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生きづらかった私の転機


前回、過去を含めた生きづらさの
背景についてありのままの思いを
綴りましたが、今回は転機が訪れ
た時のお話をしようかなと思います。

色んな生きづらさを抱えつつ、
子供達と3人でアパート暮らしを
していた町から現在の居住地へ
引越した頃。

引越しに伴い、息子は通っていた保育園
を転園して違う保育園に入りました。
とても独特な保育園で行事も多く、
親の出番がかなり多い(当時はコロナ禍
だったので行事も通常時より少なかった
のですが)事に最初はビビリました。

転園前とは園の雰囲気から保育内容まで
180度位違ってて、戸惑いと不安しかない
状態。加えて、定期的なクラス懇談や
否が応でも果たさなければならない係の仕事。
息子もすごくゆっくりさんな成長だったし、
私も人前での発言にアレルギー反応みたいに
なってたり人との関わりに疲れや怖さを
感じていたので、最初は他の保護者の皆さん
と話すのもちょっと避けていました。

息子の担任の保育士には私に色々な形と
様々なタイミングで、直接ではなくても
「もっと子供とちゃんと向き合って」
「お母さんの不安は子供にそのまま伝わるよ」
というメッセージを送られていましたが、
転園当初の私は激変した環境についていく
のがやっとだったので、常に不安やモヤモヤ
を抱えていました。

それを察してくれたのか、同じクラスの
保護者の方が度々声をかけてくれる様になり、
私も少しずつ新たな環境に適応していきました。

色々な人がいたけど、みんなが真剣に日々の
出来事や目的のための仕事に向き合ったり
意見を述べている姿に私も段々と意識が
変わっていき、息子が年長になる頃には
周りの人との関わりが楽しくなってきて
子育て自体も少し冷静になって向き合える
様になりました。

私の意識が変わっていった理由としては、
主に2つあると思ってます。

・否定せずに自分の思いを聞いてくれる人が
  いたこと

・息子自身が自分の力でどんどん変わって
 いったこと

特にひとつ目は、かなり大きかったです。
転園当初、孤独感を感じながら過ごしていた私には

「なんか変なこと言ってしまったら恥ずかしい」
「きっと否定される」

という謎の思い込みがありました。

でも、実際はみんなちゃんと聞いてくれて
自分が勝手に怖がっていたんだと気付いて。

発達凸凹の子供達のお話でもいずれまた
書かせて頂こうと思っていますが、
人って「自分の思いを聞いてくれるという
人がいる事」が本当に心の支えになるんだな
と改めて感じています。

私の活動もそれが根っことしてあります。

もじもじの泣き虫で毎日泣いて通っていた
息子も、年長になって色々な課題を乗り越え
自信や体力をつけてどんどん変わっていき
ました。

私の方もそれに感化されたのか段々と自分
を出せる様になっていって…

よく「子は親の鏡」といわれますが、
逆パターンもある事を知りました(笑)


また長くなってしまいましたね(;´д`)
いつもながらまとまりない文章で
すみません。

今回もここまでお読み頂き
ありがとうございました。

次回からは具体的な日常のエピソード
に絡んだお話を書こうと思っています。

それではまた(o^^o)/




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