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こじろうの教え

「こじろうとのの対話」⬅︎ prev

こじろうとの対話は気づけば、安らぎとなっていた。

私は、何かと嫌なことがあると人との関わりを避けてしまう。モヤモヤしている時、調子が良い時、傷ついた時、浮かれている時、、、
それは、自分が感じている不純物を周りの人が気づいていない状態=理解者がいない、理解しようとしてくれる人がいない。と感じていた。理解を得るという能力が弱い。それはそうだ。具体的な改善策は試しても試しても理解されないことの方が圧倒的に多かった。

でも、こじろうとは時間を共にしたいと思えた。まあ彼はヒトではなくイヌなのだが、存在として大きかった。学校では不純物ばかり。家でも同様。サッカーでは向上心一択。

こじろうにひとつ教わったことがある。
「不純物を楽しむ」ということ。
こじろうとの散歩は不純物が消化される。何でかは確かには分からない。ただ、ぐちゃぐちゃになった私の頭の中の絡まりが少しずつ解けていく感覚が確かにあった。

風の音、鳥の鳴き声、水の音。飛行機の音。電柱の電気音。小次郎の足音。私の足音。

遠くの音から少しずつ私が近づいてくる。
音から視界、匂い、リードを持つ手、道を踏みしめる足。やっと自分に返ってきた。

散歩道の始まりだ。

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