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「株式会社FMおおつ」代表 古田誠さん KON-KON! おじゃまします(6)

まちスポ大津スタッフが今聞きたい人にインタビューをする“とびだす!KON-KONおじゃまします”!2022年度から開始した活動の、取材先第6号を掲載します。
災害時の情報発信拠点としてコミュニティラジオ局「FMおおつ」を起ち上げ、現在もラジオ局の特性を生かして様々な活動を展開されている古田誠(ふるたまこと)代表にお話をお聞きしました。(以下、敬称略)

古田誠さん略歴

毎日新聞社で28年間記者として活動。記者をしながら毎日放送とテレビ番組を制作したりデジタル分野の仕事にも携わる。50歳を過ぎて新聞社を早期退職。何かに導かれるように和歌山ラジオ局IT戦略室長に転身、図らずも深夜ラジオに熱中していた頃の夢を叶える。和歌山ではラジオ放送局の創業・運営のノウハウを吸収するかたわら、和歌山県情報化推進協議会(WIDA)防災研究部会メンバーとして災害時のFMラジオを使った避難所運営実験を研究するなど勢力的に活動。60歳を機に地元大津に戻り災害時の情報発信拠点として2018年FMおおつを創業、現在に至る。


和歌山県民の危機意識

まちスポ:さんのご経験の中でも今回は主に災害対策との関わりに焦点を当ててお聞きしたいのですが。

古田: それでは、まず50歳で和歌山県串本町のラジオ放送局に転身したところからお話しましょう。和歌山県といえば南海トラフ地震による死者数が8万人(和歌山県人口のおよそ4分の1)にのぼるとの予測が出ていて、自分達の命を守るにはどうしたら良いかを、それはもう必死になって考えていましたよ。ただ、私が行った当時は津波から逃げることを諦めているような雰囲気もありまして。と言うのも串本とか御坊、田辺と言った海岸線の地域にはとにかく高台がない。近くの山まで7kmも8kmもあるのに走って逃げられると思いますか?

まちスポ:とても逃げられませんね。

古田:例えば、海抜1〜2mの地域にあった串本町役場なんかは、事務所の壁一面に救命胴衣がズラーっと並べてかけられていましてね。津波に飲み込まれて散々流されることは避けられないと。それでも生きながらえて町民の救助に向かうための準備だそうです。その悲壮とも言える覚悟にはとてもショックを受けました。

まちスポ:すごくリアルで生々しいお話です。

古田:まあ、そんな串本町役場も現在では高台に移転しましたけどね。ここ数年で津波対策は随分と進みました。ただ、それでも串本駅など未だに低海抜の地帯から高台へ移転できていない建物もあって、まだまだ完璧とは言えない状況です。

まちスポ:古田さんは和歌山でどのような活動をされていたのですか?

古田: ラジオ局勤務の傍ら災害の研究をしていました。大学の先生方と一緒に和歌山の海岸沿いの地域を調査してまわったり。また、NHK和歌山や和歌山ラジオ局、和歌山大学などオール和歌山でプロジェクトを組んで全国の高校生達に臨災局(臨時災害局)の運営を体験してもらう活動をしていました。実際に、先般の熊本地震では放送局が被災し、放送機材を掻き集めた臨災局からの情報発信が大きな成果を上げましたし、もしかすると、大人達がみんな死んでしまうかもしれないわけで、高校生達が生き延びたならば彼らに必要な情報発信をやってもらわなければいけない。そんな思いでした。

古田誠さん

まちスポ:和歌山県だからこそ伝えられる危機意識ですね。若い世代に考えてもらったことにも大変意義を感じます。

古田:和歌山には9年間いたことになるのですが、危機意識が高い方々と一緒に活動するうちに段々と自分の地元はどうなのだろうと考えるようになって。やはり活断層が走っている以上、大津にとっても地震は喫緊の課題です。熊本地震で益城町が崩壊したことから活断層地震の恐ろしさは十分にわかりましたから。災害時の情報発信拠点として大津にも小エリアのラジオ局が必要だなと。それで60歳のタイミングを機に大津でラジオ局を起ち上げてみようとなった訳です。

右は40年来の盟友でFMおおつ番組ディレクターの山田隆さん。
「僕は古田の被害者の会代表」と苦笑しながらも楽しくて古田さんの磁場から離れられない。

仲間たちと手づくりのラジオ局

 まちスポ:ラジオ局の起ち上げはお一人でされたのでしょうか?
 
