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『ふゆのいずみにつげる』シナリオ・サンプル(第三章)

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■第三章ダイジェスト

ダイジェスト3

■第三章 I was going to fill them up, but I've spilled them all.(1/3)

「こ、こんなこともするんですね」
「そうだぞ、これも仕事だ。いいからさっさと脱げ」
「会社に入って、コスプレをすることになるとは思いもしませんでした……」
「コスプレじゃねえ、れっきとしたレースと刺繍専門店のアパレルブランドの服だ。お前そんなこと先方の前で絶対に言うなよ。渡した資料に目は通したはずだろ?」
「すみません。はい、『女性の装飾品だったレースと刺繍を性別関係なく誰でも楽しめるように』っていうコンセプトで生まれたブランドなんですよね。でも、いただいたお写真が普段着みたいなものばかりでしたし、自分で着ることになるとは思っていなかったので……」
「今回の新作のテーマが『時代を超越した優美さと荘厳さ』だそうだから、非日常的なデザインなんだろう。それにこのブランドさんは見せ方にこだわるから、細部まで完璧にセットアップされた空間で地味なスーツの男がうろついているわけにはいかないだろ」
「そうですよね……。こんなに立派な、鹿が鳴く、なんとかを借り切って……」
「鹿鳴館な。正しく言えば鹿鳴館『風』の洋館だし」
「びっくりしましたけど、素敵なお洋服が着られるのは嬉しいです! 僕、幼稚園のお遊戯会で木の役だったし小学校の学芸会ではわかめの役だったのでこういうの着たことなくて、ちょっと憧れでした」
「だからそういう目で服を見るの止めろって」
「告意さんのお洋服も素敵ですね。何というか……おしとやかな感じで」
「……旦那様、お客様の前ではくれぐれも粗相のないようにお願いいたしますね」
「……告意さんも『そういう目』で見てますよね?」
「見てない」

 本日は催事向けの貸し物件へ、弊社がプロモーションを担当するアパレルブランドのイベント……いわゆる『コレクション』のバックアップやデータ収集のために青葉と二人でかり出されていた。具体的には、会場設営やアテンドスタッフとしての援助などといった雑務と、来場した客の動向を記録したりアンケートを採ったりして今回のPRの善し悪しを判断するためのフィードバックを得ること、すなわち『広告効果測定』が主な目的である。

「それにしても……広告会社の営業って、いろいろなことをするものなんですね。クライアントさんの要望を聞いて広告の提案をするというのが一番のお仕事だと思うんですけど、そのために社内のスタッフさんの意見も聞いたり、他の部署の方にお仕事の発注をしたり、資料作ったりプレゼンしたり費用の勘定とかもしたり、今日みたいにクライアントさんのイベントのお手伝いをしたり……」
「他の業界の営業と名のつく職種よりもいろいろなことをやらなきゃいけないのは確かだな。他の部署のこともわかってなきゃいけないってのが実感できただろ?」
「そうですね。『クライアントさんの要望をかなえるためにはこういうデータが必要だからマーケティング部門の方にお願いしないと』とか、『とある雑誌に出稿したいから媒体部門の方に枠を押さえてもらおう』とか……。その時々の状況に応じていろいろな人とコミュニケーションを取らないとお仕事が出来ないということがわかりました。営業のお仕事について今まで何もわかりませんでしたが、告意さんに教えてもらっていろいろやってみて、それでいろいろな商品や作品を知ることが出来て、『これの良さを伝えるにはどうしたらいいか』って考えるのが一番楽しいです」
「広告っていうのは情報を伝えることで消費者に何かを手に入れてもらうためにすることだからな。そういうのが楽しいっていうなら、お前は素質があるよ」

 あれから約一ヶ月、青葉には俺のそばについてもらって一通りの業務を体験させた。そのたびにあれやこれやと意義や方法などについて質問をするので騒々しかったが、新人故の着眼点によるものも多くそのときにきちんと説明できないこともあり、しばしば知識を調べ直したり新しく得たりすることもあって、なかなか勉強になると思った。新人教育なんてお荷物と仕事が増えるだけで面倒くさいだけだろうと思っていたが、いざやってみると悪くない。まあ、青葉が熱心で素直なので「教えてやりたい」と思わせる彼の『良さ』に感化されているのは否めない。初めて教育する人材が彼でなくても同じことを思っただろうか。それはわからない。

「そうですか? それなら嬉しいです! この会社に入るまで広告のこと何も知らなかったのですけど、頑張れそうなので良かったです」
「試験受ける前に業界研究なり企業研究なりしただろ? 何も知らないってことはないはずだけど」
「……ああ、そういうのはしなかったんですよね」
「……え?」
「好きなことはたくさんありますけれど、何を仕事にすべきか、何になりたいのか。わからなかったんです。それですごく困って、すでに働いている友達に相談してみたら、『オウバイさんで僕もお世話になっているし、答慈にも向いていそう』とこの会社のことを教えてもらったんです。それで企業説明会に行ったら、何となく良い感じがしたので、試験を受けました」
「……それで、受かった、と」

 青葉の志望動機について、「不真面目だ」と目くじらを立てる者も少なくはないだろう。しかし俺は、彼にシンパシーを感じた。俺も何かになりたかったけれど、なれなくて困っていたところを、この会社に拾っていただいた。「特に志もなく就職するなんて」と糾弾されて然るべきかも知れないが、果たして志が叶う者……すなわち自分の希望する企業の職種に就くことが出来る者なんて一体どれだけいるのだろうか。万一叶ったとしても、思い描いた理想を維持して叶え続けていける者は、全体の何パーセントくらいなのだろう。
 そんな人間なんてほんの一握りなのだから、そうであるならば、志がはじめになくても、割り振られた居場所に感謝して、与えられた仕事を好きになって、できる限り会社に貢献していく方が建設的なのではないか。青葉だって仕事に対して意欲があるし楽しいと思えているのだから、特に問題はないと思う。大事なのは、現実を受け入れて、実際の仕事に真剣に取り組めることではないのだろうか。

