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【読書感想文】「19世紀イタリア怪奇幻想短篇集」(橋本勝雄・編訳)


今回は読んだ本の感想です。短編集なので一つ一つ印象を述べたかったのですがそれをTwitter でやってしまうのは少し煩雑になりそうだったのでこちらで。感想というよりはいつも通り印象についての備忘録です。


以前ヘンリー・ジェイムスの「ねじの回転」についてその邦訳本を買いあさり訳し方の違いを比べたり巻末解説を舐めるように読むことをやっていたのですが(その辺もそのうち纏めたいところですね…)、6冊ほど買った中に光文社古典新訳文庫のものが含まれていました。2012年の土屋政雄先生の訳です。古典新訳文庫のカラーに則り読みやすい言葉で書かれつつ、節の区切り方で原作の持つ難解な構造に対して一つの道筋を示そうとなされていた一冊だったと思います。

さて、その「ねじの回転」はAmazon で買っていたので、以降も光文社古典新訳文庫で新しく発売されるたびに広告メールがおすすめとして入ってくるようになりました。だいたいは「おー、今度はこれが訳されるのかー」と思う程度でスルーしていたのですが、2021年1月刊行の「19世紀イタリア怪奇幻想短編集」については「そんな区分聞いたことないけど!?」という形ではあるものの興味を惹かれ買ってみようと思った次第でした。

正直19世紀イタリアの文学と言われてもピンときませんし、むしろ当時のイタリアについての知識というとロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディなどといった現代でも上演回数の多い作品のレパートリーにその名を残すオペラ作曲家たちの時代…という印象が強いものです。そのうえ怪奇幻想小説と言われましても…と、とにかく未知の世界。目に留まったのも何かの縁ですので、これは買わねばと突き動かされるものを感じたのです。

買ってから帯の記載を眺めてようやく知ったのですが、収録されている9編はどれも初邦訳なんだとか。そもそもの話収録作品の著者は辛うじてアッリーゴ・ボーイトをそれもオペラの台本作家としてその名前を記憶にとどめているのみでほとんど知りませんでしたので新鮮というレベルの話ではないのですが、ともかくなんだかこれらの作品に触れる日本の一般読者の最初の一団の仲間入りを果たした気分になりますね。だからなんだという感じですが。


0. 訳者まえがき

届いたこちらをめくるとまず始まるのは訳者である橋本勝雄先生による3ページほどの前書きです。ここでは各作品の1~2行程度でのあらすじとその選定意図が述べられています。

構成として「日本にあまりなじみのない19世紀イタリア怪奇幻想小説の一端を紹介する」ことに主眼が置かれているとのことで、タイトルを目にした時の私の反応は先生の思い通りであったことがわかります。

また作品の選定については「作品の知名度などではなく、読み応えと意外性のある選定とする」ということが意識されていたようで、あらすじだけでもおもわず身を乗り出して中身を読み進めてしまいたくなるような不思議な世界が展開されていました。

短編集に収録するお話の選定はそれだけでも個性や意図が強く出る部分だと思いますので、その構造を把握させていただいてから本文を読み進め始められるのはありがたいことですね。「先入観を持ちたくなかったら飛ばしてくれて構わないよ」とも記されており、読み方の幅を許容していただけるスタンスなのも大変心地よいです。


それでは収録9作品の感想をさらっと。

1. 木苺のなかの魂(イジーノ・ウーゴ・タルケッティ)

1869年発表、原題は「Uno spirito in un lampone」。木苺と訳されていますが、lampone はその中でもラズベリーを指すようです。話の理解には差し支えありませんが。20ページほど。

ふとそこら辺に生えてた木苺を食べたら、次第に自分のものではない意識が身体を動かしている感覚が出始めて…という怪談。

「自分の身体が思うように動かせない」だけの表現では済まない、詳細な事態の描写と周囲の人々の反応の数々が、少し可笑しさをも醸し出す作品です。

2. ファ・ゴア・ニの幽霊(ヴィットリオ・ピーカ)

