あんな親よりもヘロインのほうがよっぽどわたしを助けてくれたよ

彼女はそう言っていた。いまだにその時のろれつの回らない話し方や、すきっ歯な歯並びなんかを思い出すと胸がぎゅーっと締め付けられるような感覚を覚えてしまう。当時わたしは踊り子を始めたぐらいの頃で、彼女も踊りたい人だった。彼女はわたしよりもずっとスタイルも良くて、脚のラインも綺麗でダンスも上手かった。

「ダンスが好き。わたしにはもうダンスしかないから。でもどうやって勉強したらいいかわからんからもし貴女がスタジオ行くなら一緒に行きたいし教えてな。」

「うん、わたしもダンスレッスン受ける予定あるから一緒に行こう」

ダンスを通じて私たちはつながって、そんな会話も交わした。まっすぐで優しい彼女と仲良くなってダンスの話をしたけれど、その後わたしからダンスレッスンに誘うことはなかった。

彼女は何かにとても怒っていて、感情の起伏が激しくて話しているうちに感情を抑えきれなくなることがあった。わたしにも似ているところがあると思いつつ、彼女のことがだんだん怖くなっていった。

一緒にいる間、彼女の生い立ちをきいた。両親に暴力を振るわれていた事、ご飯をもらえなかった事、付き合った男がクスリをやっていた事、お金がなかったため一緒に薬を売る仕事をしていた事。

今でもすげえクスリやりたい。でも今やめてる。ダンスしたいから。口の端に泡を溜めながら宙を見ながら話していた彼女。

もちろん、とても辛い経験なのだろうな、と感じたけれどどこか本人とかけ離れた映画の話のようだった。10年以上も前のことだ、わたしもその頃アルコールにどっぷり依存している身であり、詳細は自信がなくて、記憶の中で少し着色していることもあるかもしれない。

それでもタイトルにあるあの一言だけは忘れられない。

わたし自身も母や父に対しては複雑な感情をもってはいたし、堪えきれない想いを酒や過食で憂さ晴らししてはいたけれど、わたしの親はお金を使って私を育て、食べる所と寝る所はちゃんと与えてくれた。親と酒を並べて考えた事はない。

あ、両親とストリップ を並べた事なら、ある。

酒や過食をしつつもその行為を良くないな、やめなきゃなーと思いながらもやめられなかったわたしがどうにか人としての日常が送れるようになったのはストリップ のおかげだから、親よりもストリップ がわたしを助けてくれた、とは思ってる。

彼女にとっての親は彼女を傷つけるもの、彼女から奪うもので、精神的にどん底のわたしを救ったのは親よりもヘロインなのだと彼女は言い切った。

付き合ううちにわたしは彼女の顔を正面から見れなくなってしまった。怖い。何を考えているかわからない。急に殴られたりしたらどうしよう。一緒にいるうちはそれでも怖さからわたしは彼女に従順になってしまった。

「また連絡するね。ダンスレッスン一緒にいこうね」

一緒なんて行く気がないのにわたしはそう答えた。最後まで彼女はダンスへのまっすぐな想いをわたしに話していた。わたしは彼女からの連絡をそのあといっさいうけなかった。いや、一度ぐらい受けたかもしれない。その辺りの記憶ははっきりしていない。

最後に電話で話した記憶、なにかに怒っていた声は本当のことだったのか、夢なのかもわからない

たしか「もう連絡しない」と言われた。

何年か経って、彼女がビルから飛び降りたことを聞いた。全身打撲、大怪我をして入院したというところまでは聞いた。

ダンスを続けたかったのに、続けられなかった彼女に今のわたしだったらもう少し何かできることがあっただろうか。きっと今でもわたしには何もできないだろう。

せめていまの彼女が笑っていたらいいなぁとおもうけど、それは中途半端な同情で苦しくなる自分をごまかすだけで、遠く離れたところでそんなことを思って何になるんだろう。思いつくのは綺麗事ばかりだ。

身近にお酒をやめられなかった人がいた。暴力を振るう父親の元で育って、グレて、風俗のボーイをやって、裏のつながりが増えて、覚醒剤をやって、でもそれをやめようと決心して仕事を変えてすごく頑張って、そのかわりにお酒に依存した。毎日たくさんのお酒を飲んで、最後は腹水が溜まって痛風の症状もあって、顔色は明らかに悪かった。

もう死んじゃうから病院に行こうって言ったら「どうせ俺は1人で死ぬんだ」と言われた。彼はほどなく死んだ。人に対して差をつけない、とても優しい人だった。薬をやめられた貴方はすごいと、きっとお酒だってやめられたんじゃないかと今でも思う。

生まれた環境で人生ってなんでこんなにも決められてしまうんだろうか。わたしの、ただの勇気に欠けた小さな正義感はいつも自分を責めるのに使われるばかりで、役には立たなくって、後からやっぱり動けばよかったなんて無責任な思いにかられるだけだ。

どうすればよかった。ひとりの人ができることなんて限られているんだ。たまたま身近な人の人生に感情移入して自分の問題から逃げているような自慰行為みたいな、優しさともいえない感傷的な思いを、もうそのままにしておくのが嫌になってしまって、こうして文章にしてみたけどやっぱり気持ちが悪いものだ。

そしてまだ、こんなことを続けながら何年も立っている。

自慰行為みたいな感傷はそのままにしているからであって、これは行動に移せばいいんじゃないか。行動に移すには知識が必要なんじゃないか。

そこで助けるとか救うとかそんな価値がわたしに名付けられる必要はなくて、もっと知らなくては、と思う。役に立つには学ぶことなんじゃないか。そして誰かのことを思うことをしながら救いたいのはやっぱり自分なのかもしれなくて、そんなんでいいのかなぁとまた迷っている。

ちゃんと知らなくては。

読んでくださってありがとうございます。 葵マコは本業がストリッパーです。 このnoteでいただいたサポートはDX東寺劇場さんの設備修繕費に充てさせていただきます。 この世界がまだまだ続きますように。