見出し画像

市川マサキから井上隆司へ

今回のコロナという目に見えない脅威に私の会社は芸能事業と飲食事業だったために大きな苦労をすることになってしまいました。

しかしながら、自粛期間中は将来に向けてさまざまなことを考えさせられるよい機会でもありました。
起業してからがむしゃらに動いて獲得してきた仕事が誰のせいでもなくある日突然に「ゼロ」に陥る経験なんてそうそうできるものではありません。
今後起こりうる事象に負けない企業体質を経済力だけではなくて世の中のニーズや時代背景にマッチしたビジネスを開発していかなければならないと強く感じさせられました。

ちょっと昔話です。

もう30年以上も前の高校生のころ、大阪で役者を目指していました。
運良く、朝ドラの役付きや五社監督作品、ハリウッド映画などに出演させてもらえましたし学校関係を中心にローカルCMなどにも起用していただけました。
でも、性格上の大きな問題で「努力」をしなかったので成人になるころには容姿も大人になり、今までの役柄などでは通用せず、芝居の稽古はしてましたが業界では全く通用しなくなりました。

「スケジュールがある日突然真っ白になる」を経験しました。

そのころ世間はバブル末期、バイト先の本社の偉い方から「もうそろそろ落ち着けば?」という社交辞令のような、たわいもない言葉がなぜか心を動かしサラリーマンになりました。脱サラの逆ですね。
当時20歳でした。
そこから23年間同じ企業グループで勤めました。

20年を経過する前後だったと思いますが東京本社へ転勤になりました。
東京で出会った某モデル事務所の社長に誘われて考えもしなかった「CMモデル」の仕事を始めることになりました。当時の会社員仕事で時間が比較的自由になる立場だったので芸能活動もスケジュール調整がしやすかったこともあり、40代で平日に動ける貴重な?人材だったのでしょう。顔面偏差値はともかく、身長は175cmなのでまずまずなスタイルですし。
外資系の管理職、医師、通信系社員、某人気飲料TVCM、通販モデル、いろいろと出演させていただきました。

そんな中で、「今日、会社辞めてくる気がする」と朝の出掛け間際に妻に告げ、帰宅した時には無職となってました。帰宅時に言った妻の「あ、そう、おつかれさま」にとても救われた気持ちになったのを、この先もおそらく忘れることはありません。

勤めていた会社はグループ総従業員数15万人という一部上場企業でした。退職時はグループ会社の管理職をしていましたので「辞める」という判断を世間一般的にはきっと間違いだと言われるようなことだろうなと今でも思います。
それでも辞めるのが遅すぎたと自分では感じていましたし今でもそう思います。
だからこそ20代ぐらいの人たちには時間を無駄に過ごして欲しくないのです。

1年ぐらい何をやろうかなとたくさんの人に会い、さまざまな人生劇場を聴き、やりたいことを探していましたがこれといって見つからず、そしてうまくいかないこともありました。

芸能プロダクションをやろうなんてことは考えてもいませんでしたが、それとなく話があったので流れ的にやってみることになりました。動機がないので不純なスタートでしたね。でもそこからまた人生が動き出したのです。

起業初期はまだまだ仕事(売上)も少なかったので自分が出演することが売上補填としてありましたが、ここ数年はおかげさまで所属者毎年10名単位で増え続け、マネジメントとキャスティング業務が増えてきました。所属者は30名の芸能事務所になりました。15名ぐらいの規模から自分自身が「代打オレ」で稼がなくても、というか稼ぎに行く余裕がなくなっていました。

そこで今回、このコロナ騒動を機に、当社のスローガンでもある「夢の実現」を所属者にかなえてやるため、頑張っている所属者たちの生活基盤を作ってやるためにも経営に集中することにしました。私なりの「新しい日常」を真剣に考えました。

業界では、市川マサキという芸名でありビジネスネームでほんの少しは知られてきましたが、自身がカメラ前に立つことはもうおそらく無いと思います。
なので、経営者として本名「井上隆司」で活動することとしました。
また、事業においては小さなプロダクションだからこその差別化施策も考えています。東京には芸能を夢見て地方から上京しアルバイトで家賃と生活費を工面し必死に目標に向かって取り組む若者がたくさんいます。また、芸能学校といわれるような専門学校や養成所などに1年から3年ぐらい安くない費用を投じて学び、卒業し事務所に入る人もいます。

私は今年50歳になりました。
もうそろそろ自分が生きてきた「証」を残していかねばなりません。
もうそろそろ人のために役立てるぐらいの「男」でなければなりません。
もうそろそろ身体はあちこち「ガタ」がきています。
死ぬときには「漢(おとこ)」として人生を終えたい。
世の中に名を残すとか莫大な資産を持つとか、私には到底無理です。
たった一つでもよいので昭和、平成、令和と私が生きてきたことで次の世代を担う人やその時代が1mmでも良くなればというのが願いです。

憎きコロナではありますが自分自身の過去や将来を見つめ直す良い機会であったと考え方を切り替えてこの先も継続できる企業、成長できる企業であるために、今まで以上に所属者のことを第一に考え会社経営、事務所運営、マネジメントをしていくことを決心し本来の自分である「井上隆司」としてより一層の馬力をかけていきます。

でもね、「マッキー」というニックネームで皆さんから親しく可愛がってもらってるので「マッキー」はそのままで呼んでいただけると嬉しいです。
実際、私がとても気に入ってるという理由が一番なのですが。

ということで、
明日から頑張ろう。(これが悪い癖)

合同会社タックエンターテイメント
井上隆司 http://2020tokyo.me

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?