「それで勘違いしていたんですけど、この会社って、ファッション専門の広告会社ではなかったんですね。友達がファッションの仕事をしていると言うから、そう思い込んでいました」
「一応エンタメ系専門ってことになってるけど、ファッション専門と言ってもあながち間違いじゃない。この会社が駆け出しの頃に、海外でも活躍しているようなファッションデザイナーに見初められて協力していただいたおかげで『アーリー・スプリング・フェスティバル』って大規模イベントのPRを担当することが出来て事業も軌道に乗ったしファッション業界の関係者にも一目置かれてそういう依頼が多く来るようになって自ずと専門みたいになったってわけ」
「あ、そのイベント昔行ったことあります。ホログラムのいろいろなお花が辺りにあふれていてとっても綺麗でした。……そうなんですね、ファッションが得意分野なんですねえ」
(ファッションが得意分野、か)

 青葉と業務を共にして一ヶ月ということは、そろそろ新事業部のプライベートブランドチーム(長いのでPB部と呼ぶことに決まった)を始動させなければいけない。つまり俺は、そろそろそれにふさわしい企画を何かまとめてチーフである譲香に提出しなければならなかった。しかしながら、さっぱりちっともいい案が浮かばない。
 そもそも『プライベートブランド』とは、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの主にメーカーなどから商品を買い付けて自店舗で販売するような、基本的に自社製品を持たない小売業者が自社で開発・製造・販売を行う商品の銘柄のことをいう。「自社製品を持たない」という点では、広告代理店もまたそうである。であれば、「自社で企画して何か商品やコンテンツを生み出せばいいのではないか」と考えるかも知れない。だけど、俺はそれは違うのではないかと想像していた。
 弊社の特色の一つとして、社内にクリエイティブチーム……つまり映像を作ったり画像編集をしたりするような、『広告を形として創る部署』を設けていない。アートディレクターなどの監督者は在籍するが、制作を任せるのはほぼすべて外注のスタッフである。というのも、「個人や小規模チームで頑張るクリエイターに活躍の場を与えたい」という社長の想いが弊社創立のきっかけだそうで、創業から今までの約30年、それを大切にしてきたというのに今更それを覆すようなことをさせるだろうか。否、もちろんわざわざ新事業部を創り出したのだから、覆して欲しいと思っているのかも知れない。どちらにせよ求められているものが曖昧なので、非常に判断に困っていた。「新しい価値を」と言われているのだから消費者向けの商品を作ればいいのか、しかしながら企業理念を損ねるものは……と堂々巡りである。正直俺ひとりで考えるべきではないが、頼れる人は誰も居ないのでどうにかひねり出すしかなかった。
 そして今、一つひらめいたアイデアがあった。今身に着けている先方に着ることを指示された『衣装』を見下ろす。……ゴシック・ロリータとも言えそうな風体である。それで俺は、とある顧客について思い出したのだった。

「この企画内容で進めてください」
「えっ」
「『えっ』とは何ですか」
「いやあの……もう少し何か修正なり提案なり入るものかと」

 アイデアをひねり出したその日の夜に企画書を書き上げ、さっさと譲香にデータを送った。というのも自分の着眼点がこれでいいものかやっぱり自信がなく、とりあえず内容を確認してもらって意見を頂戴してブラッシュアップしていくつもりだったので、時間がかかることを見越して即座に提出したのであった。それが昨日のことなので、まさか翌日に何の修正もなく採用されるとは夢にも思わなかった。

「これでいいわ。お父様にも見ていただいたけれど、問題ないとおっしゃっていたから」
「ていうか社長に意見がうかがえるならこの部署の意義や目的もちゃんと聞けよ」
「それは教えてくださらなかったのよ。『自分たちで考えなさい』って。……私もお父様も、あなたのこと信頼しているのよ」
「……どうだか」
「……。まあ、いいわ。とにかく、あとはよろしく頼むわよ。先方に失礼のないように」
「……はい、わかってるよ」


■(2/3)

 手始めにリーンスタートアップ的手法でやってみようと考えた。消費者のニーズを仮定して最低限のコストで商品を作り、それの反応を見ることで改善を繰り返し商品価値を上げるというあれである。

「というわけなんだけど」
「すみません、全然わからないのでもう少し詳しく伺ってもよろしいですか」
「つまり今回はPB部を創った人……まあ上層部がこの部署に何を求めているのかわからないから、彼らを消費者と見立ててその『求めるもの』をこっちで設定して、いきなり全く新しいことは出来ないから自分のお得意様に『求めるもの』に沿うような新たなアプローチをして、その成果に会社側がどういう反応をするかを見て目的ややり方を決めていこうって話」
「なるほど? 何となくわかりました。それでその『求めるもの』というのは」
「うちの得意分野のファッション関連のことで、なおかつ個人のクリエイターを支援できるような何かで、今までにやったことがないようなこと」
「難しそうですね……。今回の企画は具体的にどのような感じなのですか」
「ヴァーチャルシンガーソングライターの方に、新しい衣装の提案をしようと思って」
「バーチャルシンガーソングライター!? 僕の知っている方ですかね!? 僕、結構詳しいですよ!」
「どうだろ。miulilさんっていうんだけど」
「みうりるさん!?」

 青葉が唐突に勢いよく立ち上がったのでその振動でデスクの上の資料は床に散らばったし彼の座っていた椅子も後ろに吹っ飛んだ。何をそんなに興奮しているのだと資料を拾い集めながらたしなめる。

「おい、うるさい。落ち着け」
「す、すみません。すごくファンなんです、miulilさんの」
「へえ、そうなんだ。意外」
「だってとってもかっこいいじゃないですか! 王道のオルタナティブ・ロックサウンドに鋭くも繊細で透き通った割れガラスのフラクタル模様みたいな彼女の歌声が合わさって!」
「あ……?」
「それらに乗せてあの退廃的かつメランコリックで耽美な詩が紡ぎ出されることによって現代芸術とも言える荘厳な世界観が構築されるわけですよ! そうでしょう!?」
「え? あー……うん?」
「特にデビューしたての頃は雰囲気がすごく尖っていて良かったですよね……って、何をそんなに間抜けな顔をされているんですか」
「間抜けって……失礼だな。いつになく語彙豊富に饒舌にしゃべるもんだからびっくりしただけだよ」
「好きなものについてはたくさん語れて当たり前じゃないですか?」
「そういうものか? それは俺にはよくわからんが、君がmiulilさんの大ファンってことはわかったよ」

