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宗教は無学な人間への救いなのか

宗教と聞くと悪いイメージを持つ人が多い。
日本人は無宗教が多く馴染みがないからなのか、自分もいいイメージを持っていなかった。
しかし最近宗教は人間にとって必要不可欠な存在な気がする。

この世の中は残酷なことに頭の悪い人間にあふれている。
無学で教養もない人間がイッパシの社会人面をして働いているのがこの世の現実だ。

少し話を変えて哲学の話をしよう。
正義とは何なのか。あなたはわかるだろうか?

この世には自由主義という正義の考え方がある。
これはいかなる結果になろうとも自由でいられることが一番大事という考え方だ。
自由になった結果、自分が死ぬことになってもだ。

しかしこの考え方を持てる人間はごく少数であると考えられている。
人間は三種類の人間がいると考えられており、
1、優秀で無害な人類
2,有害な人類
3,無知な人類
この三つだ。

この三種類の人間の中で、自由主義をうたっていいのは一番の人間だけである。

一番の人間は、自分の自由を保障されほかの人間にも危害を及ぼさない。
二番目の人間は、自由を与えるとほかの人間の自由を奪う事をしてしまう(自由を制限しなければならない)
三番目の人間が一番厄介であり・・・

このように正義についていろいろと思考を巡らせてきたが、このように無形物であり言葉や理屈で説明できないものについて考えるものが哲学だ。

答えは見つからないけど思考を止めない。それこそが自分の生きる選択肢をより多くしたり人生に彩を与えてくれるものだ。

しかし現代人(もしかしたら1000年前の人間もかもしれないが)はそのような思考をする機会を持とうとしないのだ。

基本的に愛や正義・悪といった無形のものについてはこれといった答えがなく、個人個人が模索していくものだ、しかし現代人はそのようなイデア的な存在の施行を放棄している。

そこで宗教のご登場だ。宗教はそのようなイデア的なものをはっきりと定義づけしてくれているのだ。

正義とは○○・悪とは○○といったように馬鹿でも理解できるように本来一意なルールであるべきないものについてルール化しているのだ。

この無形物の定義は救済だ。
考えるという事はとてもコストを割くことであり、大半の人間はそれをしようとはしない。
宗教はそんなめんどくさいことはなしに答えをそこに置いておいてくれるのだ。

ローコストに自分が救われるのであればこんなにお得なことはない。

宗教は考えることを放棄した上に救われたいというわがままな人間に用意された救済措置なのだ。

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