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大好きな1曲シリーズ

これから不定期で気の向くまま僕が大好きな曲を『大好きな1曲シリーズ』として勝手に紹介しようかと思います。好きなアーティストがいてその中でも特にこの曲が好き、又はそこまでそのアーティストのファンというわけでもないけれど、この曲は大好き、って曲とかについて綴っていきます。

では最初の曲を。

アーティスト : The Shamen
トラック : Boss Drum
リリース日 : 1992年9月14日

The Shamen - Boss Drum


The Shamenですね。
シェイメン。


ザ・シェイメンは、1985年にアバディーンで結成されたスコットランドのエレクトロニック・ダンス・ミュージック・バンドです。
創設メンバーは、コリン・アンガス、デレク・マッケンジー、キース・マッケンジーの3人。アンガスに代わってキーボードを担当したピーター・スティーブンソンが間もなく加入。他にも何人かが後にバンドに参加していた。
アンガスはその後、ウィル・シノットと組み、一緒にロックとダンスのクロスオーバーの先駆者として信頼を得ていく。Mr.Cが加入すると、バンドは「Ebeneezer Goode」と1992年のアルバム「Boss Drum」で世界的な商業的成功を収めた。


このバンドは最初はサイケバンドだったんですよね。
1985年結成の、サイケを志向するバンドが1992年に『Boss Drum』のような曲を出すってのは当時のUKのロックバンドとダンスミュージックの関係、距離の近さを考えると納得がいきます。


セカンド・サマー・オブ・ラブ (The Second Summer Of Love) は80年代後半にイギリスで起きたダンス・ミュージックのムーブメント。その名称は60年代後半のヒッピー・ムーブメント「サマー・オブ・ラブ」に由来している(その再来という意味で「セカンド」と呼ばれた)。
その発祥は、スペインのイビサ島でプレイされていたマーシャル・ジェファーソン、フランキー・ナックルズなどのシカゴ・ハウスの楽曲群やその他のジャンルの曲を、そうしたジャンルを越えてプレイする自由なDJスタイルと言われる。
そしてダニー・ランプリング、ポール・オークンフィールドらイギリスのDJがバカンスでイビサ島を訪れた際にそれをイギリスへと持ち帰り、世界的な流行の発端となった。流行の中心地となったのは首都ロンドンではなく、以前からクラブ文化の盛んであったマンチェスターやリバプールなどの北部の工業都市群である。
音楽のスタイルとしてはアシッド・ハウスと呼ばれるものが中心で、各地で大規模なレイヴが開催された。
ドラッグ文化と強く結びついていることから、かつてのヒッピー・ムーブメントになぞらえられた名称となった。
それまでのコンサート会場で演奏されていたロック、レコード会社の主導による商業的な音楽と異なり、人里はなれた野外や廃屋や倉庫で開かれるDJたちと参加者による非商業的な手作りのレイヴを中心としたシーンであった。
当時の閉塞していた音楽シーンやイギリスの若者に衝撃を与えたのは、その参加者主導というDIY精神と、それまでのイギリスにはなかった開放感、連帯感である。これには当時爆発的に流行した多幸系ドラッグ、エクスタシーの影響もあった。
何千人もの若者が週末ごとに、口コミによって辺境のレイヴ開催地へと集まり、知らない人間同士が抱き合い肩を組んで巨大なスピーカーから大音量で流れる無名のDJの掛ける未知の音楽に狂乱し踊り明かすという、以前のイギリスでは考えられないような生活スタイルを生み出した。この動きはすぐにヨーロッパ大陸にも広がり、フランスやベルギー、ドイツなどでも同種のレイヴが開催されるようになった。
また、ロックシーンにも影響を与え、マンチェスターでのマッドチェスター・ムーブメントを引き起こす一因となった。
しかしレイヴの隆盛をドラッグ禍の問題や社会の不安定化の観点から危険視した政府・警察によりたびたび圧力を受け、最終的にはレイヴを行うことを取り締まる法案、クリミナル・ジャスティス・ビルが成立することとなる。
またセカンド・サマー・オブ・ラブ自身もそのブームに目をつけたプロモーターたちによって多額の入場料を取る商業目的のレイヴが行われるようになる。
また、この爆発的な流行によりドラッグの質の低下、音楽やレイヴ自体の質の低下や粗製濫造が目に付くようになる。
やがて当局の圧力もあり、合法的に当局の許可を得た会場で多額の入場料を取って行われる有名DJを迎えた商業目的のレイヴが開催され主流となり、当初の精神を失っていき、上記のクリミナル・ジャスティス・ビルの施行時には、いわゆる「セカンド・サマー・オブ・ラブ」は既に下火となっていた。
セカンド・サマー・オブ・ラブの担い手たちはその後商業化されたレイヴへと向うか、もしくはアンダーグランドな精神を受け継いでクラブ文化へと流れていく。
現在でもクラブ文化において非常に大きな精神的源流として語られ、音楽のスタイル自体は変化しても、その非商業志向やDIY志向などは現在のクラブ・ミュージックの大きな特徴として残っており、以前のような社会現象になるほどの規模ではないが非商業的で非合法のフリー・パーティーなども各国で盛んに行われている。