 クライアントについてすでによく知っていてなおかつ好ましく思っているのは大変結構なことだが、青葉の『性質』は危険であった。先ほどのように先方に自分の感情を一方的にまくし立ててしまったら知性にも品性にも欠けてその後の商談の説得力が半減するし、なによりビジネスに私情を挟むのはよろしくない。今一度釘を刺しておかねばならなかった。

「お前も打ち合わせに参加させるつもりだから一応言っておくけど、仕事として付き合うんだからな。ファンミーティングでもライブビューイングでもないからな」
「もちろん存じています。……それにしても、うちの会社がmiulilさんのプロモーションを担当していたなんてびっくりです。数年前にmiulilさんをプロデュースされていた方が担当から外れるということになって、それでいて芸能事務所の類いにはお世話にならないとおっしゃっていたから一体どうするんだろうと思っていましたが……」
「……実は、声かけたの俺なんだよね」
「えっ! そうなんですか!?」
「ああ、すごい偶然で出会ってさ……」

 そう、miulilさんと俺が『出会った』のはちょっとしたこと、ほとんど無意識的なきっかけが生んだ偶然であった。そして俺が彼女の『ファン』になったのも、絶妙なタイミングが生んだ偶然だった。
 それが日曜日の深夜だったことは、よく覚えている。なぜなら『そんなとき』でもなければ、『そんなこと』はしないからだ。しかもそれは日曜の深夜だったとしても、めったにしないことである。それが一つ目の偶然だった。
 その夜俺は、誰かの歌が聴きたい気分だった。普段は歌なんて聴かない。俺の場合、音楽、特に歌というのは整いすぎて落ち着かないので、適していないのだ。だけどそのときは無性に歌を聴きたかった。そのために俺は携帯端末を用いてヴァーチャルライブ会場のワールドまで行って、誰かの歌を聴きに行ったのだ。音楽配信サイトを開くのではなくて、なぜわざわざライブ会場まで行ったのかは正直覚えていないのだけれど、もしかしたら、『歌が聴きたい』というよりは『そのときに誰かが歌っている』ということを体感したかったのかも知れない。まさしくそのときにmiulilさんのライブによって彼女の歌を聴いたのだが、実は自発的に『この人の歌を聴こう』と思って聴いたわけではなかった。これが二つ目の偶然だった。
 そのライブ会場は入場無料で演者も場所さえ空いていれば自由にライブをやっても良いところで、言うなれば『設備が整ったストリートライブスポット』であった。そのワールドでライブ出来るスポットは複数あるが予約できるわけではないし時間入れ替え制なので誰がどこで何をやっているのかはリアルタイムで調べないとわからないし、そもそもそのとき俺は観るライブを調べて選別するほどの思考力を持ち合わせていなかった。ぶっちゃけ俺はかなり酔っており、しかもいろんな酒をちゃんぽんで飲みまくったせいか悪酔いの状態で、頭痛と悪心がひどくて意識が朦朧としていた。それ故にうろうろしている途中で意識が飛んでしまい、その結果とあるスポットの前で留まることになった。意識が飛ぶ前、そこで見知らぬ誰かが歌っていて、ひどく耳障りだなと感じたことだけは覚えている。しばらくして意識が戻ったときには別の誰かが歌っていた。その人の歌声は重くよどんだ意識の淵から徐々に覚醒していくのにちょうど良い心地よさだった。暖かくて優しい、毛布みたいな声と曲だと思った。だからそのまま目をつぶって聴き入って、柔らかい眠りに就くことが出来た。その声の主が、miulilさんだった。
 そういうわけで彼女の歌がすっかり気に入った俺は、後日改めていろいろと曲を聴いてみようとネット上で公開されているものを再生していったのだが、非常に失礼だと思うけれどがっかりしてしまった。それらは青葉が表現したように「王道のオルタナティブ・ロックサウンドに退廃的かつメランコリックで耽美な詩を載せて、鋭くも繊細で透き通った声で歌唱する楽曲」ばかりで、それが彼女の普段の作風だと知ったのだ。配信サイト上の楽曲の再生回数はすさまじいしファンはたくさんいるみたいだし曲の完成度も技術も高いと思ったが、正直好みではなかった。もしかしたら人違いや記憶違いだったのかも、と思ってワールドの入場履歴等を見直してみたが間違いではなかった。ではなぜ、彼女はあの日にいつもの作風とはかけ離れた歌を歌っていたのか。その後ネット検索をして知ったのだが、どうやら彼女はちょうどそのとき『試行錯誤』をしていたようなのだ。それが三つ目の偶然だった。
 miulilさんは個人で活動する、すなわち音楽事務所等に所属しないフリーのシンガーソングライターであった。とは言え音楽以外の作業……たとえば彼女の衣装をデザインしたりMVを制作したりなどといった彼女をより良く魅せるための周縁的制作や、ライブなどのスケジュール計画を立てたり彼女の楽曲を販売するために配信サイトに申請したりなどのマネージメントなど、総合的なプロデュース役をやっている協力者がいたらしい。しかしながら何らかの理由でその者がプロジェクトから外れてしまい、彼女は途方に暮れていたそうなのだ。と言うのも彼女は『相当に不器用で無知で優柔不断』と自称していて、ひとりではこれからどのように活動していくべきか判断できないと語っていた。そういうことをライブなどで話せば、観客があれやこれやと『アドバイス』を言うのは至極自然なことだ。『相当に不器用で無知で優柔不断』な彼女は律儀に彼らの欲望をひとつひとつ実現しようとしていた。俺はちょうどそのタイミングに邂逅したわけだ。
 俺にも彼女に対して『欲望』があった。あの夜に聴いたような彼女の歌をまた聴きたかった。加えてあくまでも俺の見立てではあるけれど、miulilさんは普段歌っているような曲よりもああいうものの方が向いていると思ったのだ。それに、このまま放っておいたら彼女は悪い方向へ向かってしまう気がする。それは非常にもったいない。少し考えて、俺は自分の立場を活用することにした。
 当時俺は入社一年目の新人で、この会社はルート営業が主体ということもあり、それが初めて行った飛び込み営業であった。彼女はかたくなに「事務所の類いにはお世話になりたくない」と公言していたが真意はわからず「ひょっとしたら企業が嫌いなのかも」とも考えたが、「うちは広告会社で事務所ではないから駄目元で掛け合ってみよう」と連絡を入れた。うちの会社は衣装のデザインはもちろん、とあるアーティストのMV制作事例もあるので少なくとも彼女のプロモーション役は担えると思ったし業界に関する情報やノウハウもあるのでコンサルタントをして活動に関する指針も提案できると思った。自社や事業計画をプレゼンするための資料作りによって会社や業務についての理解が深まったし、アイデアを出すためのブレインストーミングなどの勉強にもなって準備だけでもかなり身になったものだ。しかし今考えてみると、ずいぶん思い切ったことをしたように思う。もちろん前述の通り彼女の力になりたいというのは大きかったけれど、それ以上に「会社の利益になりたい」という気持ちが強かったのでこれはものすごいチャンスだと思ったのだ。
 結果的にmiulilさんは弊社と継続的な契約を結んでくださったが、受け入れてくれたのはプロモーションだけでコンサルタントについては希望しなかった。こちらの提案を却下したのではなく、実はプレゼンの際にコンサルタントについての話が出来なかったのだ。と言うのも、miulilさんに連絡を取る前に当時の俺の教育担当だった先輩にこの企画について相談していたのだが、彼曰く「事務所に入りたがらないのは会社に活動指針を決められたくないからだろう。下手にこちらはあれこれ言わずに彼女が今までやってきたプロモーションをそのまま担当すればいい」とのことで俺が制作した資料の数々のほとんどを没にして『使えるところ』だけ非常にシンプルに改変した。確かに先輩の言うことは一理あったし、そもそも俺の言い分が通るような状況ではなかったので、少々不服に思いながらもそれに従った。そのシンプルな資料を提示して契約が得られたのだから先輩はきっと正しかったのだろう。そのことについてはもう何も不満はないが、miulilさんに目をかけてプレゼン資料の草案を作成したのは俺だというのに、その先輩に丸々手柄を取られたのは今でも納得がいかない。ちなみに現在の営業部の部長である。この人は自分の立場と俺の弱みを利用してことあるごとに搾取してくるので、正直一緒に仕事するのがしんどくて仕方ないが……それこそ仕方のないことだ。

