【京街道】(新作落語)

「京街道」

【あらすじ】
・伏見のお稲荷さんに二月の初午(はつうま)の日に参詣した二人の大阪者。三十石船には乗り飽きたのか、洒落で歩いて帰ろうということになり、京街道を西へ西へ。やっと守口まで帰ってきました。

【まくら】

 「東海道」と聞いてすぐに思い浮かぶのは、何といっても「五十三次」ということです。江戸の日本橋から京の三条大橋までの間に、品川から大津までの五十三箇所の宿場町があって、泊まりながら歩いて行ったり来たりしていた訳でございます。
 今では東京と大阪は、のぞみに乗って二時間半でございます。その前は「こだま」と「ひかり」しかなかったのでございますが、光がコダマよりも速いのは分かりましたが、世の中に光より速いものはない理屈なので、ひかり号よりも速い新幹線ができると聞いた時には何という名前になるのか、と思っておったのでございます。それが、光より速いものが「のぞみ」だったとは思いもよらなかった訳です。こうなったら次はもう「かなえ」か「たまえ」ですな。
 五十三次は絵の方でも有名で、北斎や広重が五十三次の情景や風物を描いたものが有名です。だいぶん前のことですが、永谷園のお茶漬け海苔を買うと、五十三次のカードが入っておりました。中にどのカードが入っているのかが分からないので、同じカードがダブってたまったりしました。あれも北斎か広重のどちらかの絵だったと思います。有名な「四谷怪談」という話も正式なタイトルは「東海道四谷怪談」というそうでございます。
 東海道は一応京都で終わり、ということになっているのですが、他にも京都から続く道はいろいろとございました。京都から奈良へつながる大和大路や大阪へ続く伏見街道・京街道という大きな道が有名でございます。大和大路というのは、奈良へ続く道で、京都やら大阪からお伊勢参り、伊勢神宮への参詣に行く人が通った道なのだそうです。
 昔は旅行というものも、そういう風にお伊勢さんへ行く、神さん参りをするという大儀・名目で旅に出た訳でございます。もちろん参詣、お参りもするんですが、その道中を楽しむといいますか、何日もかけてぞろぞろと皆で歩いたり舟に乗ったりしてゆきますので、楽しまなければやっておられない訳でございます。寄り道をしたり、土地土地の美味しいものを食べ歩いたり、はたまたいろんなお店屋さんなどを冷やかしたり、ということで遊んで帰ってくるわけでございます。
 京街道というのは、京都と大阪をつなぐ道で、大川、今の淀川に沿っていた街道でございます。面白いのは、この街道を大阪の人は京街道と言いますが、京の人は大坂街道と呼んだりしたそうです。京都を出ますと伏見・淀・枚方・守口を通って大阪へ出ます。この四つの宿場を合わせて東海道は五十七次ということも出来るわけでございます。
 お伊勢参りや京都からの帰りなんかに使われたものに三十石船という通い船がございました。伏見の船宿寺田屋の浜から大阪天満橋の【八軒家】までを往復しておりました。大阪を朝方出て伏見に夕方着く。晩方伏見を出て朝方大阪へ着いたのだそうです。
 さて、ここにおりますのは、喜六、清八という大阪の若い者二人でございます。伏見の稲荷講と言いますから二月の初午(はつうま)の日に伏見で稲荷詣でをしての帰り道でございます。伏見で一泊しまして、本当ですと夕方まであちこち見たり寄ったりして三十石船に乗ってゆっくりと帰れば良いのでございますが、この二人にはもうそれにも飽きたとみえて、今日は一遍くらい船なしで歩いて帰って見よやないか、ということでやって参りました。趣向といいますか、洒落で歩く、わざと遠回りするというのですから今頃のお話ではありません。
 さて二人は朝早ように伏見の宿を出まして、淀から枚方をゆっくりと抜けて、夕方時分にやっと守口まで帰ってきた訳でございます。


【はなし】

喜「さあ、やっとここまで帰ってきたで。よお歩いたなあ」

清「よお歩いたなあ」

喜「足が棒みたいになったな」

清「ああ、足が棒みたいやなあ」

喜「いつもは三十石船に乗って帰ってくるからな」

清「いつもは三十石やからなあ」

喜「せやけども、もうここまで来たらあと一息やな」

清「あと一息やな」

喜「あと一息やけども、もうちょっとがんばって歩かなあかんな」

清「がんばって歩かなあかんな」

喜「ちょっと清やん、さっきからわいの言うことなぞって言うてるだけやないか」

清「そや、さっきからお前の言うことなぞって言うてるだけや」

喜「何でやねん」

清「何でやねんて、わいはもう歩いて歩いてだいぶ疲れてんのに、お前がべらべらべらべら喋ってくるから余計に疲れるやろ。せやからさっきからもう自分で考えんのを止めてお前の言うことを繰り返してんねんがな」

喜「何や清やんそんなに疲れてんのんか」

清「そんなに疲れてんのんかて、お前疲れてへんのんか。お前もさっき足が棒みたいやとか言うとったやないか。わいは疲れてる上に足も手も棒みたいやし、腰も丸太みたいやし、肩も凝ってるし腹も減ってるし、荷物も重いしついでに嬶もこわいぞ」

喜「そないいっぺんに言わんでもええやないか。ほんで『ついでに嬶もこわいぞ』は関係無いやないか。そしたらここの堤の辺りで煮売屋でもあったら寄っていて底でも入れよか」

清「お、そやな。お前もやっとそういう気になったか。なあ、大阪の家までもう一息や。ぼちぼちもう日が暮れやし、ここらでゆっくりしてから帰ってもええな。この堤か。なんや、そこの石に『文禄堤』て書いたあるな」

