天河神社 旅の話その8 観月祭1
夕暮れ時になって、私たちは授与所へ向かいました。
予約名が中谷になっていて(仲谷です)間違っていたけど、神様には実名と仕事での名前をお伝えしているから、特に気にしません。
儀式の参加者として首から下げるものと、記念品にお蕎麦をいただきました。
記念撮影。
名誉宮司の柿坂さんは既に座って準備をされています。
階段を上がると、現職の宮司さんたちが準備をしています。
参加者も少しずつ集まってきました。
朝拝の場所で写真を撮ってはダメだと言う参加者がいたので一部割愛していますが、観月祭は誰もが自由に写真やビデオを撮っていました。もしダメならアナウンスがあったと思うので、観月祭については公開します。
一般的に写真は場所とか位置によりますね。この先が禁止と表示があったり、遠くからはお咎めはないケースが標準的かなという認識です。(ただズームもできる時代なので、たった一つの答えを求めるよりケースバイケースかな)
神様は気にしていないけど眷属が気にするところもあるようです。
ただ間違いなく言えるのは、本当にダメな時は写せません。
ボケたり、撮ったはずなのに残っていなかったり、押しても反応がなくて写せなかったり。
高波動過ぎてぼけることもあるようです。
個人的には神様は人間よりずっと心が広く、人間社会のマナーに基づいて判断しているわけではないし、熱心な人を微笑んで見守ってくださっていると思っています。(あとは人間同士が不快でないかどうかの話)
儀式はとても興味深かったです。祝詞もあるし般若心経もあるし、真言もあるし、とにかく何でもかんでも神様仏様大好きです!って信仰心を全面に出した感じ。それでいて下品にならないのは、敬いの波動が満ち満ちているから。
私たちは、関係者でも氏子でもなく、数日前に申し込んでいるので端っこの後ろの方の席です。だから階段を登ったり降りたり何をやっているのかといったところは少ししか見えないのですが、それでも十分に幸せに浸っていました。
私が一番好きだったのは、扉を「ギイーーーッ」と開ける時と閉める時に宮司さんが出している声です。
「お〜〜〜〜〜〜」としか聞こえませんが、音に詰まったものというか満ちている何かを強く感じるのです。
そういえば、儀式では携帯が鳴らないようにとかオフにしろということも言っていませんでした。
スマホのメモを振り返ります。
命は水である 月は水 太陽は熱
真名井
心の病 身体の病を癒す
健康で豊かで日々に栄える
(祈りの目的)
お金は 働きで出た 循環
心の受け皿
世の中 有り余るものを与えて循環させる
良い意識レベルを持てばよいのではない
意識を表に出して日々の(※書ききれず)
9月6日〜10日は最高に日が良い
文章でメモできなかったので何だかよくわからないものです。すみません。
でも大事なポイントも含まれていると思います。
天河神社が水を大切にしている神社だということはよく分かりました。弁財天様はインドの川の神様サラスバティーから来ていると言われています。私は夏にサラスバティーを描きたくて参考画像を集めていた時がありました。結局納得する構図までいかなかったのですが、その時にちょっと弁財天様について学びました。
ちょっと脱線しますが、私は2年前に天橋立へ行って、籠神社と奥宮の真名井神社を参拝しました。その時の写真がこれ。
流れがあって天河神社に辿り着いたのかなぁ…神様アンテナがもうちょっと発達したらはっきり分かるのかもしれません。
後ろを振り返ってくださいと言われ、今度は後ろ向きに座ると舞台で2人の巫女さんが出て来て巫女舞を披露します。ちょっと緊張している感じでした。
次に、亡くなった神社に貢献された方(お名前覚えていません)に捧げますと「たたら舞(アナウンスそのまま)」が披露されました。HP行事に太々神楽講という表記があって、それのことなのかもしれません。太鼓の男性と綺麗な衣装で女性が両手に鈴を持って踊りました。
研ぎ澄まされた緊張感が作り出す表現は芸術的で本当に素晴らしかったです。本気でやるっていうのはこういうことだぞ!と見せられた気分。
また前を向くようにアナウンスがあって、神前での儀式は締められました。
そして今度は外に出るように言われます。
続く
ご拝読ありがとうございます。記事は体験から受け取るものが多く、一歩ずつ挑戦しています。応援していただけると嬉しいです。いただいたサポートは創作活動に使わせていただきます。