文章について考えてみた
hoshichikaさんの『才能って執着のことだと思う』を読んで、ふむふむと納得することがあって、自分なりに文章について考えてみた。
私はnoteの中ではきっと「文を書く人」に分類されていると思う。
ここ以外でも文章は書いているし、書いてお金をいただくこともある。ということで、完全に文章の人と認識されている、というのを前提として書いていく。
まず、初めに私は文章の人としては、文章はあまりうまくないほうだ。それは自分でもしっかりとわかっている。
「自分のそのクチが文章の人いうたやんけ」
と怒られても、うまくなるには限度っていうものがあるんだから怒らんといて~。
むか~し文章を人前に出すようになった頃、当時の親分と編集者に「おまえの文章はうまくない。でも素直さと勢いがある。それを伸ばせ」と言われたものだが、結局そのまーんま文章もうまくならないで、素直さというか、ストレートさと勢いだけで乗り切っちゃってここまで来た。要するにうまくなくても文章は書いていいし、書けるのだ。だから、はい、みんな、書いて書いて、どんどん書いて。私もこんな文章でも恥ずかしげもなくどんどん書き続けているのだぞ。
私は創作の人ではないし、エッセイというほどの文章を書いているつもりもないので、常にタグにも「雑文」と書く。創作には創作の世界があるけれど、私は雑文の世界の人だ。創作の人を目指す気もさらさら無い。とかいいながらたまーに創作してみることもあるが、ああ、やっぱり私がやりたいのはこっちじゃない、雑文を書くのが好きなのだと実感する。
文章を書きたいけど書けないという人は結構いる。けれど、これ日本人の特性かな、「ちゃんとした文章を書かないといけない」と思いすぎだと思う。英語もそうでしょう。単語を並べて、ボディランゲージも交えれば、結構通じちゃうし、私は海外でもそれで通してきた。大切なのは伝えようとする意志!
文章も同じだと思う。
「自分はこんなふうに感じた」
「自分はこのネタを伝えたい」
そう思ったらとりあえず、まずは書いてみる。Just do it!
下手くそなりにずーっと書いていると、自分の間合いとか、句読点を打つリズムなんかがわかってくる。句読点は偉大だ。文章のリズム感はとても大事。創作の世界ではまた違うけれど、単に文章を書くのならば巧みな文章を書こうとするより、リズム感があってすんなり飲み込める文章を書こうとするほうが大事、絶対に。美文を書こうとする必要なんて全く無し!
……なんてことをhoshichikaさんの文章を読んで思いましたとさ♪
@madokajee
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