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とべ動物園のサルたち⑦「ゲラダヒヒ」

ゲラダヒヒ
Theropithccus gelada
Gelada baboon
 主観的で申し訳ないが、お世辞にも美しいとは言い難い身なりをした大型のヒヒ。体に見合ったやや大きめのケージの中で、3人が佇んでいる。木でできたステップの上で夫婦だろうか、仲良くグルーミングをしていた。ほかのヒヒに比べて面長なのに加えて、低い鼻、目の周りだけ色が違っていたり、体毛の色が不規則にまだらだったりと、うーんちょっと美的にはいまいちかなぁ。しかもゲラダヒヒの最も大きな特徴である胸のハートマークも、ちょっと見には皮膚病と間違えられそうな感じだし。彼らも他のヒヒ同様、主には地上性のサルで、ベジタリアンだ。エチオピアの2000メートルから5000メートルの高地に住み、バンドを形成する。1属1種。
 先述したように、このとべ動物園では前身の道後動物園時代から一貫して数多くの動物の繁殖・人工保育で実績を残している。その中には日本初・世界初の成功例といったものもいくつか見られ、このゲラダヒヒの人工保育についても日本で初めて成功した。
 このゲラダヒヒの研究では、(財)日本モンキーセンター所長の河合雅雄さんの記述が非常に詳しい。河合博士は、言わずと知れた日本霊長類研究の祖。「今西進化論」で知られ、反ダーウィニズムの旗手のひとりでもあった故今西錦司氏の右腕として、戦後まもなくからサルの研究に携わってきた第一人者だ。氏は現在もサル学を人類学への橋渡しとして捉えて今も研究に取り組んでおられる。前述した「バンド」の発見は河合博士を中心とするこのゲラダヒヒ研究の中での出来事だった。書店でも著書をよく見かけるので、興味がある方はぜひ読んでみて欲しい。
 話は横道へどんどんそれるが、「今西進化論」について少し触れたい。この進化論は、大雑把に言って、進化の主体を「種(しゅ)」であるとし、個体間競争による自然淘汰を進化の要因とは認めないという考え方が核となっている。「種」の仲間の間では、できるだけ「変わらない」方向にプレッシャーがかかっていて、足の速い遅い、首や鼻の長い短いは、個体の違いのレベルにすぎない。たとえば、カモシカが足が速くなったのは足の遅い個体が淘汰された結果だとダーウィンは考える。じゃあ、肉食獣に襲われたときに、足の速い遅いがそんなに影響するかというと、実際にはそうでもない。実際には子供や年老いた個体、あるいは「偶然」いちばん群れの外側にいた個体が、高い確率で食べられている。
 またさらに、この考え方では、種と種の間でも他を淘汰するほどの闘争は行われていないとしている。現在の自然環境でも食物連鎖というものが厳に存在していて、ライオンがシマウマを食べ尽くしたなんていう話は聞かない。そんなことをしたらライオンも絶滅だ。この自然界においては、古くから現在まで個体同士、種同士がそれぞれの与えられた環境(ニッチ)に適応しながら「棲み分けている」というのがこの進化論の主な枠組みだ。 しかし残念ながら、この「今西進化論」では、種が進化する仕組みについてはいっさい言及されていなかった。ダーウィンの「突然変異と自然淘汰」や、ラマルクの「獲得形質の遺伝」に該当するような、進化システムの「売り」がなかったのだ。今西氏本人もそのことについては「生物は変わるときがきたらいっせいに変わる」というおよそ科学的でない言葉で語ったのみだ。そのため「今西進化論」は科学思想とは捉えられず、「反ダーウィニズム」という御旗を掲げた哲学思想であるといった考え方が(とくに西洋では)主流になっていた。ところがさらに時代は進んでひょんなところからその思想を補完するような説がこのところ取りざたされている。それは「ウィルス進化論」というものだ。
 これも調子に乗って書き始めるといくらでも書けそうなので端的に言うと、「進化とは遺伝病である」という考え方で、キリンの首が伸びたのは、もとのキリンたちがみんな首の長くなる病気に罹ったからという、単純明快な思想である。これは遺伝子治療でも行われているように、ウィルスを遺伝子の運び屋(ベクター)として使う方法が、自然状態でも行われているという仮説に基づき構成された説で、これなら突然変異などを待たなくても「変わるべきときがきたらいっせいに変わる」ことができる。この説が証明されれば、ダーウィンの説はお蔵入り、方法論としてはラマルクの方が正解だったということになる。そして、進化の背景にある流れにまで言及したという意味で、今西博士の功績がさらに見直されることになる。


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