愛することを恐れないこと

このブログは
2017年10月、バースカフェ運営事務局
スタッフ時代に書いたものに
2020年2月現在の私で加筆しています

元のブログはこちら
『 BIRTH ~ オソラニカエッタイノチ~ 』

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

『BIRTH』は、これまでもスタッフとして参加させてもらっていましたが

今回はロックバンドおかんのDAIさんの義理のお母さんであるTammyさんの

これまでの人生の中であった中絶、流産の体験をもとにした新演目が追加されたバージョンでした。

 私は21歳の時に妊娠し、中絶をしており
このバージョンで深く自分を感じていくことになります。

当時の私は人間関係でもがき、行き詰まり
そこをどう突破したらいいかわからず

当時付き合っていた彼氏と
こちらから強引に子どもをつくりました

結婚したら逃れられると思ったんです

 こちらからだったにも関わらず、
当時の彼氏は妊娠を受け入れてくれたのですが、
結果として中絶することを決めました

 
この体験は今の私を形作るうえで重要な出来事で
最近はバースカフェのシェアリングでもお話しさせていただくことが増えていて
だいぶ癒されたかと思っていたのですが

今回のBIRTH新演目を見て
まだまだ思考のなかのもので感情は癒しきれていなかったと痛感しました。


 Tammyさんの産めなかったことへの苦悩、悲しみ、失った命のこと、本当にこれでよかったのか、答えを探し求める姿。


ダンスを通してそれを感じた時、
21歳の私が感じていたことが
一気に蘇りました。

 中絶することを決めた時に大号泣したこと。

 そのあと、
体調を崩して行った内科医院の先生が
薬のことをきいてきてくれたけれど
自暴自棄になって
「おろすからいいんです」
と答えたこと

 中絶の処置をする時に
麻酔で朦朧としながらも意識は残っていて

自分の子宮から引きはがされる命を
痛みとともに感じた時に湧き上がってきた
後悔と悲しみ。

 「なんてことをしてしまったんだ!」

「とんでもないことをしてしまった!」

という思い。

 麻酔から覚めた時に、
おなかの子どもは処置されたらどうなるのか気になって看護師さんにきいたこと。

 自分の子どもを殺してしまったことへの
罪の意識

 その意識を持ちながらも

 実際には何も裁かれることも、
罰せられることもない事実に直面し

 いっそのこと殺人罪で裁かれたほうが
どれだけ楽だと思ったことか


 罰することも

許すことも

 どう生きていくかも

 
自分で決めるしかないことに

 お空に帰ったこの子が氣づかせてくれたけど

 悲しくて、悲しくて

 涙が止まらなくて

 こんなに悲しいこと

 どうして感じてこなかったんだろう

 

『BIRTH』から一夜が明けた今日も

 止まっていた時間が動き出したかのように

 蘇る感覚は生々しく

 特に処置をされた時の痛みは
体感を伴っていました

 本当に子宮が痛くて、痛くて

 引きはがされる感触が悲しくて

 そんな今

 あらためて素直に感じるのは

 本当は産みたかった

 この胸に抱きしめたかった

 ということ

 
演目では、
Tammyさんが
母の苦悩を表現されていますが

そこに娘の真琴さんがお空に帰った子どもを表現することで世界が変わります。

 本当に無邪気な子どものエネルギーで舞う
真琴さんのダンスと、
お空に帰った子どもの言葉を歌にのせて歌うDAIさんの歌声。

 


純粋にお母さんの幸せを想う
子ども心が伝わってきて、
お空に帰った私の子が
話しかけてくれているような

 優しい優しい時間。

号泣しながらも私は心のどこかで

 お空に帰ったこの子と私は、
この中絶という体験をすることを
約束していた。

 何のために?は、まだわからないけど

この痛みを感じることを 約束して

それぞれの役目を果たしている。

 自分の左側に
この子の存在を感じながら

そう感じていました。

作中歌
「 ねぇ、ねぇお母さん ~お空に返った赤ちゃんからのメッセージ~ 」
Daisuke Katsumata

☆☆☆☆2020年2月の私より☆☆☆☆

この時感じた我が子の存在は
今でも寄り添ってくれています

あの子をお空に返してから
20年以上がたちますが

あの子の愛は限りなく

私が私らしくあることをよろこんでくれます

私が自分の道を歩くための
突破口を開く起爆剤として
お腹に宿り
返ってゆきました

(私は、胎内記憶研究を元に
このような考え方を採用しています)

罰することも
許すことも
どう生きていくかも
自分で決めるしかないことに
氣付いたとき

考え方、在り方
ひたすらに自分と向き合い
色んなものを吸収し
また自分のなかのヘドロも
掻き出していったとき

闇の闇が
光を際立たせる美しさを感じました

当時は当時で

それしか選択できなかった自分の見識
在り方だったのですが

おろかな中にも
精一杯な自分もいて

やったことが
なかったことになるわけではありませんが

あらためて私は今

自分の人生の中に散見するおろかさを

大事に拾いあつめ

そのおろかな自分を

胸の温みの内に抱きしめているのです


どんな私でも

愛することを恐れないこと

闇が深いほど 光も際立つこと

それが自分自身の愛になっていくこと

あなたも私も愛であること

忘れないで


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