わりとサピオセクシャル

私自身のサピオセクシャルな面への省察とセクシャリティという言葉について書いてみます。


オンラインコミュニティ でサピオセクシャル(Sapio-sexual)の “傾向” や 知的探求者として フィロマス(Philomath)と自身を表現されていて、サピオセクシャルとの明言はされていない方を見受けます。私自身、サピオセクシャルを自認する点と符合しないと感じる点がそれぞれあります。これはサピオセクシャルの意味を引いた際、「相手の知性に魅力や興奮を感じる性的指向」とあり、それに齟齬を感じている為だと思います。実際には、教養や整合性あるいは知的好奇心を欠くような言動に冷めてしまったり、単純な肌の露出やスキンシップ以上に、創造的な会話や人しての美徳や成熟を感じた時に惹かれることが多い、と言うのがより近いのではないでしょうか。そしてこれらの魅力は性的意味合いだけでなく、友人などにも抱く人しての尊重を伴うものだと思います。とすると、この齟齬の起因はサピオセクシャルという言葉の意味だけに留まるのでしょうか。


同性愛者や異性愛者に留まらずに LGBTQ+ への認知が広まっていく中、“セクシャリティ“という言葉が性的ニュアンスを強く保つ意義はあるのでしょうか。生物的性差が体にある上で実社会を設計する目的や(トイレや更衣室など)、管理する際の利便性は(パスポートやIDなどの事務記載)、男性=male • 女性=female • 性別=sex, gender などの語で事足りるのではと思います。では私達は一体何を表したくて“セクシャリティ“と言うのでしょうか。サピオセクシャルの特徴を自覚しつつも齟齬を感じるのは、性的指向を意味する点ではなく、その意味に限定されて認識される点にあると思います。優しさや思いやり、人によっては収入や経歴などをパートナーに求めるかもしれませんが、これらは決して性別には囚われません。文化や宗教、食生活や金銭感覚、趣味への理解やユーモアのツボなど性的魅力の意味に囚われないけれど、パートナーシップに求める共通項は誰にでもあるのではないでしょうか。そうした “分かち合いたい” という欲求の意味まで、セクシャリティを拡張したり或いは新しい言葉を共に生み出していけるなら、より生き易く、より理解され易くなる人達が少なからずいる気がします。


また蛇足で願いを書くなら、性的興奮などの生理欲求だけでなく慈しみや抱擁の延長線上に人が営むことが増えてほしいと思います。


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