「そうだったんですね。でも告意さん、大丈夫なんですか。部長にいじめられてるんですか」
「は?」
「告意さんが頑張ってやったことを自分がやったことにするなんて、意地悪ですよね。部長は意地悪ですよ。僕の髪型を寝癖だって馬鹿にするし」
「ああ、そのアホ毛の群れは寝癖じゃなかったのか」
「何ですか、アホ毛の群れって」
「いやあ、君のことバカにしてるのは俺も一緒じゃない?」
「告意さんは優しいですよ」
「何が違うの」
「えーっと……部長は何だかすごく嫌な感じがしますけど、告意さんはそうでもないです!」
「ずいぶん曖昧だな……。俺はいじめられてないけど部長の性格が悪いのは同意する。まあそんなことは今はどうでもいいんだよ。今回は、その叶わなかったコンサルをやってみたいと思って。と言っても当時考えた企画は利己的も甚だしいからちゃんとmiulilさんが今欲していそうなものについて提案できる企画を考えた」
「それが、新しい衣装の提案をするってことなんですね。でもそれって、すごく難しいんじゃないですか。だってmiulilさんって衣装には……」
「うん、すごくこだわりがあるんだよな。『あのプロデューサーのでないと嫌だ』って。彼の氏がまだ関わっていたときは曲を出すたびにそれに合わせたデザインの衣装でMVを制作していたみたいだけど、今は既存の衣装だけ使って制作してる」
「そうですよね。『とても思い入れがあるから、なかなか他の人にお願いできない』ってお話ししていらっしゃいましたね」
「でもこの間の打ち合わせの時にちょっと雑談したんだけど」
「お仕事の最中にmiulilさんと仲良くお話ししてるんですか!? さっき僕にファンとして接したらだめっておっしゃったくせに!」
「ビジネス雑談だから。こないだ『ビジネスに雑談は有用だ』って話したろ。で、かき氷の話をしたんだ。『行きつけの喫茶店で最近かき氷の販売が始まったから食べたんです。一足早い夏を感じました』って」
「何でかき氷の話をしたんですか!?」
「そこには別に食いつかんでいい。その日が夏日だったからだ。それで、それに対してmiulilさんが『夏の曲を作りたいんです』っておっしゃったんだ」
「夏の曲……? 意外ですね」
「俺も意外だと思った。ちょっと聞いてみたら、世間の夏ソングのイメージに違わぬ、きらきらしていて爽やかな曲を作りたいんだって。でも、今までの自分のイメージと違うから勇気が出ないって。ほら、『試行錯誤』してたときに結構いろいろ言われたみたいよ」
「僕もかっこいいmiulilさんを好きになりましたけど、いろいろ歌えるmiulilさんは素敵ですごいと思いますし、miulilさんが作りたい歌を歌うなら、僕はきっとそれも好きになりますよ」
「確かに批判もあるだろうけど青葉みたいに思う人はたくさんいると思うし、何より今までと違うタイプの曲を作りたいとmiulilさん自身が考えたのがすごくいいことだと思うんだよね。力になれたらいいなあと思ってて。それで今回PB部の企画をいろいろ考えてたときに彼女のことを思い出して、彼女にとってもこちらにとっても双方的にいい話になるんじゃないかと思ってこの企画を練ったんだ。見た目を明るく変えたら多少は心のハードルも下がるんじゃないかと思うんだけど……」
「でもデザインはどなたにお願いするんです? どういう方だったらmiulilさんは嬉しいですかね……」
「ファンに考えてもらってファンに決めてもらう」
「ええと、つまり……こちらで先に決めるんじゃないってことですか」
「うん。miulilさんはファンを大事にしている人だから、ファンの提案なら受け入れやすいんじゃないかと思うんだ。こっちでテーマだけ決めてデザインを公募して、それを公開して一般投票で選出すれば、明らかにmiulilさんの今のイメージとかけ離れたものは選ばれないだろうし、miulilさんの負担も減ると思う。この企画ならうちが新たな良いクリエイターと出会えて業務契約出来るチャンスもある」
「なるほど……いいかもしれませんね」
「miulilさんとは来週の木曜に面談していただけることになってるから、それまでに企画書読んどいてくれよな」
「承知しました。……楽しみですね! 好きな人のお役に立てる仕事が出来るならとても嬉しいです!」