喜「そうやな。おう、清やん、最前荷物が重いとかいうてたな」

清「おうよ、ここまで帰りに土産もんやとか何や色々買うたりしたから荷物が重なってしもてな」

喜「ほんならその荷物わいが持ったろか」

清「何や、わいの荷物持ってくれんのんか。お前自分の荷物重たないんか」

喜「わいはそんなに買いもんもしてへんからな、お前ほど荷物ないで」

清「そうか、ほな持ってもらお、やが普通に持ってもろたんではおもろいことないな」

喜「え」

清「いや、荷物を普通に持ってもろたんでは普通すぎておもろないな、っちゅうてんねんや」

喜「え」

清「普通に持ったらおもろないやろ、っちゅうてんねんがな」

喜「普通に持ったらおもろないか」

清「オモロないかて、おもろないがな」

喜「普通はあかんか」

清「あかんちゅうことないけど、普通はオモロないがな」

喜「おもろないか、しゃあないな。ほな帯を一本貸してみて」

清「何や、帯をどないすんねん」

喜「帯をな、わいの頭にぐるぐる巻くねん」

清「お前の頭に帯をぐるぐる巻いてどないすんねん」

喜「さあ、それでその荷物をわいの頭に乗せていこか、ちゅう趣向や」

清「頭に荷物乗せるんか。何でそんな変わったことすんねん」

喜「いや、普通に持ったんではおもろない言うからやな、大原女(おはらめ)さんを思い出してネ、趣向を考えたんや。これやったら普通の持ち方と違うやろ」

清「大原女さんてどないやねん。そう言えば伏見で、大原女が頭の上に薪乗せて歩いとったな。あれ、伏見まで結構何里もあるで、偉いもんやなあ」

喜「ちょっと訊ねるけど、ありゃ薪か」

清「薪かて、あれは薪やないかい。お前何やと思ててん」

喜「いや、えらい立派な大きい黒いカツラやなあ、思て」

清「アホな。あんなもんどこがどうカツラやねん。あれは大原木(おはらぎ)言うて黒う蒸した黒木(くろき)の薪やがな。それをああして頭の上に乗せて売り歩いてんねんがな」

喜「そうかいな。ほたらあの乗せ方が有名な小原流(おはらりゅう)ですか」

清「小原流ちゅうことがあるかいな。何云うとんねん」

喜「ほたらどう持ったらおもろいのよ」

清「どう持ったらおもろいのよて。違うがな、普通に持ち合うたんではおもろないから、二人でしりとりでもやって負けた者が荷物二人分持とか、とこう言うてんねんがな」

喜「へえ、しりとりでねえ。清やん負けても知りませんで、こう見えてもわいはしりとり名人やで」

清「お前なんかに負けるかえ。ほないくで、まずは『アサリ』や」

喜「『リ』か、ほなリンゴ」

清「ゴリ」

喜「ゴリで『リ』か、ほたらリス」

清「スリ」

喜「え」

清「スリ」

喜「また『リ』か」

清「また『リ』や」

喜「そやな、リキュウ、と」

清「ウリ」

喜「え」

清「ウリや」

喜「清やんリが好きやねえ」

清「別に好きっちゅうわけやないけど、もうないんか」

喜「うーん、そうやなあ、おっとあったで。リュウグウ、と、どや」

清「ウガイグスリ」

喜「また『リ』か、もうあらへんわ〜。くそお!わーん」

清「子どもか。泣きなや。ほなわいの荷物持ってや」

喜「わかったわかった持つ持つ持つがな、持ちゃあええねんやろ!ほんまにもう!」

清「そや持ちゃあええねん。えらい怒ってるがな。そんな怒らんでも、お前最初からわいの荷物持ったるて言うてくれとったやないか。ああ楽になった」

喜「いや、こうやって何かして負けて持たされた場合の気が違うがな。な、もっかいやろ」

清「何をもっかいやんねん」

喜「いやしりとりをば」

清「しりとりをばて、お前今のんで懲りてへんのんか」

喜「清やんの『リ』好きには懲りたで。せやけどもう一回やったら勝てるかいな、と」

清「別にリが好きやないけども。あかんあかん何遍やっても一緒や。ほなこんどは『とりしり』やろか」

喜「え」

清「とりしりやろか」

喜「え」

清「とりしりや」

喜「え、またしりとりすんの」

清「しりとりはもうやったがな。今度は『とりしり』や」

喜「とりしり、とは何?」

清「シリにトリを付けんねんがな」

喜「え」

清「トリを付けんねんがな、シリに」

喜「そんなん付くかなあ」

清「付くかなあ、て何が」

喜「ほなら清やんオイドにカラス付けるか。そうやなあ、わいはスズメにしとくわ」

清「アホ、尻に鳥付けてどないすんねんな。ケツ突つかれるわ。ちゃうがな『トリシリ』やから言葉の尻に「トリ」がつくもんを並べよか、っちゅうてんねんがな」

喜「どうやるの」

清「どうやるのて、そやな、まあイロハの順にいこか。まずわしが頭にイの付くトリを言うわ。そやないくで、まずは、一の酉(いちのとり)、と」

喜「なるほど一の酉か、うまいこと言うなあ」

清「感心してる場合やあらへんがな、次はお前の番や」

喜「え」

清「お前がロの付くトリを言う番や」

喜「ロの付くシリとは?」

清「ロの付くシリやあれへんがな、ロの付くトリやがな」

喜「ロの付くトリか」

清「そやロの付くトリや」

喜「そんなん無い」

清「そんなん無い、て。えらい速いこと言いよったなあ。。無いことあれへんがな」

喜「何がある」
清「え。。。そやなあ、(小声で)ロ・・トリ、とか。。。」

喜「え」

清「まあええがな、何ぞあるやろ。お前が言わなあかんねんからお前の負けや。まだ荷物全部持っとけよ。次はわいや。ハの付くトリやな、そうやな春鳥(はるとり)と。万葉集に出てくる春の鳥や」

