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ビデオゲームと見た風景#2「テラクレスタ」

中学生ぐらいまでは友達とゲーセンに行くことも多かった僕ですが、高校になると家から遠かったり、バンド活動や女の子追っかけるのに忙しかったりと休日共に過ごす友達はほとんどいなくなりまして、僕は家でゲームしてるかゲーセンに行ってるかとゲーム三昧の日々。当時僕が主に通ってたのは福岡市早良区西新周辺のゲームセンター。数年前西新パレスというボウリング場の一角にアストロシティが2台ほどあったのを目にしてますが今もあるのかなあ。ということで2020年現在ほぼ絶滅してしまった西新のゲームセンター。かつては何軒もあったんですけどね。時代の流れとはいえ寂しい限りです。

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ということでかつて西新商店街周辺にあったゲーセンMAP、頑張って作ってみました。スマホだと小さくて読めないかもなのでMAP詳しく見たい人はPCでお願いします。ほんと遠い記憶すぎて見落としてる場所まだあるかも。今回ざっくり作ったけどこれロケーション別に思い出話してくのもありだなあ。まあ、それはまたの機会に。

今回舞台となるのはMAP中央右ぐらいにあるニチブツのお店。実は店舗の正式名称知りません。ただお店の看板に日本物産、ニチブツのロゴがあったのでずっとニチブツのお店と呼んでました。実際ニチブツのゲームはだいたい入荷してたと思います。今回サブタイトルとしてピックアップしてるテラクレスタはじめアーケードアーカイブスで配信中のニチブツタイトルはほとんど遊んだことあって、遊べたのはこのお店のおかげですね。アーケードアーカイブスでは出そうにない版権的に完全アウトな麻雀刺客なんかもここで……と、ニチブツのお店らしく脱衣麻雀にも強いお店でした。でも一番人気は全国の麻雀コンパネのHボタンを破壊した麻雀学園だったと記憶してますが。ニチブツ以外ではカプコン、アイレム、カプコン辺りは新作よく入荷してた印象で、圧力センサー仕様のストリートファイターアップライト筐体もあったはず。この頃の波動拳は3発も当てればサガットでもKOだった記憶で、手だとゴムが硬くて痛いのでボタンに肘落として波動拳出してたなあ。

さてさて、今回テラクレスタと書いてますが、ピックアップしたのは今ニンテンドースイッチとPSストアでサマーセール中というのが理由で、同じくセール中のアームドFでも、僕がゲーセンで遊んでた頃はブービーキッズと呼ばれてた気がするキッドのホレホレ大作戦でもニチブツタイトルならなんでもよかった。と言ったら怒られるでしょうか。でもどれでもいいんよなあ。今回取り上げるのはここで時間を共にした人なので。

みなさんにとってゲームセンターってのはどんな場所でしょうか。ゲーセンが舞台の作品で最もメジャーなのはやっぱりハイスコアガールでしょうか。ハイスコアガール、大変熱くて微笑ましくていい作品なんだけど、あのマンガやアニメに描かれているゲーセンに僕はちょっと違和感を覚えます。いや、そういう側面あるし、僕も格闘ゲームブームの時期は友達やゲーセンで知り合った学生さん達と熱くなってた時期もあるのであの感覚も分かるんだけど、僕が最も時間を過ごした10代の、1980年代後半のゲーセンは、もちょっと人との繋がりが独特というか、ぼっちとぼっちの細い繋がりといった感じだった気がします。繋がりを求めてたかも怪しいなあ。各々が自分と向き合い孤独を楽しむ場所としてゲーセンを選んでた。少なくとも僕はそんな感じです。

僕がそういう感覚持ってるのはゲームの腕前が大きく影響している気がします。僕の行動範囲だと福岡市中央区六本松に福岡のハイスコアラーが集う全国的にも有名なゲームセンター、モンキーハウスというお店がありました。雑誌に載ってる最新ゲームが次々入荷するお店なので当然行きたい気持ちはあるのですが、とにかく凄腕の猛者が集う場所でたまに覗くともうお店の入り口前から常連さんの圧が凄くてですね。ここは僕の居場所じゃないなと西新方面へ逃げて行ったのでした。あそこで勇気を出して飛び込んでったら、もちょっと違うゲームライフもあったかも思いますけど、当時のマダオ少年にはあの圧は無理だった。か弱い草食動物が静かに安心して過ごせる場所はあそこではなかったなあ。

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そんなこんなで、西新をホームとして遊びたいゲーム求めて色んなお店を行ったり来たりする日々。夏休みなんかはそれこそ開店から法律上限ぎりの22時までゲーセンで過ごすなんてのもざらでした。僕背が小さすぎて高校生なんだけど小学生高学年ぐらいに見られる状況だったので、PTAや風紀の先生の巡回で18時以降もゲーセンに居られるよう、普通は隠したがる生徒手帳を印籠のように提示して22時まで居座ってたのも今となってはいい思い出。
それはさておき、モンキーハウスハウスほどの常連さんの熱気はないものの、西新でもちょくちょく顔を合わす常連さんというのが何人か出てきたりします。とはいえ、僕は自分から人に話しかけるなんてとてもとても出来ない子で、相手もほとんどそんな感じだったかほとんど言葉を交わすことはありませんでした。しかし、そんな中で一人、とても印象に残ってる人がいました。

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僕のスコアネームは当時実際使ってたやつ。元は赤い光弾ジリオンの主人公から。

彼とはニチブツお店でよく会いました。彼はいつもポケットに手を入れて現れます。そして気になるゲームの前に座り、ポケットから手を出してゲームを始めるのですが、彼がプレイする光景を初めてみた時の驚きは今でも忘れられません。

彼の右手には指がありませんでした。いや、かろうじて、親指と人差し指の付け根だけが動いてる。という感じ。そんな手を駆使して、彼は僕よりも上手にゲームを進めていきます。初見こそ右手の様子に驚いてしまいましたが、ハンデのある手を器用に使ってゲームする様にある種かっこよさを感じてしまったというか、純粋にプレイヤーとしてスゲーなあと思うように。以降、彼とはほとんど話すことはなかったけど、凄いプレイヤーのひとりとして、10代の時間を過ごした貴重なゲーム仲間のひとりとして、今でも僕の記憶に残り続けているのでした。

彼は今元気にしてるかなあ。歳は多分僕よりも二つ三つぐらい上じゃないでしょうか。ハンデのある右手でしたが、ゲームの腕前はありましたし、ひょっとしたら、そのままプログラムのお仕事なんかに就いて、僕が遊んでるゲームの開発に関わってたりするかもよ〜。なんて、今でもたまに彼のことを思い出したりしてます。

ゲーム上手にやってた記憶はあるんだけど何遊んでたかは思い出せず。ニチブツタイトル挙げたけどR-TYPEとかだった可能性も多いにあるなあ(遠い目)。あれから30年以上経ちましたが僕は相変わらずビデオゲームが大好きです。彼も今も変わらずゲーム好きでいてくれるとうれしいなあ。

以上、ビデオゲームと見た風景第2回。流石にサブタイトルだけなのはあれなのでこの記事書くに当たってアーケードアーカイブスのテラクレスタとアームドF遊んでみましたが、自機との当たり判定の大きさに泣きました。ムズイ。昔はちゃんと火の鳥にもなれてたのに。パターンさえ思い出せばきっと……と思いつつ、ごまおつの弾幕の激しさとは裏腹な自機の当たり判定にやさしさを感じたマダオでした。
ではでは( ・ω・)/


サポート頂いたものは概ねゲーム会社に回ると思います