魔法のくすり
日曜日の電車は混雑していて、乗り込んですぐに空いている席を探したけれど座れなかった。きっと30分くらいなんとかなる。なるなる、なるなる大丈夫。イヤフォンを耳にしっかりと突っ込み、思い切り入り込んでしまうような音を探す。ダークサイケ。日曜の昼間にダークサイケっていうのも悪くない。
外はとてもいい天気で、車内の人達もどことなく浮かれている。ガイドブックを片手にあれこれと相談している人達もいる。きっと観光客だろう。観光シーズンになるとこの電車は土日の昼間でも容赦なく混む。そういう路線に住んでいるので諦めてはいるが、やはり混んでいる電車に乗ることを思うと緊張してしまう。
パニック障害。
そんな病名をつけられたのはもう大昔のこと。全く外に出られなくなったこともあるが、今は普段の生活に支障をきたすほどではないので障害ではない、単なるパニック持ちだ。時々忘れたころに発作が出るが、予兆があったらすぐに薬を飲めばよい。お薬さまさまだ。
人にもまれて時々よろけながらも音に聴き入って、今のところは大丈夫。いいぞいいぞと思っていると車窓に遊園地が見えたあたりから心臓が跳ね始めた。
やばい、これはやばい。来るぞ。
いやいや、やばいと思うからやばいんであって、やばくないと思えばやばくない。そんなことより薬を飲むのだ、薬を飲んだら治まる。くすりくすりくすり。やばくないやばくない、くすりくすりくすり。
冷や汗をかき始めた手でポーチを取り出す。ない。ポーチの中にない?私の薬という薬はここに入っているはずなのにない?ああもう、日曜の昼下がりにダークサイケなんか聴いたから悪いんだよ、まったりとCafe Del Marでも聴いておけばよかったんだよ!イラつきながら音を止めてバッグの中をがさがさと探す。バッグのポケット、お財布の中、カードケース、ハンカチの間、バッグの底にもない、ない、ない、ないよ、どうしよう……。
とりあえずすぐにでも電車を降りたいが特急に乗ってしまったせいでなかなか止まらない。次の駅まで約10分。10分も持つのか?
何とか気をそらそうとLINEをする。震え始めた手で必死にフリックする。
やばい、パニクってる
――今どこ?電車?
そっちに向かってる。くすりない
――ちゃんと探した?ポーチの中は?
ない、おりたい
――次どこ?
○○、あとすこし
――次で降りなよ。わかった?
うん
たったそれだけのやりとりに何十分もかかったような気がする。
やっと次の駅に到着し、転がるように電車を降りてなんとかベンチまで歩いて行く。ベンチには他に誰もいなかったので人目も気にせずに横になった。
心臓は飛び跳ねているし、くらくらするし、手は震えているし、このまま死んでしまってもおかしくない。いやしばらくしたら確実に治まるのはわかっている。でも今なら死んじゃうかもしれない。とにかく苦しいのと心細さで涙が出そうだ。視界の端に自動販売機が見えた。水が飲みたい。でも今はあそこまでも歩けない。
あ、いたいた、と声がする。見上げると普通の待ち合わせ場所にいるみたいにのんびりした様子で彼が立っていた。
――入場券って初めて買ったよ。大丈夫?体調悪かった?
水が飲みたい…。
――水?ちょっと待っててな。
ああ、魔法のくすりがやってきた、と自動販売機に向かって歩いて行く背中を寝転んだまま、本当にほっとして眺めた。
©madokajee
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