喜「ほお、お前はよっぽどモノトリやね」

清「何やねんモノトリて」

喜「いや何でもよう知ってるやろ、せやからモノトリやね、と」

清「それも言うならモノシリやろ。モノトリとモノシリではエラ違いやないか。どんならんで。ここで尻にトリを付けてどないすんねん。喜公、次はニの付くトリや」

喜「ニの付くトリかあ。難しいなあ」

清「何でやねん。これが一番簡単やないか」

喜「そうかあ。ニ・・トリ・・ニノトリ・・うーん」

清「そない考えなあかんか。その辺にどこにでもおるがな、ニの付くトリが。庭にでもどこにでもおるがな」

喜「え」

清「庭のトリや」

喜「ああ!わかった、あの庭によう居る鳥やな」

清「そうや」

喜「おったおった、やっと清やんにわいの荷物持ってもらう日が来たなあ!」

清「持ってもらう日て、エラい大層やな」

喜「言うでー、言うで!」

清「はよ言え!」

喜「庭に居る鳥やろ、ヒヨドリやろ!」

清「あほ!ニが付いてへんやないか。庭の鳥やないか」

喜「スズメか」

清「アホ!ニもトリも付いてへんやないか。お前さっきもケツにスズメ付ける云うたやろ。庭のトリや!そっから『の』をとってみ」

喜「え」

清「庭の鳥から『の』を取ってみ、ちゅうてんねん」

喜「庭の鳥から・・アラ、ニワトリか!」

清「やっと分かったんか」

喜「やっとわかったんや〜。すっとしたなあ。ほなわいの分もこれも荷物皆持って」

清「あほ、わしがホの付くトリが言えんとでも思てるんか」

喜「ホの付くトリがありますか」

清「ありますか、て、あらいでかい。何ぼでもあるがな」

喜「ほたらはよ言い」

清「はよ言い、てお前偉そうに言うな。ホの付くトリやろ、、、ありゃ言いたいわ」

喜「あ、やっぱり言われへんねんや。よっしゃこの荷物皆持って」

清「おう、しゃあないな、こっち貸せ。あれ、おっとあんなトコに煮売り屋があるやないか。ははは、この荷物はあとや」

喜「うまいこと見つけるなあ」

清「うまいことて、たまたまやないか」

こうして昔は煮売屋さんというものがございました。道の端で小さく構えまして、飲ませたり食べさせたりするお店のことでございます。大概はおじいさんが一人でやっていたそうでございます。

清「お前も腹減ってるやろ。おやっさん邪魔するで」

煮「へあ、いらっしゃい、どうぞ奥まで」

清「いやあ、ありがと。よう歩いたなあ、ここへ座らせてもらうで。お前もはよ荷物置いて座らせてもらい」

煮「へえへえ、ささここい荷物置いてゆっくり座って下され。わしも今ここを片付けるからな」

清「おやっさん、何や双六やってたん、一人で」

煮「へえ、さっきまで客人があってんけどもな、最前帰りなさったんでな、まあ、一人で遊んでたんじゃ」

清「おやっさん、一人でサイコロ振って、おもろいことやってまんなあ。ま、ここへ座らせてもらうで」

煮「どうぞ、どうぞ。この大荷物では旅のお方でっしゃろか」

清「そや、わいらなもうちょっと西方の大阪の者なんやけどな、昨日伏見のお稲荷さんへ参りに行って、今日はあっこの浜から三十石に乗ってきたらええねんけれども、いつもかつも船ではおもろないやろ、上る時にも乗ったし、お伊勢詣りの帰りにもいつも乗ってるしな。ま、云うたら趣向で今朝早ようから伏見を出て、歩いてここまで帰ってきた、っちゅうことや。おやっさん、ちょっと一杯つけてんか」

煮「はいはい。そうかいな。(ぱたぱた)そりゃそりゃご苦労さんやったな。ほたらあの荷物の一番上に置いたあるのはお稲荷さんのお土産ですかい」

清「え、どれ、あああれか。あれは『しるしの杉』や。初午(はつうま)の日にお稲荷さんに行ったら貰えるねん。まあ、わしらあれをいただきに行ったようなもんや。あれで伏見の神さんの福を授かれるっちゅうことや。おおきに、ありがと。おう、御酒(ごしゅ)や、いただこ。(飲んで)あーうまいなあ。五輪五体に沁みわたるなあ」

煮「そりゃそりゃお疲れでしたじゃろ」

喜「そやで、疲れたで。わいはこいつの荷物まで皆持ってきたんやさかいなあ」

煮「そりゃそりゃ大儀でしたな」

清「何言うてんねん、こいつにはついそこからここまでちょっと持ってもろただけやで」

喜「そっからここだけでも二人前(ふたりまえ)持ったもんは持ったんじゃ!ああ腹減ったわ!」

清「子どもか!おやっさん、こいつもこんなこと云うとるし、何か旨いもんでも食わしたってんか」

煮「はいはい。そうじゃな。伏見から歩いてきなさったのだったら、淀とか枚方で美味しいもんをたんと食べてきなさったんではないのか」

清「さあ、よう聞いてくれた。それが違うんや。いや、八幡(やわた)あたりでもう九ツ過ぎになったんでな、何ぞなと食おか、て言うてんけどもな、こいつが『こんなトコで時間潰してたら今日中に帰られへんで』言うから結局そのまんまここまで帰ってきてしもたんや。そやから間になんも食べてないんやで」