いわゆる「セカンド・サマー・オブ・ラブ」という言葉がありますが、wikiにもあるように1980年代後半に興ったダンスミュージックを中心としたムーブメントですね。

この『Boss Drum』という曲はこの動きの中で生まれた曲だと思います。

例えばUKのマンチェスターで有名なクラブにハシエンダ(The Haçienda)ってのがありましたが、ここではThe Stone RosesやHappy Mondaysなどのバンドと808 Stateなどのシーケンサーとサンプラーを使ってアシッド・ハウスなどを作るユニットの音との両方が、同じパーティの中で聴けたりしました。

今ではそういうのは全く普通ですし、僕が10年前ぐらいにやってたいたALEJANDROってパーティでもハードコアやサイケデリックなバンドとテクノやベースミュージックなどを繰り出すエッヂィなDJとがタイムテーブル的にも交互に混ざるようにして出ていたりしました。

現在ではもはや何の違和感もないどころかどちらも出るパーティの方が普通とさえ思いますが、30年くらい前だとまだまだロックバンドとエッヂィな趣味の電子音楽のユニットはそれぞれ別のパーティに出るのが普通だったかなと思います。

一部の、どちらの音楽も好きなような人たち(僕は高校の時からこちらでした)は別としてファンもそれぞれ別々で混じり合うこともまだ少なかった時代ですけれど、ハシエンダなどではそうした音楽的混交が起きていました。そうしたオーガナイズ、企画が出てくる環境だったと。

まあ、マンチェスターとかの地方都市だとある程度の水準を満たすハコとして、そんなに選択肢が多くなかったからなのでは、ってのもあると思うんですけど。

そして彼らは互いに刺激を受け例えばThe Stone Rosesが『One Love』で、Happy Mondays が『Step On』などでそれぞれブレイクビーツを使用しフロアライクな曲を作るとか、808 StateがThe Stone Rosesの『Made of Stone 』をremixするとか、シナジーがありました。


僕がこの曲を初めて聴いたのは、当時日本で金曜の深夜にフジテレビで放送されていた『BEAT UK』という番組でです。これはUKのポップミュージックのチャート番組で、毎週、長く売れてるものから新譜までポップス、ロック、ダンスミュージックの楽曲が色々聴けました。

チャート以外にも『New Clip』というコーナーで最新のMVが流れたり、スタジオで収録されたライブが流れたりして当時としてはとても貴重で、毎週VHSのテープに録画しては繰り返し見て自分でノートをつけてたりしてました。これはとても大きかったです。より音楽を掘りたいという欲求を強化してくれる刺激、トリガーになったと思います。

で、この『Boss Drum』という曲もチャートインして聴きました。
UKシングルチャートNo.1です。

印象的なシンセリフとアシッドハウスのキック、New Wave的なメロディライン、1987年の中頃から好きになったS-ExpressやM/A/R/R/Sなどのような初期ハウスミュージックとポップ・ウィル・イート・イットセルフやジーザス・ジョーンズ、EMFなどの、バンドだけど大胆に電子機器を使ってロックとヒップホップ、ハウスなどのダンスビートを融合させたサウンドを指向したラインの、一つの到達点、この趣味ここに極まれり、といった感じですね。

1990年リリースのアルバム『En-Tact』の頃にはもう元々がバンド形態でスタートしたのがわからないぐらいに完全にエレクトロニックサウンドで表現したNew Wave、サイケデリックって感じになってて、その路線の成熟した結果がこのシングル『Boss Drum』でありアルバム『Boss Drum』だと思います。

僕はDJもやっているんですが、この曲は結構色々なタイプのパーティで広範囲に使える印象です。30年近く前の曲だけど、今でも普通に使えますね。フロア映えもするしポップスとしても素晴らしいし、これからもずっと聴き続けられる名曲だと思います。

それではまた。

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