 俺は顔にも口にも出さなかったけれど、一番この企画が上手くいくことを楽しみしているのは自分である。手柄を横取りされたとはいえ、miulilさんは初めて自分が主体となって契約につなげたクライアントであるし、これまでずっと担当を続けてきたお客様なのだ。思い入れがないわけがない。今回のことで彼女にとっても弊社にとっても更に利益が生まれる仕事が出来るならこんなに嬉しいことはなかった。


■(3/3)

「ねえ、あの鬱グロソングの子にアプローチすんの?」

青葉に企画について話を始める前はフロアに誰もいなかったのに、いつの間にか部長がそばにいて声をかけてきた。彼は終日外出の予定だったから話は執務室でもいいかと油断していたが、会議室でも借りておけば良かった。先ほどの部長についての愚痴を聞かれてしまったかも知れないが、そんなことはたいした問題ではない。向こうだってこちらが良く思っていないことは重々承知だろう。厄介なのは我々がmiulilさんについて話していることを聞かれてしまった方であった。

「部長、クライアントに対してその言い方は……」
「『対して』言ってないからいいだろ。誰が聞いてるわけじゃないんだから」
「……」

面倒だなあと思いながら青葉の顔を見やればあからさまに不愉快そうな表情をしていて、それはもっともで自然な反応ではあるのだが、下手に口を挟んで部長の気を損ねて欲しくなかったのでちょっとこずいて「黙っておけよ」と一瞥した。

「……はい。新事業部での企画として、提案をさせていただく予定です」
「はあ、ああいう子には深入りしない方がいいと思うけど。機嫌を損ねたら面倒なことになりそうじゃん。『自分病んでますアピール』をわざわざ公衆の面前でやるような子なんて親身になったらろくなことにならない。当たり障りのない最低限のことで十分なんだよ」
「それはあくまでも発表作品のことですよね? そういった発言をしているわけでも素行に問題があるわけでもないのですから、人格を否定するようなことは……」
「否定はしてないだろ。可能性、リスクの話だ。リスクヘッジは当然のことだろう」
「おっしゃることはわかります。ですが、」
「別に俺には関係ないからいいけど。責任は君の奥さんが取るんでしょ」
「……」
「一応上客だからまずいことになったら会社としては困るけどね。あんま余計なことしないでよ」

散々嫌味を浴びせて満足したのか最後に俺の右肩をぽんぽんと叩いて部長は去って行った。

「……やっぱり、意地悪ですね」
「確かにリスクヘッジは大事だが……そんなことばっかり言ってたら成長できないだろ。……まあ、部長のことは気にしないでいこう。確かにあの人は関係ないんだから」

**

「お世話になっております、miulilさん。本日はお時間をいただき誠にありがとうございます」
「こちらこそ、いつもお世話になっております。今日は活動に対してご提案をいただけるとのことで、楽しみにして参りました。ええと、コンサルティング……でしたか」
「はい。miulilさんが今お困りになっていることや要望などについての相談をお聞きしてご提案をさせていただき、それに即したプロモーションをご担当出来ればと考えております」

約束の日の木曜日、俺と青葉はリモート用の会議室にてmiulilさんと面談していた。miulilさんはヴァーチャルの人なので、いつも決まってMR会議の方式でお会いしている。MR会議の『MR』とは『Mixed Reality(複合現実)』ーー仮想世界やその物体(いわゆる3DCG)を現実世界に投影して(ここまでが『AR(拡張現実)』だ)、なおかつそれに近づいて様々な角度から見ることが出来たり、触れて何かしらのアクションを起こせたり出来るような技術のことである。MRを実現するのに一昔前まではゴーグル型のデバイスを用いるのが主流であったが、最近では空間に直接投影できるプロジェクター型も登場して、弊社も導入している。これの何がいいかと言えば、据え置き型なので描画速度が安定しているし何も身につけずに済むので煩わしさもなければ現実との融合性も高いように思う。
 昨今の電子上の個人事業主は開業届の提出をして一定の基準を満たすと身分証明書が取得でき、それを取引をする企業などに提出すれば個別に個人情報を提出しなくても済むようになっている。その証明書はそれだけで個人情報的な信用が担保されており、内容は有事の際に税務署に申請しなければ取得できないため、俺はもちろん会社でさえもmiulilさんの『中の人』のことについて何一つ知らなかった。『中の人』なんて表現を使ってしまったがこれはもう時代遅れの表現で、ヴァーチャル上の『生命』はたとえその裏側で生身の人間が動かしているとしてもその存在そのものが『実際に生きている』と扱われ、現実の存在と切り離して考える人も多い(もちろんヴァーチャルと現実は連続しているという考えも支持されている。要はケースバイケースだ)。そういうわけでmiulilさんはヴァーチャル上に独立して実在する存在であって、決してただのヴァーチャルの皮を被った人間というわけではないのだ。
 俺は定期的にmiulilさんと面談しているのでもう日常茶飯事のことだが、青葉にとってはもちろんこれが初めてのことなので緊張しているのか顔を真っ赤にして硬直していた。あんなに雄弁に語ってしまうほどの彼女のファンなのだから、無理もないだろう。

「本題に移る前に、弊社の新入社員についてご紹介させてください。私と一緒にmiulilさんを担当させていただきます、青葉です」
「……っ、え、営業部に配属されました、あ……青葉答慈、です。よろしきゅ……よるしく、お願いいたします」

普段の明るくはきはきした印象からほど遠い、しどろもどろで視線も定まらない自己紹介だった。俺はそれを「微笑ましいなあ」と思いながら眺めていた。

「はじめまして、よろしくお願いいたします。……あおばさんの『あおば』は青い葉っぱとお書きするのですか?」
「は、はい。青葉です」
「では、『とうじ』はどうお書きするんでしょう」
「……答えの『答』に、いつくしむ、です」
「なるほど、答慈さん。素敵なお名前です」

そう言ってmiulilさんはにっこりと微笑まれた。ここまでの彼女の言動の何かしらが青葉の琴線に触れたのか、次の瞬間青葉はまた椅子が吹っ飛ぶほど勢い良く立ち上がった。あまりに突然のことだったので俺が止める間もなく彼は朗々としゃべり始めた。