煮「そうかいな。そりゃそりゃ大儀じゃったな。ほしたら淀の大根を薄う切って漬けもんにしたのがあるで」

清「ほう、あの丸いやつ、淀の、あの丸い大根。へえ旨そうやなあ。そう言やあ、伏見で人形やら土産買うて、しばらく行ったらもうすぐに淀に出たなあ」

煮「そうじゃろ、ほれこれが千枚漬みたいにしたあるから食べなされ」

喜「わあ、旨そうやなあ清やん、よばれるで。(食べて)うーん、美味しいですね」

清「ほんまあっさりしてて旨いがな。しかし、おやっさんトコに何で淀の大根があんのんや」

煮「いやいやウチのばあさんがな、あっちの方の出なんじゃよ。そんなんでばあさんの親戚の家から時々持ってきてくれるのでな」

清「ほお、ほなおやっさんとこのババ、淀のあっちの方で掘り出したんか」

煮「何やイモみたいに云いなさるな、掘り出すじゃなんて。そうじゃ、淀の方の出じゃ、まあ言や淀君じゃ」

清「ぷう。誰が淀君やねん。無茶言うたら困るで」

煮「いやいや今々の話じゃありゃしませんで。ちょっと前まではあの淀君の様に綺麗じゃった、と、こう言うてるのじゃ」

清「おやっさん、ほなちょっと聞くけど、そのちょっと前言うたらどれ位前のことやねん」

煮「そやな、ほんの五十年ほど前じゃ」

清「偉い前過ぎるがな、何がちょっと前や。テンゴ言うたらあかんで。こら喜公、何ニヤニヤ笑ろてんねん」

喜「いやあ、会うてみたいね」

清「会うてみたいて、誰にやねん」

喜「いやここの淀君さんに、ちょっと会うてみたいね」

清「淀君さんて、それはここのババで、五十年も前の話やぞ、お前何考えてんねん」

喜「いやあ、ひょっとしたら、今でもちょっとは淀君さんかも知れんぞ」

清「ちょっとは淀君さんて、お前アホか。ここのおやっさんでも五十年前までは淀君のようやった、と云うてるがな」

喜「いや、そうは遠慮してても、万が一、多少淀君の名残があるかも知れへんがな。せやからちょっと会うてみたいな、と」

清「お前も変わってるなあ、趣味人やな。ほな、おやっさんに頼んで、ここのババに出て来てもらおか」

喜「いやあ」

清「そやろ、嫌やろ。ほなもう呼んでもらわんでもええねんな」

喜「いやあ」

清「ほな呼ぶんか」

喜「いやあ」

清「もう呼ばんねんな」

喜「いやあ」

清「どっちやねん」

喜「いやあ」

清「何やねん。会いたいんか会いたないんか」

喜「そうやなあ、会うてみたい様な会いたない様な、見てみたい様な見てみたない様な、触りたい様な触りたない様な、匂いたい様な匂いたない様な・・」

清「何をごちゃごちゃ云うとんねん。おやっさん、こんな奴ほっとこ。淀君呼んだらあかんで。ほんで、なんか酒のアテになるようなもんあるのんか」

煮「へえ。そうじゃな、淀の鯉、淀鯉(よどごい)言うて有名な鯉をアライにしたのもあるで。食べてみなさるか」

清「へえ、鯉のアライがこんなトコで食べられるとは思わんかったなあ。そういゃあ、向こうは道の脇の小っさな流れにも鯉が泳いどったもんなあ」

煮「そうじゃろ。近江のフナと同じように淀の鯉も有名じゃでな」

清「へえ、そうかいな。よばれるわ、(食べて)うーん旨い。おい、うまいなあ」

喜「こりこりと旨いもんでんなあ」

清「そや、淀で思い出したわ。わいな淀縫(よどぬい)ちゅう縫い方で作った革の胴乱、土産に買うてきたんや、ほれ中々しっかりしてるやろ、この財布」

煮「ど〜らん(どうれ)見せておくれ」

清「何がど〜らんでんねん。見なはるんか。ほれ、これでんがな」

煮「そうかいな、わざわざと申し訳ござらぬな。そんなにお気を遣っていただかなくても良かったんじゃがなあ。ほんにええ財布やなあ」

清「ちょ、ちょっとおやっさん、なあ、何が申し訳ござらんね」

煮「いやいや、こんな年寄りのためにわざわざと土産などと気を遣っていただいて。。丁度新しい財布が欲しいなあ、と思うておったところじゃ」

清「誰がおやっさんに土産買うてくんねんな。無茶言うたらどんならんで。わしらたまたまここを通りがかって、腹が減ったさかいに底入れにきてるだけやないか。その煮売屋のおやっさんに何でわしらが土産買うてこなあかんねんな」

煮「いや、そんなこつこつと冷たいことを仰るな。昔から袖触り合うも他生の縁と言うじゃないか。」

清「あほなこといいないな。わいらさっき初めて来たとこで、まだ袖も何も振り合うてへんがな」

煮「そうかいな。最前ちょっとおまはんの袖と袖があたったで。ほな財布があかなんだら、さっきの福参りのしるしの杉でも貰ろとこか」

清「あ、あほなこと云いなや。わいらこのお印(しるし)を貰いにわざわざ伏見まで行てきたようなもんなんやて云うてるがな。何でおやっさんがええとこ取りして福貰うねん。どんならんで」

