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「良い」っていうのは?

暑い暑い夏だけど、これを書いたのはちょっと暑かった春の日の夜。2ヶ月ぐらい経ったけど思いは変わらないから今ここでアップしようかな。

世の中が少しでも良くなるようにと願う人の気持ちは普遍的で僕もそのひとり。でも「良くなる」の内容ってみんな少しづつ違う。じゃぁ結構たくさんのみんなが「良い」って思うことってなんだろう?っていつも考えています。よかったらみなさんも考えてみてください。

今の時代でいえば、「コロナがなくなれば良いよね!」なんてことかな。でもそれってコロナが無くなるよりも、「コロナのせいでこのような窮屈な生活を強いられている状況から脱したいよね。そのほうが前みたいに自由だし絶対に良いじゃん!」の意味が強いと思う。それは良くなっているように思えるけど、結局は元に戻る方がいいと考えてしまう。日々の生活の窮屈さは「良くしたい」という感覚さえ狂わせてしまうと。それはとても恐ろしいこと。

僕がよく言っている「平穏な生活」というのは、例えば子どもたちが騒いでいるの見て「良いなぁ」とか、夜中にイヤホンマイクで電話しながら散歩する若者を見て「良いなぁ」とか思う、そんなことも含まれていてって、それは若さを羨望しているのではなく、騒げる環境があるとか、夜中に話す相手がいるとかそういうこと。それって、日々安心して暮らしているからできること。でもその暮らしって本当は、ボールの上に置いた板の上に立つような、とても危ういバランスの中で成り立っているような気もする。そしてそのバランスは、とりあえず今の時点で「良い!」って思う方を強く思えば安定するし、「このままでいいじゃん」って思うほど片足に少し力が入ってバランスが崩れる。満足感は大事だけど、それはいつだって脆い。その脆さをフォローできるのは僕らしかいなくて、その方法は日々の生活の些細な違いに気がつくこと。いいことも悪いことも大体のことは大きな音を立てずにやってくる。
結構たくさんのみんなが「良い」と思うことってなんだろう?
そんなことを考え続けることが、バランスを取ることのできる唯一の方法かもしれないなって思った。
日々の暮らしの中で考え続けようかな。

写真はある春の日の光景。眩しすぎるような光景がずっとずっと続きますように。

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