「あの! 僕! miulilさんの大ファンでして!」
「まあ」
「ちょっ……青葉?」
「王道のオルタナティブ・ロックサウンドに鋭くも繊細で透き通った割れガラスのフラクタル模様みたいなmiulilさんの歌声が合わさって、それらに乗せてあの退廃的かつメランコリックで耽美な詩が紡ぎ出されることによって現代芸術とも言える荘厳な世界観が構築される様にですね、とても感動いたしております!」

うん、それは聞いた。いや、聞いたのは俺だけでmiulilさんは聞いてないんだけど。聞かせるべきじゃないんだけど。さっきまで大人しかったし事前にやってはいけないことを言い聞かせておけば今まで何とかなったからと油断していたが、完全によろしくないパターン入りだ。

「僕が一番好きなのは二番目に発表された『こどもになれなかったおとな』なんですけれど、なんといっても歌詞がいいですよねえ!」
「その曲の歌詞はとても気を使って書いたのでそうおっしゃっていただき嬉しいです」
 
 さっきから青葉青葉と呼びかけながら腕を引っ張って椅子に座り直させようとしているがまるで効果がない。miulilさんは反応に困っているような感じで、苦笑いを浮かべている。

「みんなが当たり前にもらえるものをもらえなくて、欲しいけど我慢して大丈夫なふりをするって感じの歌なのかなと思ったのですが」
「ええ、そうですね。そういう感じの歌です」
「こどもっていう概念ってすごく昔はなくて、ある程度身体が育ったら大人と同じと見做されていたそうですよ。この大人っていうのは『働ける身体の人』って意味です」
「まあ、そうなのですね。興味深いお話です」
「だから多分……今ある大人って概念もなかったんじゃないですかね」

今度はうんちくを語り始めた。相手の都合も顧みず一方的に自分の話したいことをまくし立てるのはもう本当にこういう場では不適切だ。この状況を一体どうしたら……。
 青葉のスイッチを入れてしまったきっかけは一体何だろうと考えた。先ほどのやりとりを反芻していると、「もしかしたら」と思い当たることがあった。そういえば何だかこいつはやけに『それ』にこだわっているみたいだし、可能性は大いにある。ちょっと試してみることにした。

「……答慈!」

大きめのはっきりとした口調で、彼のファーストネームを呼んでみた。するとどうだろう、青葉は動きをぴたっと止めて、こちらの方を向いた。

「はい」

どういう心理状態なのかはまるでわからないが、とにかく助かった。青葉を椅子に座るように示して、miulilさんに頭を下げる。

「申し訳ありません、新人がとんだ粗相を……。ほら、青葉も」
「すみません……」
「……いえ。驚きはしましたけれど、ファンの方と対面でお話しする機会はなかなかありませんので、嬉しかったですよ」
「寛容なお心遣いに感謝いたします」

俺が再び頭を下げると、miulilさんは「問題ありませんよ」と微笑んだ。その表情はどこか悲しそうにも見えて、こちらが過剰に謝罪したせいで余計な気を遣わせてしまったのだろうかと申し訳なく思った。
 失態自体は今更どうにもならないので気を取り直して今回提案したい企画について説明した。

「……なるほど、新しい衣装をファンの方々に考えていただいて、ファンの方々決めていただく……」
「はい。miulilさん、この間お会いした際に今のイメージと違う曲が作りたいけれどイメージを損なうのが憚られるとおっしゃっていたので、それなら見た目からイメージチェンジを図れば抵抗感も緩和できるのではないのかと思いまして」
「……そうですね。もう、しばらく経ちますし、そろそろ私は私の意思で指針を決めて活動していかなければならないと思っていたんです。あんな独り言のような発言を、真剣に考えてくださってありがとうございます」
「いえ、プロモーションを担う以上、ご希望がありそうならそれについて考えご提案するのも広告屋の務めです」
「衣装についても、そろそろどうにかしたいと思っていたんです。この見た目が重苦しいイメージを与えている一端ですし。……ファンの方々が考え求める私の姿なら、それが一番いいようにも思います」
「では……」 
「はい。この企画、是非お願いしたいと思います」

その瞬間の俺には、飛び上がるくらいのうれしさが沸き起こっていた。今までクライアントと上司の指示通りの企画を練ってそれに沿った広告を作っていたから、クライアントの改善点を見つけてそれに応えられるような企画を一から自分で考え、なおかつそれを受注していただくなんていうことはただの一度もなかったため、喜びもひとしおであった。――この企画は絶対に成功させよう。そう静かに意気込む俺の隣で青葉が訝しげな顔で俺を見つめていたことを、そのとき認識はしていたが意識は向いていなかった。

**

「思ったより盛り上がってるなあ」
 
 俺と青葉はウェブ上のとあるショウケースの中にいた。そこには「夏」がテーマの様々な衣装が立ち並び、観覧客でごった返している。そう、ここはmiulilさんの新しい衣装としてアマ・プロ問わずの『ファン』から応募があった作品を展示しているスペースである。募集期間は終了しており、現在はスペースを一般解放していて作品へ投票を募っている最中だ。ちなみに投票すると、ちょっとした記念品がもらえる。俺たちはいつも通りイベントのバックアップやデータ収集をしているというわけだ。

「何と言ってもあのmiulilさんですからね! 今まで誰か外部の人と協力するような企画をされたことがありませんし、あまり自分のことをお話しないミステリアスな方ですから皆さん興味を持っているのだと思いますよ」
「うん……このイベントでmiulilさんのことを知ってくださった方もいるだろうし、良かったなあ」
 
 俺は会場を歩きながら、作品をしげしげと眺めた。見事なものだ。昨今では3DCGモデリングはかなり敷居が下がっており、絵を描く(特に立体を捉える)技術さえあれば誰でも作れると言われるほど、ソフトウェアのユーザビリティが飛躍的に向上していた。業務で3Dはよく扱うので仕組みの勉強のために少しモデリングソフトを触ってみたのだが、大して絵の上手くない俺でも休みを2日費やしてうさぎのような動物のぬいぐるみみたいなものを作ることが出来た。正直形を作るよりもモデルを動かすための設定……リギングの作業の方が難しかったが、それでも何とかヴァーチャル上のアバターとしてかろうじて使用できるくらいにはなったので、プライベートで使っている。頑張って作ったので結構お気に入りだ。
 俺なんかでも自分用のアバターくらいは作れる世の中だが、それでもここにあるような実際の洋服と遜色のない精巧な作りで、なおかつ独自のデザイン性があるようなものは一朝一夕では作ることが出来ないだろう。この仕事に就いて頻繁に『作品』を鑑賞する機会が増えたが、ものづくりをする人の技術力やセンスにはいつも感服している。