煮「はは、いやいや冗談じゃがな。お稲荷帰りの客人よ、そしたら稲荷寿司でも食べなさるか。お稲荷さんをば」

清「え、おやっさん何言うた。何やお稲荷さんもあんのんかいな。淀の名物の次は伏見の名物か。考えたらこうやってわいらが歩いてきたトコの旨いもんが食べられるなんて、こらエラいおもろい趣向になってきたがな。何や嬉しなってきたな、なあ」

喜「そやねえ」

清「お前も嬉しいやろ」

喜「そやねえ」

清「何やお前あんまり嬉しそうやないな、何やどないしてん」

喜「いや、洒落、趣向になっておもろいのはええねんけども、どうせ趣向やったら、わいらの歩いてきた順番通りに伏見の名物から出して欲しかったな、と」

清「そらまあそうやけども、ここのおやっさんかって別に悪気があって三番目にお稲荷さんを出してきた訳やあらへんがな。なあ」

煮「まあ、そうじゃ。えらいすまんことでしたな。お稲荷詣での話聞いて、お稲荷さんがあるのんを今思い出したんじゃ。へい、如何かな」

喜「(一個取って)おぉ、わいはこう見えてもおイナリさん好きですヨ。この揚げサンがツヤっとぴかっとほわっとしてて、このほんのりと甘辛〜に炊いたある中にふわっと柔らかいツヤっとしっとりしたこのごはんがよう合うねんなあ。しかしよう考えたらわい長いことお稲荷さん食べてなかったなあ。前に食べたんはいつやったかいなあ。わいのお母んが、法事に行く言うて作った時やったかいなあ、糊屋のおばんが遣い物にしよった時やったかいなあ、いや待てよ、家主さんが余った奴をくれよった時やったかいなあ。ま、どっちゃにしてもえらいご無沙汰やないか。なあおい、お・い・な・り・さん、お久しぶり。長いこと会わんかったなあ。お稲荷さん元気やったかあ、わいは元気やったで。。こうやってお互い元気で再会できたことにはご互いのそれぞれの両親に感謝こそすれ・・・」

清「何をごちゃごちゃ言うてんねん。何がそれぞれの両親や。。お稲荷一個でそない大層に言わんでもええやろ」

喜「いや、わいはほんまにこれが好きなんやで。わいほどのイナリ食いはちょっとおらへんで、しかし」

清「イナリ食いて何やねん。お前そんなにおイナリ好きやったら、昨日伏見のお稲荷さんでもっとちゃんと拝んできたらよかったんや」

喜「いや、わいの好きなんはこの稲荷寿司で、伏見のお稲荷さんを特に好いてる、っちゅう訳でもないぞ」

清「あほ!何を言うか。伏見のお稲荷さんやで。まあ言うたら全国のお稲荷さんの代表、本家本元みたいなもんや。あそこのお稲荷さんでよう拝んどいたら、お前の好きなそのおイナリももっと食えるように運が向いてくる、ちゅうもんやがな。この罰あたりめが」

喜「え」

清「この罰あたりめが」

喜「え」

清「罰、あたりめが」

煮「へえへえ、お待ちどうさま」

清「おやっさん、何やこれ。何やこのスルメは」

煮「はいな、あんさんがアタリメ、アタリメ云いなさるさかいにさっとアブってしゅっと出したんですがな」

清「なんや、アタリメでスルメかいな。違うがな、こいつに罰あたりめが、とこない云うとったんやないか。どうでもええけどおやっさん、今のは素早い対応やったなあ。まあええわ、酒のアテには丁度ええがな。あ、肝心の酒がもうあらへんがな。もう一本上燗つけてんか、こうなったら」

煮「こうなったらて、何をおっしゃる。。お酒でんな(ぱたぱた)へいへい、へいどうぞ」

清「おおきに、ありがと。(飲んで、食べる)あ〜酒によう合うがな。こりゃ罰が当たらんと酒によう合うたなあ。ははは、なあおやっさん」

煮「アタリメーよー」

清「何を云うてまんねんな」

喜「(まだ持ったまま)な、このお稲荷さんは、罰なんか当てはれへんやろ。なあ、お稲荷さん」

清「まだ持っとるがな、こいつ。どうでもええけど、お前のそのおイナリ、はよ食いいな」

喜「お前な、そんなこと云うけどな、わいはそんじょそこらのイナリ食いとはイナリ食いが違うて云うてるがな。何ちゅうんかなあ、人間の本気の本心の真心のところから湧いて出るように好いてる、っちゅうのんか、ま、とにかく早い話がわいほどのイナリ食いはまあ、少なくとも西日本には居てへんやろなあ、というこっちゃ。もうとにかくな、好きで好きで好きで、好き過ぎてもう『食う』てなことはちょっとやそっとでは出来かねるほど好きなんやで。この際せっかくやから教えといたるけどな、お稲荷さんを食う、とか食べる、っちゅうのは本物のイナリ食いのやることとは違うで。本気の本物のイナリ食いっちゅうのはな、こう何ちゅうか『オシ、戴く』という言葉がぴったりくる、っちゅうんかなあ。戴くというよりも戴かせて戴くっちゅう感じやねんなあ。いや戴かせて戴く、というよりも戴かせて戴かせて戴くっちゅうか、戴かせて戴かせて戴くというよりも戴かせて戴かせて戴かせて・・・」