古田:それはまあ、ここにいる山田さんを始め古くからの仲間を巻き添えにしてね(笑)
山田: 古田さんはいつも突然だから(笑)。思い立ってから行動に移すのは早かったけど、そこから色々とハードルがあって開局までは随分と時間がかかりました。
古田:コンサルに頼らず一からの手作りでしたからね。

まちスポ:山田さんは、古田さんからラジオ局を手伝ってほしいと言われて迷いましたか?

山田:いやいや全然迷わなかったですよ。彼の書いた企画書が凄かったから。今でも困ったときに見返すと参考になる、まさに事業の骨格ですよ。それに、何より面白そうだったしね。60歳を超えてラジオ局をやるだなんて、ワクワクするじゃないですか。
古田:大津の魅力を発信する番組を山田さんにやってもらいたくてね。それが今も土曜日の午前10:45から放送している「校区で行こう」という番組で、大津で活躍している方々をお迎えしてトークを展開しています。

まちスポ:古田さんは最初から事業のイメージができていたのですね。すぐに共鳴できたのにはお二人がラジオ世代だと言うこともありますか?

山田:うん、間違いなくラジオ世代だし、ラジオを身近に感じていたって言うのはありますね。
古田:それに、元々一緒にメディアをつくっていたのでね。「みずのくに」って言う地域のタウン誌(ミニコミ誌?)です。活字が音声に変わってもノウハウには共通するものが多いのでね。

ふるさと大津への想い

まちスポ:お二人は大津生まれの大津育ち。大津ってどんな街ですか?

古田:山田さんと知り合った1970年代後半の大津は、新しいことを積極的に取り入れて失敗してもチャレンジし続けていた街だったし、その頃の大人達には尊敬の念がありました。ただ、それ以降の大津は全く新しいことをしない、時間が止まっているかのような、それでいて良かった部分を保つこともできていない。過去を踏襲するのが手堅いと思い込んでいる。はっきり言って何の面白みも無い状態になってしまっているので、そんな大津をラジオで面白おかしく掻き回したいと言う思いがありますね。

見直してほしいラジオの有用性

まちスポ:実際に大津でラジオ局をやってみてどうですか?

古田:いわゆる衰退文化ですからラジオ局の運営は大変です。コミュニティラジオ局には行政資本が入っているところも多いけど、うちは完全自活だから余計にね。まあ、それは最初からわかっていたこととして、想定外だったのは未だに大津市との間で災害時における連携協定を結べていないことかな。

まちスポ:ええっ!?大津市役所とこんなに近くなのに連携していないのですか?驚きです。

古田: 大津市民の100%が受信できる電波ではない(およそ30%が難聴エリア)というのが連携協定を結べない理由だそうです。難聴エリアの課題はインターネットのサイマル放送(アプリで手軽に視聴可能)により補完しつつあるのですけどね。それよりも、そもそも災害は起こりっこない、もし起こってもLINEやSNSがあれば情報伝達には充分だと考えているのだと思います。確かにSNSは便利ですが、それに頼り切るのは危険です。あらゆる事を想定するならば少しでも多く情報伝達の手段を残しておくべきだと思うのです。

まちスポ:最後に一言お願いします。

古田: FMおおつはスマホで手軽に聴くことができます。地域のお役立ち情報を知るツールとして、災害時の備えとして、ぜひ視聴アプリをダウンロードしてみてください。また、普段は使わなくても電池式のラジオは一家に一台の欠かせないアイテムです。乾電池1〜2本で半年はもちますし多勢の人が一斉に使用したとしても電話回線やインターネット回線のようにパンクすることがないので、これほど災害時に有効な情報機器は他にありません。ラジオは優れた情報ツールであり素晴らしい文化なので、多くの人にもっともっと愛してほしいですね。

まちスポ:今回は非常に貴重なお話を聞くことができました。幸いなことに、これまでの滋賀県は災害が少ない県でしたが、近年頻発している天災人災を考えますと、いつどこで何が起こってもおかしくありません。特に、琵琶湖西岸断層地震が発生した場合の県内被害想定は死傷者数14,000人、避難者数82,000人、大津市では4人に1人が被災するという未曾有の災害規模が予測されています。もはや災害に強い地域社会の形成は急務であり、我々まちづくりスポットとしても今後様々な立場の方々を巻き込んだ防災の企画を打ち出していきたいと考えています。 

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