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日々之雑感 28

迷子になるのが平気な子どもだった。
知らない場所へ、まだ補助輪のついた自転車に乗ってどんどん行ってしまうような子どもだった。

家から少し離れた場所に踏切があった。
「1人であの踏切を越えて行っちゃダメだよ。車もたくさん走ってるし、ずーっと行ったらどこに行くのかわからないから、絶対に行っちゃダメだよ」
母は私に何度もそう言い聞かせた。私にそれを言うのは完全に逆効果だ。

踏切の向こうに行ったことはある。父の車に乗せられて行ったそこは、あまり人気がないのに、やたらと大きな倉庫がたくさんあって、時々大きなトラックが走っている場所だった。大人になってから確認すると、色々な企業の卸売のための倉庫街で、卸売団地、と呼ばれていたらしい。

何よりも魅力的だったのは、私の住んでいたあたりは田舎で、まだ舗装されていない道が多かった。卸売団地は完全に舗装されていて、しかも道幅が広かった。舗装された道は補助輪がついた自転車でもスイスイ走ることができる。

ある日、意を決して1人で踏切を越えることに決めた。
母は仕事をしていたので、家にいる祖母に、遊びに行ってくる、とだけ言って、自転車を漕いで行った。1人で踏切を越えるのは初めてでドキドキしたが、卸売団地に入るとテンションが上がった。

広い完全舗装の道、たまに通るトラック。人気のなさがさらに異世界のような雰囲気を作りだしていて、私は興奮しながら必死に自転車を漕いだ。漕いでも漕いでも続く道。気分で右に曲がったり、左に曲がったりしながら走り回っていると、どこを走っているのかまったくわからなくなる。それでも少しも不安を感じずに走り回り続けていると、踏切が遠くに見えた。よし、そろそろ戻ろうと、後ろ髪を引かれながら踏切を越え、やたらと走りにくく感じる砂利道を通って家に帰った。もちろん、踏切を越えたことは黙っていた。

迷うことに不安を感じない、知らないところに行ってみたいと思うのは病気とか、性癖とか、そんなものに近いと思っている。私は迷子癖はないと思っているが、単に迷うことに不安を感じていないから、違う方向に行っても「あ、間違った」としれっと方向転換しているだけのような気がする。

で、何が言いたいのかというと、特にない。
ふと卸売団地で必死に自転車を漕いでいた気分を思い出した、それだけの話。
大人になってもあまり変わらないから、三つ子の魂どーのこーの、ということにしておこう。そうしよう。




©madokajee

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