清「何をごちゃごちゃ云うとんねん。何でもええから早よ食いさらせ」

喜「ごてごて云われんでも戴きまんがな。ほな戴きます。あのな、ちょっと云うとくけどな、戴かせて戴くからには、一口で戴かせて戴かなあかんで。このお稲荷さん全体をありがたく一気にオシ戴くように戴かんとあかんねんぞ。小さい口で分け食べするてなことではイカンのや。ここのお稲荷さんはちょっと大ぶりやけど、わいはちょっとやそっとの大きさで驚く様なそんじょそこらのイナリ食いとはイナリ食いが違うねんからな、せやから・・・」

清「はよ食え。(ぽんと押す)」

喜「(喉に詰まって)んわ、んうわ、んうわ、んわ、むがわ、んが、んが」

清「あかん、こいつ喉に寿司詰めよったで」

喜「んわ、んうわ、んうわ、んわ、むがわ、んが、んが」

清「あかんがな、おい大丈夫か」

喜「んわ、むがわ、んが、んが」

清「大丈夫か。(背中をぽんと突く)」

喜「(飲みこんで)ぐあー、ぐあー。あーありがと、ほあえー、し、死ぬかと思た。お前、何すんねんな、ぽんと突くなんて無茶しなや」

清「すまんすまん、ははは」

喜「笑い事やないで、しかし」

清「そうやなあ、お稲荷詣でに行て趣向、洒落で歩いて、やーっとここまで帰ってきたのに、こんな煮売屋でおイナリ詰まらせて死んだ、なんて不細工でちょとヒトに言われへんで、なあ、ははは」

喜「笑いこっちゃないで、しかし。いや、せやけどひょっとしたらこうやって死ぬことが本物のイナリ食いの本物の死にザマなんかもしれんで。本物のイナリ食い界の英雄、さすがは喜六さんやなあ、お稲荷と共に大往生なんて、見事なあっぱれな死にザマやったなあ、ちゅうて世間の大評判になるかも知れんぞ。な、清やん、もう一回やろ」

清「アホか。こんな莫迦なことが二回も三回も出来るかいな。酒でも飲んできれいに流してしまわんか。おやっさん、こんな奴ほっとこ。ほんで、何ぞほかのアテでもあるのんか」

煮「へえへい。伏見、淀まで行たのでな、順番というたらおかしいけれども、ほたら次は枚方の食らわんか舟(ぶね)に置いたあるごぼう汁はどうじゃ」

清「ごぼう汁、ええがな、まだ趣向が続いたあるがな。そうやなあ、三十石に乗って上ぼる時、枚方の鍵屋の近くから商い船が来て『くらわんかぁ、くらわんかぁ』言うて賑やかに売りにくるがな。これ、あっこのごぼう汁か」

煮「へえ、あの辺で採れたゴンボ使こてるんで、まあ同じようなもんじゃ」

清「そうか。(食べて)うん、あぁ、旨い。体がぬくもるなあ」

喜「そうや、わいな枚方の手前で派手ぇでキレぇな紙、拾ろたで」

清「え、どんな紙や、え、これか。うわー、偉いキレイな錦絵やな。エベっさんと大黒さんが魚釣りしてる絵が刷ったあるがな」

喜「な、な、キレイな紙やろ。これはええ土産になる思てな」

煮「ああ、これは引札じゃな。あの辺の魚屋のちらしじゃな」

清「あ、そう、これが引札でっか、おやっさん。聞いたことあるわ。何や枚方あたりで、大津絵の入ったキレイな紙切れ配って人寄せしてる、ちゅう風に聞いたことあるで。これがそれでっか。しっかし綺麗なもんでんなあ。おいお前、こんなキレイな紙がよう落ちてたなあ」

喜「そうや、これな、こうわいの目の真ん前に落ちとったんや」

清「なんや、目の真ん前に落ちとったて、どういうことやねん」

喜「いや、ほれ昼過ぎに橋本から枚方辺りのとこで休んだやろ」

清「ほお、あの小さい寺の鐘撞きヤグラのとこで足休めしたがな、あそこで拾ろたんか」

喜「いや、あそこへ行くのに石の階段、そやな三十段くらいの段昇ったやろ」

清「ああ、トントントンと石段昇ったがな。わしはあの辺りから足が痛たなってきたんや。あの段がどないしてん」

喜「いや、わいも棒みたいな足で昇っとったらな、わいの前にゆっくり上がってたお婆さんがおって、そのお婆さんの着物の帯の結び目がわいの目の真ん前にあってな」

清「ふんふん」

喜「その結び目のとこにこのキレエな紙が落ちとったんで、すうと抜いてきたんや」

清「えぇ何て、お前ちょっと待ってや。ほなら何か、階段の前をゆっくり上がってたお婆さんが着物と帯の間に挟んではったこの札をお前が後ろからすうと抜いた、ちゅうんか」

喜「あんなにうまいこと目の前にものが落ちてるてなことが、世の中あんねんなあ」

清「アホ、それは落ちてんのと違うがな。そのお婆さんが枚方で貰いはった引札を、着物と帯の間に大事に挟んで持って帰ろうとしてはったんやがな」
喜「あ、ほたらアレ落ちてたんと違うの」

