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ラジオ零れ話:不思議な夜の演奏会にて

こんにちは、いつも『漂着する!まだないとラジオ』を聴いてくださり、ありがとうございます。

今回は音楽家、渡邉塊さんをお迎えしてのトーク回でした。

冒頭からなかなか難しい話が展開しておりますが、非常にこのメンバーらしいカラーが出ている回だと思います。

ラジオ内でも触れておりますが、『土井見世』は、このコロナ禍の間、『リモートワークのモニター利用者を募集』という形で、かなり限定的ではありますが、いろいろな方にご利用いただいて、リモートワークの新しい利用法を模索しております。

その新しい利用法の一つに『アーティスト・イン・レジデンスとして利用できないか?』ということも、ラジオ内で語られております。

『アーティスト・イン・レジデンス』とは、なかなか聞き慣れない方もおられるかと思いますが、要するに、創作活動をしているアーティスト(音楽家や劇作家、画家などなど)に泊まる場所と表現物の製作場所を提供する、というものです。

アーティストも、環境が変わったりすることで創作活動の刺激になることもありますし、例えば、東紀州ならば熊野古道、というものがアーティストにとっては何かしらのインスピレーションとして働くかもしれません。

結果として『アーティスト・イン・レジデンス』で作られた創作物が、その場所でお披露目・発表される、となると、その地元の人にとっても、製作者にとってもプラスになります。
(特に尾鷲市だと、なかなか現代作家が作る美術作品のお披露目などの機会はありませんから)

そういった可能性を模索している期間でのモニター利用者の1人として、渡邉塊さんが尾鷲に来ました。

尾鷲(土井見世)に滞在している間も、色々と尾鷲を散策されたり見学されたりもしたそうです。

写真は、尾鷲市にあるかつて銭湯を営まれていた『松の湯』さんを見学させてもらった時の様子です。
(私(うろこ)も同行させてもらいました。)

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渡邉さんが、かつて浴槽として使われていたところでギターを弾いている姿に度肝を抜かれ、写真を撮りました。
(個人的にはカルト映画の巨匠、アレハンドロ・ボドロフスキーの映画のワンシーンのような場面で、鳥肌が立ちました)

銭湯、ということで天井も高く、音も綺麗に反響し、とても心地いクラシックギターの音色が響き渡りました。

いつかここを舞台にしてイベントを開催してみたいものです。


さて、件のラジオ収録の数日後、尾鷲の某所で、渡邉さんと、絵師の坂本さんと、フォトグラファーのみやちとーるさんによる、『発表会』が行われました。

オープンなイベントではなく、極限られた人数でのクローズドな発表会となりました。

内容は渡邉塊さんのギター演奏と、仏画を描く絵師さんによる描画、そしてフォトグラファーみやちとーるさんによるライブシューティングというものです。

言葉ではなんと表現していいのかわからないので、とりあえず、当日の様子を写真にて公開します。
(写真は全てフォトグラファー、みやちとーる氏によるものです)

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写真のみを観ていただいてもわかると思いますし、ラジオで語られた内容とも合わせて観ていただくと想像しやすいとは思いますが、エンターテインメントとしての演奏会とは、全然違ったものとなっております。

その演奏会を鑑賞した直後に私が自身のFacebookに書いた文章をいかに転載します。

Facebookの投稿は、主に『音楽療法』としての一面を取り上げて書いています。
 
以下、Facebookからの転載です。




僕は大学で文化人類学について学んでいた。
通っていた大学は文化人類学科ともう一つ臨床心理学科があった。

臨床心理学は、概論くらいしか受けてないので、詳しいことは書けない。

けど、文化人類学においても(他の学問においても)、『フロイト』という人についてはある程度のことは知っておかないといけない。

フロイトの最大の発見は『無意識の発見』と言われている。
(もっというと意識と無意識の間に『門番』がいて、外部からの情報を常に意識の部屋と無意識の部屋に選り分けていることを発見した。当然のことながら、『本人』は『門番』がどのようなルールに従って意識と無意識に分類しているかは知ることができない)

人間が自分の意思決定で主体的に行動を起こしているように思えるほとんどのことは無意識における行動である、みたいな。
(例えていうなら海面から突き出している氷山が意識で、海面下の見えないしかし、膨大な部分か無意識、と言える。)

この無意識と意識の発見は現代思想の分野においても影響を与えたし、自然科学にも影響を与えたし、もちろん、フロイトの専門領域である臨床心理の分野にも大きな影響を与えた。

無意識を意識化させることが、臨床心理の現場において、それが『治療的行為』『回復』につながるともされている。

と、言われてもさっぱりわからないかもしれないし僕も説明しづらい。
『自己と向き合う』という言葉がある。
実はその『自己と向き合う』ことが『無意識の意識化』につながっていると言ってもいいと思う。

『自己と向き合う』ためのメソッドはいくつかある。
例えば、友達とよく言葉にする『巡礼』もまた、そのメソッドの一つだと思うし、メジャーなところでいうと『瞑想』もまたその一つだと思う。

押し込めていた『悲しい』(苦しい・怖い)もしくは『悲しかった』(苦しかった・怖かった)という感情を、「あ、あれは(無理やり押し込めてたけど)、悲しい(苦しい・怖い)ことだったんだ」と認識させることで『時間の経過』を獲得し、時間が流れ出し、過去のことになっていく。

