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進捗報告と今後の展望(概要)

やったこと

  • サブシナリオ(答慈と告意の過去の話や、その他メインキャラクターに関するエピソード)のリストアップ(30個ほど。メインシナリオやサブシナリオ同士の兼ね合いでエピソードの取捨選択を続けているので、数は多少増減すると思います)

  • サブシナリオ4つ執筆(計約10000字。内容にもよりますが、1つ2000〜3000字程度のものが多くなりそうです)

  • 画面構成(配置)についてざっくり考えた


「結局ノベルゲームって何なんだろう」っていう思考の断片

『制作側にとって都合がいいだけ』になっていたかもなあ?

※あくまでも「私が私の制作について思うこと」の話です

私はゲーム制作歴が10年以上ですが、私が始めたころと比較すると多種多様なツールやサービスがたくさん登場していることから、近年は格段に『ゲーム』が作りやすくなっていると感じています。
特にノベルゲームは他のジャンルのゲームよりもコストをあまりかけずに作ることができるため、作り手としては簡単に自分の表現したいことが実現できるのでありがたいなあと思っていました。

作り手としてはありがたいノベルゲームだけれど、受け手として見たとき、一体『(個人制作の)ノベルゲームの良さ』って何なのだろうということを最近考えています。

ノベルゲームって『紙芝居ゲー』と揶揄されることもありますが、「わざわざプレイヤーに文字(文章)を読んでもらう理由」をちゃんと自分で定義して工夫しないと、それは本当に『動画の下位互換』になってしまうなあと感じています。
もう動画は誰でも無料でいろいろなものが楽しめ、個人でも簡単に投稿できる時代ですし、そうなってしまうのはすごくもったいないよなあと思います。

ところで私は読書が好きなのですが、本は「自らが本の世界に入っていく」体験で、文字情報からグラフィカルな想像を膨らませるのが楽しいものだと思います。
一方でノベルゲームはグラフィックやサウンドが付随しているのが特徴で、その点では過度に想像力を働かせなくても視覚的に理解し楽しむことができるので、「作品の世界に引き込まれる」体験だと思っています。

どちらにも良い点があって私はどちらも好きですが、受動的に偏りがちなノベルゲームの体験に読書のような能動性を持たせて、バランスよくできないかなあと企んでいます。
(ノベルゲームには『選択肢』でシナリオ分岐するといった手法がありますが、それは主体性はあっても能動性はあんまりないかなあと個人的に思います)

そういうわけでこれからは『ノベルゲームの再定義』と『ノベルゲームに能動性を持たせる』ということをテーマにして可能性を探りながら引き続き制作をしていきます。


毎日暑いので熱中症に気をつけようね

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