清「ええかいな、おい。しっかりしてや。頼むで。お前引札を拾ろたんとちゃうで、それ」

喜「ちゃうか、やっぱり」

清「やっぱりてお前、そんなもん拾ろたんとちゃうがな。ええかいな、おい、しっかりしてや、なあおやっさん」

煮「そうやなあ、引札だけにその札をすうと引いてきなすったんじゃな、ははは」

清「ははは、て。そういう話やないねんけども、どんならんで、ほんまに。まあええわ、おやっさん、もうこんな奴ほっとこ。ほんで後は、何かアテにするようなもんないんか」

煮「そうじゃな、もう枚方のゴボウ汁まで来てしもたんで、来てしもたというのも何やおかしいが、あとはもうこの辺りのものじゃなあ」

清「この辺りのもんというと、ここは守口か、守口に何か旨いもんでも採れるんか」

煮「そうじゃな、お前さん方は知ってるかどうか知らんけども、この辺りは沼が多おてな。蓮の実やクワイがようけ採れよるんじゃ」

喜「清やん、カスの実が恐いてどんな実なんや」

清「カスの実コワイやないがな、蓮の実、レンコンのこっちゃないかい。そうか、これも聞いたことあるで。この辺りのレンコンは大きいて、炊いたりしてもこうモチっとしてエラい旨いらしいな」

煮「へえ、そうそう。この辺でも特に三ツ島あたりの河内レンコンは大きいて柔こうて旨もおまっせえ。へえ、ほなこれをどうぞ」

清「うわあ、これかあ、ほんに旨そうやなああ、ええ。へえ、ほんまにえらい大っきいなあ。よばれるで(食べて)うん、はああ、これはレンコンやないみたいに柔らかこうて旨いなあ」

喜「ほんま、旨いなあ、特にこのレンコンの穴が」

清「お前どこ食うとんねん。おやっさん、こんな奴ほっとこ。それでこの辺りの名物ちゅうか、この家には他にそういうもんでもあんのんか。あったらそれもちょっとよばれてみたいんやけどな」

煮「名物なあ。ああそうや、あんたたち奈良漬け食べなさるか」

清「奈良漬け?いやわいは漬けもんはどんなもんでも好きや、お前はどや」

喜「わいも好きやで奈良漬けでも大仏漬けでも」

清「大仏漬けて何やねん」

喜「鹿の漬けもんでも」

清「あるか、そんなもん。おやっさん、こんな奴ほっとこな。そやけど奈良漬けが何でここの名物やねん。奈良漬けやったら、それこそ奈良でも大阪でもどこにでもあるもんやないか」

煮「そりゃそうじゃ。奈良漬けはどこにでもありますな。しやけどここの奈良漬けはちょぼっと珍しい奈良漬けじゃで」

清「え」

煮「せやさかい、ちょぼっと珍しいで」

清「ちょぼっと珍しいでて、おやっさん勿体つけないな、はよ食わしてえな、な、あんねんやろ、それ」

煮「へあ、はい。これがそうじゃ」

清「あ、これか、これ、エラい小さい丸こい、かいらしい奈良漬けやな。(食べて)うん、よお漬かってて旨いがな。せやけどこれがなんで守口の名物やねん」

煮「それは薄うに切ったあるので、普通の小さい奈良漬けやけどもな、切る前はこんなじゃ、ほれ」

煮売屋のおやっさんが出してきましたのは、漬物の樽でございます。その中に丁度親指の太さくらいの細長ーい大根が、ぐるぐるに巻いて巻き漬けにしたものが入っておりました。

清「何や、これ、うわー。エラい細長い大根やなあ。わいこんなに長い大根初めて見た
で。おやっさん、これは何ちゅうもんや」

煮「アンタこれが守口大根ですがな。知りませんなんだか」

清「(手を打って)聞いたことある。守口大根。ああ、これがあの有名な守口大根だっか。細うて長いもんやとは聞いてたけども、ここまで細長いもんやとは、知らなんだなあ。こんなもんがこの辺りで採れるねんなあ」

煮「へい。最前も言うたじゃろ、この辺りは沼や湿気た所が多うてな。さっきのレンコンやら、クワイ、そんでこういう長いもんも作りやすいんじゃ」

清「へえ、珍しいもんやなあ。わいらこんな近い大阪に住んでて、話だけは聞いて想像はしとったけども、見てみんと分からんもんやなあ」

煮「そうじゃろ。ほなこの切ってないやつ、包んでやるのでな、お土産にしなされや」

清「ほんま、こら偉いおおきに。こりゃええ土産や。皆面白がりよるで。なあ」

喜「ほんまやなあ、軽うに洗ろて、切らんとそのままぐるぐるっと皿に乗せて出したらオモロイやろな」

清「お前オモロイこと言うな。そらオモロイ趣向やがな。いやあ おやっさん、おおきにありがとう。ほなそろそろ行かしてもらうわ。わいらあんまりそうも長居でけへんやろ。もう帰ったらなあかんからなあ。おおきに、ご馳走さん」

煮「そうかいな、愛想なしやったな。そしたらこの酒も土産に持って帰りなされや」
清「え、酒。さっきからわいらが飲んでたこの酒。土産に呉れんのんかいな」

煮「あんたがた伏見から帰ってきなさったんじゃ。土産にしなされ」

清「ほたら何かいな、わいらが飲んでたこの酒、そうか、やっぱり伏見の蔵酒や。なあ、おやっさんがこうして趣向で伏見の酒を出して呉れとったんや。ほんでわいら歩き旅やさかい、酒なんかも持って帰りとうても重とうて買うて帰られへんかったんや。なあ、こっからやったらこの三合位の酒でも持って帰られるがな。なあ」