1881年発表、原題は「Lo spretto di Fa-ghoa-ni」。やたら読みにくい名前が入っていて目を引くのですが、この名前がなんと…。20ページほど。

あらすじでの吸引力の強さと凄まじいまでの理不尽さによって、収録されている9本のうちで一番派手な一本と言えるのではないでしょうか。
読み進めながら「なんで代償がそれなの!?」「どういう名前?」「急に描写が色鮮やかになるね??」「なんで???」などとツッコミを抑えきれない不条理系ギャグ漫画のような様相を呈しています(私は「増田こうすけ劇場 ギャグ漫画日和」のノリで脳内再生を続けました)。

19世紀イタリアでの日本に対する認識というものの一例が表れているのかもしれませんが、我々もどんなイメージを諸外国に対して持っているのかについて思いを巡らせる良い機会にもなるでしょう…(?)

3. 死後の告解(レミージョ・ゼーナ)

1897年発表、原題は「Confessione postuma」。20ページほど。

聖職者の遭遇した奇妙な体験についての叙述。直前に収録された話からは一転して静かな雰囲気を湛えており、この短編集のバリエーションの豊かさと構成の妙を楽しませてくれる作品となっています。

4. 黒のビショップ(アッリーゴ・ボイト)

1867年発表、原題は「L'alfier nero」。「ラルフィエール・ネロ」なんてだいぶカッコいい響きですね。何かに使いたい。30ページほど。

ここからの3本は「生きている人間の方が怖いぜ!」というテイスト。

たまたま同じホテルの娯楽室で顔を合わせた黒人紳士と白人チェスプレイヤーがチェスにて手合わせしていると、勝負に熱くなった二人はそれぞれ思わぬ暴走をしてしまい…。時代背景と当時の価値観の色濃く表れた一本ですが、現代でも考えさせられる要素の多い内容でもありました。

アッリーゴ・ボーイトは後年にシェイクスピアの戯曲を基にヴェルディのオペラ『オテロ』の台本を執筆していますが、もしかしたら彼は「自分と相手の人種が異なるが故に生まれる葛藤」というものを取り上げることに興味があった作家だったのかもしれないな…とつい考えてしまいます。

5. 魔術師(カルロ・ドッスィ)

1880年発表、原題は「Il mago」。10ページほどと、収録作品の中でもとりわけ短いものとなっています。

近所から「魔術師」と呼ばれ畏怖されていた男性がしたかったこととは何か…。短いながらも、周囲からの偏見や目的への執着と言った人間が生きていく上で避け通ることの難しい感情の渦巻く有り様がこびりつくような筆致で立ち上る一本です。

6. クリスマスの夜(カミッロ・ボイト)

1876年発表、原題は「Notte di Natale」。実にシンプルですね。30ページほど。

ある青年のクリスマスでの出会いと晩餐を描くお話。ロマンチックなはずが後半にかけて不穏な気配が強まっていき…?
果たして最後に幸せだったのは誰なのか、読み終えて目を上げて考えてしまう一編です。

ところでご馳走を前にした時の言い回しが独特でよいですね。子羊の胃を掻っ捌く時と喩えられても全くわからんわ。


7. 夢遊病の一症例(ルイージ・カプアーナ)

1881年発表、原題は「Un caso di sonnambulismo」。ベッリーニが1831年に作曲した「夢遊病の女(La Sonnambula)」というタイトルのオペラもあるので、そこからの連想でなじみ深い?単語だったりしますね。30ページほど。

男性がある朝目覚めると、書き物机の上に覚えのない書簡が自分の筆跡で認められている。目を通してみるとそこには驚くべき内容が…という導入。

若干推理小説っぽいテイストなのですが、その話の核となるアイテムのせいで推理が入る余地がない恐ろしさ。…そもそもそれ、夢遊病とかそういうレベルではないのでは…?