「たくさんの方に応募してもらえて、見ていただけて嬉しいですね。miulilさんが気に入ってくださるといいですが」
「そりゃあ気に入っていただけるだろう。どれも良く出来てて綺麗だし。俺だったら全部採用したいくらいだな」
「……そうですね」

投票期間も終了し、いよいよ集計結果が出ようという状況まで差し掛かっていた。選出された衣装は、オリジナルのモデリングデータをリギング専門の方に頼んで自由自在に動かせるようにしてもらう。確かに形を作ること自体はだいぶ敷居が下がっているが、それにボーンを入れたりウェイトを塗ったり物理演算を設定したりして実際のスカートのように身体の動きに合わせてひらひら揺らめかせたりリアリティのある布のたわみなどを演出するなどといった高度なアニメーションにはさらに高い技術が必要である。自分のアバターを作ったときに自分でそれらを設定したけれど、モデルを歩かせるだけでも四苦八苦したので誰もが認めるようなクオリティのものを作るには相当の鍛錬が必要であることは想像に難くない。

「miulilさん、こちらの作品が選出されました。いかがでしょう」

投票結果の確認のために、miulilさんには『来社』していただいていた。MRデバイスで表示した衣装を彼女はゆっくりと歩きながらいろいろな角度から眺める。

「……素敵ですね、ありがとうございます」
「これからリギング作業に移りますので、一週間ほどいただきまして完成次第またご連絡いたします」
「はい、承知しました。よろしくお願いいたします」

miulilさんがお帰りになってから今回の企画のおさらいをしつつ資料をまとめた。この衣装をリギングの専門業者の方に送り、データが完成したらmiulilさんにお渡しして最終的にその衣装で新曲のお披露目ライブを行う。もちろん夏の曲を用意されているそうだ。

「あ、そういや青葉、まだ外部の業者さんに入稿作業したことなかったよな? 今回もう発注はしてあるから、データと指示書を送るだけなんだけど。指示書も作ってあるし」
「はい、それなら1人でも大丈夫だと思います」
「よし。指定のアップローダーにデータを上げて、先方に入稿完了メールを送ったら俺に報告して。その辺の情報もまとめておいたから見たらわかると思うしメール文もお前だったら上手く書けると思うけど、もし何かわからないこととかあったら聞いて」

わざわざ「上手く書ける」と言ったのはおだててその気にさせるとかましてや皮肉とかそういうものではなくて、彼は本当に文章を書かせるといい仕事をするのだ。はじめて業務報告書を書いてもらい内容をチェックするとき、どんなとんでもない文章が飛び出すのだろうと身構えていたが、予想に反して理路整然とした読みやすい書類が送られて来たので非常にたまげた。俺より達者に書けていると思う。一応事前に書き方の指導はしたが、それでもなぜひとりでここまで書けて話すことは支離滅裂なのだろうか。
 とは言え青葉は敬語も高い水準で使えていたし話す力と書く力は全く異なるスキルなのだからまるきり奇想天外ということもない。そうは言ってもやはり驚きはしたし「言動の扱いづらさでバイアスがかかってしまいがちだけど良いところがたくさんあるのだなあ」と関心もした。
 
「はい、ありがとうございます。いつまでに終わらせればよろしいですか」
「先方が明日の17時までにっておっしゃってるから、それまでに」
「承知しました」
「さて、定時も過ぎてるからお前はもう上がりな」
「あ、はい。お疲れさまです」
「お疲れさま」
 
 **
 
「青葉」
「昨日みたいに下の名前で呼んでくださらないですか」
「何すねてんの? ……ああ、あれは『ホイッスル』だから、そうやすやすと呼ばないよ」
「何なんですか、意味がわからないですね」
「お前ほどじゃないよ。そんなことより、入稿もう終わった?」
「あ、すみません。まだです」
「締め切りまで4時間くらいあるしまだ終わっていないことは構わないよ。急遽お客さんに呼ばれちゃったからこれから行くんだけど、終わってないなら俺一人で行ってくる。お前一人でも大丈夫?」
「大丈夫です!」
「お前が『大丈夫』ってはっきり言い切るとすごい不安な気持ちになるな……」
「失礼ですね、データ入稿くらいなら僕でも一人で出来ますよ。他の人がやっているのを見ていたことありますし」
「そうか。今日帰社出来るかわからないし出来てもすごく遅くなっちゃうと思うから、もし何か困ったことがあったらとりあえず会社にいる他の奴に聞いてくれる?」
「承知しました」
「じゃあ、よろしく頼むよ」

**
 
「えっと、アップローダーのURLは……あ、電話だ」
「はい、株式会社オウバイ広告営業部、青葉です」
「……miulilさん。お世話になっております。……はい。大丈夫です。……え? 不安なこと……ですか?」
「ええと……あいにく桜庭は外出しておりますが、お話を伺うのは私でよろしいのですか?」
「……はい、承知しました。では、お伺いします」
「はい……いえ、まだ大丈夫です。はい……はい」
「……なるほど。お話はわかりました」
「……」
「……すみません、少々お待ちいただけますか」
 
「森藤さん、すみません。少しご相談したいことが」
「え? 何? ちょっと今手が離せなくてさあ、後にしてくれる? ていうか桜庭は? 桜庭に聞けよ」
「あ……桜庭さんは……」
「……」
「わかりました、お忙しいところ失礼しました」