喜「そうそう、この味と香りはやっぱり伏見の蔵酒独特のもんやったねえ。わいら酒飲みやからよう分かる。うんうんよう分かるわー」

清「そやろ、なあおやっさん、最後までええ趣向で飲まして呉れよったなあ。ほんで最後の最後にこの伏見の地酒を土産にしてくれるなんて。なあおやっさん、これ地酒やろ」

煮「地酒じゃ」

清「そやろ、さっきこいつも言うたけども、味と香りが違うなあ、地酒は。なあ、蔵酒やろ」

煮「蔵酒じゃ」

清「そやろ、地酒の蔵酒やろ」

煮「地酒の蔵酒じゃ」

清「そやろ地酒の蔵酒や、なあ。伏見の蔵酒やろ」

煮「この辺の蔵酒じゃ」

清「え、伏見の地酒やろ」

煮「この辺の地酒じゃ」

清「なんや、ほなわいらが最前から飲んでた奴も、この土産に呉れた奴もこの辺の地酒かいな」

煮「そうじゃ、わしは酒を土産に持って帰りなされ、というただけで誰も伏見の蔵酒とは言うてござらんぞ」

清「言うてござらんぞて、伏見から帰ってきなさったとか何とかややこしいこと言うから、てっきりこれもあれも伏見の酒やと思うがな。まあええ。この酒もわいらが伏見の蔵酒と間違うほど旨かったんや。遠慮のう土産にもろていくわ。おおきにありがと」

すっかりいい気分になって表に出て参りました。

煮「はいはい。もう近いとは言え道中気をつけなさって。ああもう大分日が暮れましたなあ」

清「そやなあ。わいら来た時はまだちょっとは明るかったけども。そやおやっさん、最前ここの堤の端に『文禄堤』と書いてあったけども、あれはどういう意味なんや。やっぱりこの堤、文禄時代か何かに出来たもんなんか」

煮「そうそう、文禄の五年じゃったかに太閤さんが毛利・吉川(きっかわ)・小早川の大名に作らせた堤防じゃそうじゃ。じゃからこの辺りは昔ながらの家が多いぞ」

清「ほんまやなあえぇ、古風な風情が残ってるやないか」

煮「あの家をご覧なされ、大きいウダツが上がっておるじゃろ」

清「え、ウダツ。どれ、え、あれ。ほんまや、大きい立派なウダツが上がったあるなあ。立派なお屋敷やないか。喜公、おいあれをようみとけよ。わいらはもうあんな立派なウダツのある家には住まれへんけれども、ああいうものにはあやかりたいなあ。いやあこらええもん見せてもろたわ」

喜「わいもウダツはよう上げられんけども、せめてひとつでも世の中の皆さんに役立つことくらいはしてみたいなあ」

煮「ははは、中々ええことを仰る。そう、もうだいぶんと暗ろうなったんでな、そこの提灯屋さんで提灯買うていきなさったらどうじゃ」

清「え、こんなとこに提灯屋があんの、あそこに、あ、ほんまや」

煮「あそこで提灯買うて、火でも入れてもらいなはれ。道中安心やし、中々粋な恰好になるじゃろがな」

清「ほんま、洒落たあるがな。わいとこの提灯ももうボロボロになってるしな、中々
ええ趣向やないか」

煮「そうじゃろ、ほしたら又近くまで来なすったら寄っておくれ」

清「おう、おやっさん。そうさしてもらうわ。大阪からも遠いことあれへんし、又何ぞの時に寄らせてもらうで。世話になったな、おおきに、ありがとう」

堤の上にある提灯屋さんで、それぞれ紋の入った提灯を買いまして、火も入れてもらいました。

喜「清やん、こうやって紋の入った提灯下げて帰るのも、何や粋な恰好やなあ」

清「そうやなあ、ウチは天神さんと同じ梅鉢で、お前とこは四つ目格子か。ほんまに粋ななあ」

喜「そやなあ、まあ言うたらこれもええ土産になるな」

清「ソラそうや。これだけしっかり紋が入ってる提灯なんぞ、立派なええ土産やがな」

喜「今日は昨日よりは、だいぶ温くかったけども、日が沈むとやっぱりまだちょっと寒いな」

清「そうやな。せやけど、この提灯があるから、何や気分がちょっとは温いような気がするだけありがたいやないか」

う(ぱたぱた)「うどぉーんえぇーそバーやぁーうー」

清「見てみい、ぼちぼちうどん屋が出てきよったやないか」

喜「ほんまやなあ。お星さんもひとつふたつ出てはりますで」

清「出てはりますでて、おかしいけども。そりゃ日が沈みゃ、お星も出るわいな」

喜「清やん、最前煮売屋のおやっさん、双六で遊んでなはったやろ」

清「そや、一人でサイコロ転がして遊んどったな、オモロイおやっさんやで。双六がどないしてん」

喜「いや、わいら今日は伏見から京街道を下って歩いてきたやろ」

清「そや、洒落で歩いてきたけども。疲れたけども何や気がセイセイしたなあ」

喜「せやから、歩いてきたから伏見、淀、枚方、守口という宿場を通って、オモロイことがぎょうさんあって、それて何や双六みたいやなあ、と思て」

清「ほんになあ。これが三十石やったら双六みたいになってないかも知れんなあ。お前もちょいちょい訳の分かったええこと言うがな」
喜「へへ、そやろ。ほな双六で言うたらアガリの大阪までぼちぼちと帰りまひょか」

清「おう、あの星があっち向いたあるから、方角も分かりやすいなあ。はよ今日の双六のアガリの大阪へ帰って、この伏見のお印を神棚へでもマツろやないか」

二人は二番星まで出た夕暮れ空の下、あと一里ほどの帰り道を粋な提灯を下げまして歩きはじめました。双六でいいますとアガリに向こうておるワケでございます。双六遊びは又いつでも振り直して振り出しに戻ることが出来ますし、前になったり遅れたり。後から行っても先上がり致します。
京街道のお噂でございました。

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