「燕〜ツバメ」
ツバメの巣を目にした。
親鳥が出入りしている様子から、目で追うと巣にたどり着いた。
その建物はおそらく昔ながらの塗装で、ツバメに優しいのだろう。
私が見たのは、光沢のある紺色の体でくちばしの周りが赤く見える、皆が比較的よく知るツバメである。
低空飛行なので、見つけやすい。
ツバメというのは、巣を作った場所に翌年も訪れると聞いたことがある。
ところがどうだろう。最近の建物の塗装では、滑ってしまいツバメは巣を作れないそうだ。
人間にとって都合よくできているものこそ、自然界には厳しいものになっている。
人間のエゴに悲しくなる。
とはいっても、私も人間、そのひとりなのだ。
私が目にしたツバメの巣も、少し昔の建物に作られていた。
木の板が設置してある場所もあり、毎年やってくるツバメを思い、設置してくれた人がいることに心温まった。巣は数箇所あったようで、もう巣立ち終わった巣の痕跡もあった。
街中でも通る人たちに温かく見守られて、ひなもスクスクと育ったようだ。
見つけてから数日後には、最初は頭しか見えていなかったひな達が、元気に鳴きながら身を乗り出していた。親鳥は忙しそうに出ては戻りを繰り返す。
家から駅に向かう途中の出来事に、感極まって思わず涙ぐむ。
些細なことではあるが、人間の手によってこんなに巣作りの困難な事態になってしまっていることを申し訳なく思う。心の中で、そっとごめんなさい…と呟く。
それでもツバメは強い。
力強く生き抜いている。
渡り鳥と聞く。
あの小さな体でとてつもない距離を飛び続けるのだろう。
想像のできない過酷な旅だろう。
顔を覗かせていたひな達が飛んでいる姿はなかなか想像し難いが、練習して精一杯飛ぶのだろう。
大空を羽ばたいて、力強く生き抜いてほしい。
来年、また巣作りに戻ってくるのだろうか。
戻ってきてくれる環境であってほしい。
安心して子育てができる場所であってほしい。
切に願う。
電車に乗り、考えを巡らせていたら、涙も引っ込み、逆に気持ちがポカポカとしてきた。
目を瞑れば、ひな達の姿が思い浮かぶ。
親鳥は巣を作り、卵を産み、孵し、そして餌を運んで育ててきたのだ。
親鳥であれば本能だから当たり前の行動だ、とは簡単に割り切れない。
鳥であっても、その懸命さに愛情を感じた。
ある有名な歌手が歌い上げていた歌を思い出す。
燕よ〜
頭の中で繰り返し再生された。
ツバメが子育てのために、再び訪れてくれる場所。
そんな街に住み続けたい。
心から願った。
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