※巻末の解説によると、当時のオカルト研究での夢遊病のイメージを反映したものだったそうです。

8. 未来世紀に関する哲学的物語 西暦2222年、世界の終末前夜まで(イッポリト・ニエーヴォ)

1860年発表、原題は「Storia filosofica dei secoli futuri」。副題で橋本先生の筆がノリにのっている感じがしますね。50ページほど。

科学者である「わたし」が研究の末入手した2222年のある男性の手により書かれた手記、という体裁で19世紀から24世紀までの世界史を概観する作品。19世紀について描いている前半は記述が細部にわたり批判まじりにもなっていますが、19世紀後半以降の未来については既存の国家の枠組みの消失や新たな世界宗教の台頭、「有害な知識の排除」を目的とした書籍の廃棄や人造人間(「オムンコロ」)の登場など、SF要素もたっぷり詰まった不思議な一本です。

「大陸別の連合」にはアフリカは勘定に入っていなかったり、なにかとドイツが不憫な役回りだったりと、当時の認識について思いを巡らせるに十分なフックが沢山あり、それらの一つ一つを紐解いていくのも楽しそうです。

冒頭で「類推科学」と「実験科学」をそれぞれ女性に例えるくだりがあるのですが、わかるようなわからないような言い回しで妙にクセになります。ここまでこの文章を根気強く読み通してくださっている皆様はお気づきのことと思いますが、私はそういう届く範囲も狭そうな上に費やした文字数に見合う得心が得られるか分からないような微妙な例え方の文章が大好きです。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」冒頭の、ほぼ読点がなしに1ページ目が終わってしまうようなああいうやつ。


9. 三匹のカタツムリ(ヴィットリオ・インブリアーニ)

1875年発表、原題は「Le tre maruzze」。またシンプルになりましたね。50ページほど。

短編集のラストを飾るのは、架空の王国を舞台に詩句の引用と言葉遊びに満ちた寓話。話全体としては一人の青年の忠誠心の篤さを描いてはいるのですが、その過程も結末も関わる登場人物がことごとく欲まみれのためとても子供への読み聞かせに向くような内容ではありません(誰がしようと思うかは措いておきます)。

主要な登場人物ももちろん頭を抱えるような欲深い連中ばかりなのですが、私としては終盤で顔を出す市井の方々の描写を見るにこの国の民度がとても心配です。

◯巻末解説/あとがき そして読み終えた感想

バラエティ豊かな9本の作品を読み終えると、巻末にも橋本先生による解説が。

19世紀イタリア幻想小説が「隠れたジャンル」になってしまった経緯と近年の再評価の流れについて述べられた後、各作品の著者についての略歴と収録作品の位置づけが纏められています。

収録作品が当時のどういった他の作家の作風や情勢を反映したものだったかが記されており、このジャンルについてより理解を深めたい場合の手引きとなりそうです。

続く訳者あとがきでは今回の収録から漏れてしまった作家名や作品の選定にあたっての反省点が並びます。まえがきとも合わせて、短編集の選定と編纂はそれだけでも大きく意図の入り込む作品づくりであることにあらためて気づかされました。

この短編集を通して読むことで19世紀イタリア幻想小説というジャンルの全てが網羅できる…という性質のものでは全くないとは思いますが、少なくとも自分のように書名に興味を惹かれジャンルの存在を知る機会を得る人が増えるのはこの本の、そして光文社古典新訳文庫というレーベルの目指すところなのではないかなと感じます。

ジャンルや作家の存在を知っていることそれ自体が、以降の自分の読書体験や読書に留まらない経験を肥やすこともあるかもしれないということを我々はよく知っています。この短編集はまさにそうした引き出しを増やしてくれるきっかけの一つとして大きな刺激をもたらしてくれそうです。

それでは本日はこの辺で。Ate logo!

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