「miulilさん、お待たせしました。……そうですね」
「私と一緒に決め直しましょう」

**
 
「……あれ、青葉? まだ残ってたのか」
「……あ、告意さん! 告意さんを待っていたんです!」
「え? 俺帰社出来ないかもって言ったじゃん。それなら連絡してくれれば……って、どうした? お前顔が真っ青だぞ。……何かあったのか?」
「っあの、すみません、ごめんなさい……申し訳ありません。僕、勝手なことをしました」
「何があったんだ」
「え、え、あの、すみません、」
「……。……いいか、俺が外出してから今までの間に何が起きてお前は何をしたのか、めちゃくちゃでいいからひとつづつ話してみろ。わかるまで聞いてやるから。俺は怒らない」
「……えっと……え……何だったっけ……」
「……俺が昼過ぎにこのフロアを出ていってから、君はまず何をしたの」
「え……っと、データの入稿をしようと思って、URLを確認しようと思って……」
「そのまま入稿はしたの」
「……いえ、そしたら、電話が来たんです」
「電話はどちらから来たの?」
「……miulilさんからです」
「……お前の端末にかかってきたの?」
「はい」
「……そうか。どんな用件だったの?」
「今回選ばれた衣装に関して、不安なことがあるので相談したいというお話でした」
「……不安なこと……。内容はどんなことだった?」
「え、と、miulilさんのところに、『票を不正に操作した人がいる』って誰かから連絡が来たそうなんです。その不正をしたらしい人が、今回選ばれた作品の制作者だったらしいんです。それでmiulilさんはその人のネット上での活動を調べて、不正行為をしたかどうかはわからなかったそうですが、不信感を抱くような発言があったらしく……」
「うん。それを聞いて、青葉はどういう行動をしたの」
「はい、自分ではどうしたらいいかわからないと思ったので、森藤さんに相談しようとしました。一番近くにいらっしゃったので」
「森藤は何て言ったの?」
「も、森藤さんは……忙しいから告意さんに聞いてくれ、とおっしゃいました」
「……うん。じゃあどうして、青葉は俺に連絡しなかったの?」
「ぼ、僕の考えを話してもいいですか」
「うん。今はお前の考えを聞きたい」
「……告意さんはお客さんの対応で忙しいから、連絡をしたら迷惑になるかもしれないと思いました。『困ったときは会社にいる人に聞いて』とおっしゃったから、きっとそうなのだと思いました」
「……うん」
「でもどうするか、自分ひとりで勝手に決めたらいけないとも思いました。そういう考えがいろいろと浮かんで、本当にどうすればいいかわからなくなりました。そうこうしているうちに入稿の締め切りまであと少しになってしまったので、僕は焦って、混乱して、勝手に自分が一番いいと思う方法を選びました」
「青葉が一番いいと思う方法って、何だったの?」
「……miulilさんと一緒に、応募作品の中から選び直すのが一番良いと思ったので、そうしました」
「……どうしてそれが、一番いいと思ったの?」
「あ、えっと……。……嘘でも本当でも、『この人は信じられないな』と思ったら、いくら作品自体が素晴らしくても、ずっと嫌な気持ちのままになるんじゃないかと思ったんです」
「……うん、わかった。今日はもう遅いから、明日の朝miulilさんに謝罪と詳細確認に伺いたいけど、俺だけじゃおそらくmiulilさんが不安だろうから青葉も一緒に来てくれる? それから企画で借りたショウルームの管理会社に不正アクセスとかがあったかどうか問い合わせる」
「はい、承知しました。……本当に、申し訳ありませんでした。勝手なことをして……。それと、怒らないでくださってありがとうございます」
「……いや。青葉は悪くない。謝らなければならないのも怒られるべきなの俺の方だ。……申し訳なかった。青葉も不安だったよな。本当に、申し訳ない」
「……え、告意さんこそ悪くないですよ。僕は勝手なことをしたので悪いです」
「……確かに、君の一存で事を運んだのは適切ではなかったが……そもそも俺の指示が適切でなかった。俺が君の指導係なんだから判断に困ることがあったら俺に連絡するよう言っておくべきだったし、他の奴に任せるなら任せるでちゃんと頼んでおくべきだったし、そもそも『もう入稿するだけ』なんて油断してトラブルが起きる可能性なんて考えてもいなかったし、それ以前に企画自体が……」
「……そんなこと、」
「……とにかく、リスクヘッジが全然出来ていなかった。全て俺の責任だ」
「で、でも、僕は、」
「ありがとな、君がいて良かったわ。……きっと俺だけじゃあ、大失敗していたから。だからmiulilさんは俺じゃなくて君に電話をしたのだと思う」
「え、miulilさんが僕の端末にお電話くださったのはたまたまですよ。きっと電話帳の上の方にあったからだと思います。僕『青葉』ですし」
「緊急事態にそんな理由で決めないだろう。……『嘘でも本当でもこの人が信じられないと思ったら』……ていうの、本当にその通りだと思うし」
「……告意さん……」
 
 **

「本当に、申し訳ありませんでした」
「桜庭さん、お顔を上げてください。もう十分です。結果的に私は満足しています。オウバイさんのおかげでなかなか踏み出せなかった新たな一歩を踏み出せたのですから。悪いのは不正行為をした人で、桜庭さんの提案してくださった企画が悪かったとは少しも思いません」
「……ですが、配慮に欠けていたと思います。miulilさんに余計な心配と手間をおかけしてしまい……」
「……誰かが不正行為をすること前提でものを考えはしないでしょう。……考えたくもないです、私でしたら。そもそもシンガーソングライターのくせに自己表現を恐れる私にも問題があります。……今回はいろいろと収穫がありました。ですので、どうか気に病まないでください。これからもよろしくお願いいたします」
「……はい」

あの夜の翌日以降のヒアリングと調査の結果、miulilさんの元に来たタレコミ情報の通り最初に社内で選出された作品の制作者(の協力者)はショウルームにハッキングをして票数を操作していたことが発覚した。当然警察沙汰なので社内はしばらくそれの対応でごたごたしていたがmiulilさんの新曲発表ライブは予定通り行われた。その際、弊社とmiulilさんによって事実を……新衣装応募者による不正行為があったので衣装は一般票による選出ではなくmiulilさん自身が選び直したということを公に説明した。ファンの皆さんには概ね理解していただけたように思うが、やはり「最初からmiulilが選べば良かったのでは」や「セキュリティやシステムに問題があるのでは」などのご意見もいただき、miulilさんにも会社にも申し訳が立たない思いだった。miulilさんにはああおっしゃっていただいたが、自分の考えの甘さと意識の低さによって招いたトラブルに対する後悔の念があれからずっと身体と心に重くのしかかっている。

「……miulilさんが本当に求めていたことって、何だったのかな……」

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