我慢してた『悲しい』『苦しい』『怖い』を含めた『嫌だったこと』を
『(我慢してたけど)やっぱりあれは嫌だった』、そして『それは自分の所為ではない』と思えるようになることが重要。
無意識下に押し込めておくと、時間が流れない。
時間の流れていない記憶は記憶として処理されず、いつまでも苦しい経験としてリアルタイムに苦しめ続ける。
それを『トラウマ』という。
『認識』を『認識』し、『記憶』を『記憶』として処理するには言語化するのが一番いい。
(Wikipediaの『トラウマ』の頁の『治療』の段を参照のこと)

さて。
先日、不思議な音楽会があった。

クラシックギターのギタリスト、渡邊塊さんと、仏画を描く坂本さんと、フォトグラファーのみやちくんのセッションという、ちょっと異様な世界観のイベント。

極力照明を落として、薄暗がりの中、家屋にクラシックギターの音色が響いた。
実は渡邊さんとはその企画の前にラジオ(まだないとラジオ)の収録で色々とお話させていただいたのだけど、かつては音楽療法士を目指していたらしい。
音楽療法についての詳しいことはまた個々に調べてもらうとして、ここで言うところの、、、、つまり渡邊塊さんの言うところの、、、、音楽療法のそれは、単に『リラックスできる音色でヒリーグ効果を狙って、よく眠れる』とか『美しいメロディで癒し効果』とか『激しいライブで大声をあげてストレスを発散させる』の類のこととは、違う、と思った。

というか全然違う。

渡邊さん自身がよく語っていることは「弦を弾いて出る音色と、その自分との関係性」「弦と、次の弦を弾く運指(指の動き)の関係性」ということ。
自分の内なるものが指を動かし、動いた指が弦を弾き、弾かれた弦が音となって響く。

響いた音が、自分の内なるもの(自己)であることの確認のために弦を弾く、とは本人の言葉。
この言葉だけで、『無意識の意識化』を音楽でやっていることがよーくわかる。

そしてこの音楽会そのものが、鑑賞者を含めて、皆、『自己との対峙』のような構造になっているのではないかと思った。
(ここで行われた演奏会は「試しにやってみよう」という感じで急遽催されたものなので、一時的にはそういう意味づけはされていなかったけど、本質的なものをスポイルしてみて、突き詰めてみるならば、そういうことなのではないかと思った)

つまり極力明かりを落とした家屋で、闇に包まれ、クラシックギターの決して大きくない音の大きさと、繊細さに神経を集中させる。
リラックス、というよりむしろ緊張が伴う。
クラシックギターの音色が繊細すぎて、集中して聞いていると、癒し、というよりも集中するがゆえに誘われる緊張感のようなものがある。

時折能面をつけて弾く渡邊さん。
『能面』もまた、臨床心理においては重要な意味を持っていて、見る者がそこに、喜びであったり、悲しみであったりを意味づけしていく。
(能面は無表情なので、そこに表情を読み取ったり、意味づけしたりするのは見る側の方)

嫌が応にも音楽と暗闇に『自己と対峙』する以外にない。
悲しい、と感じたり、深い、と感じたり。
その感じ方は人それぞれだけど、個々に音楽や状況に対して自分なりの『接点』を探そうとする。

それが自己との向き合い方だと思うし、無意識を意識化させることだと思う。

深い意味での音楽療法とは、音楽自体が聞く者を直接的に癒していくのではなく、その『自己との対話』を音楽というツールを使って、無意識にあるものを意識化していくことなのだと思う。
そのプロセスそのものが回復へと繋がっていく。
無意識の意識化は時に辛い思いを引き起こすかもしれない。
しかしそれをせずにいるといつまでも得体の知れない『トラウマ』にとらわれ続けることになる。

例えば、今日、この投稿にアップしたいくつかの写真。
全てみやちくんが撮ったもので、膨大な量の写真を送ってくれて、その中から僕がピックアップして載せた。

何を載せて何を載せないのかは特に無意識だけど、載せたものは意識に上がってくる。
無意識に自分の中にあるものとの『接点』と繋がったものを選んだのだと思う。
無意識に選んだものが視覚化されて意識できるようになる。
これもまた『プロセス』だし、『療法』なのだと思う。
この音楽会に参加してみて、そして文章にしてみて、写真を選んでみて、そんなことを思った次第。


以上、Facebookからの転載でした。
(長文ですみません。)


ラジオで語られていることと、みやちくんによる写真と、当日のレポートで、自分たちが渡邉さんと出会い、お話して、感じたことの全てになっております。

尾鷲の『土井見世』のモニター利用を通して、色々な方が尾鷲に来られています。

『土井見世』が色々な人との出会いのハブとして機能しているなあと思います。

最後に、ラジオ内でも紹介された『SMOUT』(スマウト)のURLを記載しておきます。

https://smout.jp

『土井見世』は、この『SMOUT』に紹介(投稿)されております。

https://smout.jp/plans/search?utf8=✓&sort%5Border%5D=新着順&search_plan%5Bfree_words%5D=尾鷲

↑ここから尾鷲の紹介ページが見れます。


では、今回は長文になりました。

ちなみに、このラジオ収録と演奏会は9月に行われたものです。

諸々、ご了承ください。

ではでは〜。

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