりました。

親戚も友達もいないまま通い続け、故郷でもないのに常に市政や天候も気にしたりして、私にとってはすっかり親近感のある存在となった佐渡。さらにこの10年ほどは夫も一緒に佐渡でのんびり過ごすことが定番の夏の予定となりました。

佐渡の家は隣家も遠いし自宅の敷地も広いため、想像を超えるほど静かな環境です。
ありがたいことに日頃から健康ではあるのですが、佐渡にいるといつも以上に毎夜ぐっすりと深く眠れますし、この島では農産物が「なんでもよくできる」と言われているように、何を食べても唸るほどにおいしいため、結果として、よく食べて・よく遊び・よく寝る、という健康優良児みたいになって過ごしています。

しかし、ある時ふと、夫と一緒に気づいたことがありました。

「何も手伝わなくていいんだっけ?」と。

大変お恥ずかしい話ではありますが、それまで何ひとつ強要しない義父の優しさに甘えたまま、”ただ夏の間に遊びに来てる娘夫婦“と化していたのでした。

聞けば、田んぼの広さはぜんぶで3町歩(ちょうぶ、と読みます)、約3ヘクタールに相当します。甲子園球場が3.8ヘクタールだそうですので、義父1人で管理していると思うとなかなか広大な広さ。

母は農作業をするというよりも義父のサポートが中心ですが、それでも「稲刈りのときは田んぼで一緒に稲刈りするよ」と、鎌で手刈りする仕草を両手でジェスチャーしながら言うのです。

え、手刈り??トラクターじゃないの??と驚きながら聞くと、田んぼの角だけ先に手刈りをしてトラクターが切り返しやすいスペースをつくるんだとか。それをすべての田んぼで2人だけでするのがまぁまぁな作業だ、と言います。

信じられない...その時点ですでに15年近くもの間、何ひとつ知らずにただ「おいしい、おいしい」と食べていたなんて...信じられない...自分自身が情けなくなりました。

もちろんその15年前は母たちもずっと体が動かしやすかったのだと思います。時が経ち70代となり、農作業が体力的にキツくなってきた時でもあったのでしょう。
とはいえ、もっと早く言ってくれたら手伝ったのに〜、という後悔の気持ちと、これまで何も言わずに好きなだけ食べさせてもらっていた感謝でいっぱいになった私たちは、それ以降、稲刈りの時期には必ず手伝いに行くようになりました。

ベテランの義父は天候を見ながら稲刈りのタイミングを直前に決めるため、わたしたちも秋は出来る限り予定に幅を持たせて調整し、仕事(パソコン)を持ちこんで佐渡へと移動。さながら季節労働的な家業手伝いをしてる現在に至ります。

日本の農の未来

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