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教育現場を離れて1年経った私が、今でも教育に興味を持つ理由を考えてみた


私は新卒で大学受験予備校に就職し、約10年間仕事をしました。
なぜ「約」なのかというと、10年の間に産休育休を取得したり
仕事と全然関係ない資格スクールに働きながら通ってみたり、
全く異業種に転職したと思ったら数年で予備校に出戻りしたり

書き出してみると物理的にも心理的にも大分ふらふらしていて、細かく説明するのが面倒くさいなと思ってしまい、大抵の人には「約」10年、もしくは10年だよ〜と言ってしまっています。
現在は予備校社員を退職し、多少関連のある在宅ワークをしながら、幼稚園の息子の育児をする兼業主婦をしています。

予備校生活が終わって、面談をする生徒がいるわけでもないし、相談に来る保護者もいない。常に誰かが喋ってる職場から離れて、ずいぶん静かな生活になりました。教育から全く離れても構わない、何をしても良い状況ではあって、もうそんな生活が2年目に突入しようとしてるのですが、教育、進路、キャリアに関してのことがなんだかいつも頭の片隅にいることに最近気付きました。

私は基本的に飽き性。

なのに、なぜなんでこういったことには興味を持ち続けているのかをまとめてみました。

1.私自身が、ずっと「専門知識(分野)を持っている人」に憧れがあって、世の中にはどんな分野があるか知りたいから

好きな番組 情熱大陸、警察24時→生活の中でなかなか触れない世界を見れるのが好きなんだなと
本だと13歳のハローワーク、三浦しをんさんの「教えてお仕事」、はまったゲームは逆転裁判シリーズ。いつかやってみたいことは裁判傍聴。こうやって書くと、何でしょう。一定の専門分野をもって、仕事をしている人を見るのが好きなのかもしれません。
私が10年の間にふらふらしていた行動も、今思えばこの考えがあって、理想を追い求めていたのかも。

2.生徒、保護者からの質問や意見で自信を持って応えられなかった情報、導き方の答えを探したいから

こんなこと働いてた時にはとても口に出してはいけないのですが、調べれば答えが出るだろうけど時間がかかる質問(過去の入試問題を分析した見解など)、明確な答えがない質問(進路に対する意見など)、カウンセリングに近い会話の導き方(モチベーションをあげるなど)など、10年近くやっても、はっきり答えられない問いは山のようにありました。
むしろ、そういう問いの方が多かったかもしれない。
しかも、答えが出ないうちに次から次へとあらゆる方面から押し寄せるから、今でも頭の中は「あの時どう答えるべきだったんだろう」だらけになってしまいました。後悔に近い思いを持ちながら、遅くなってもその答えを探してるんだなと気付きました。

3.教育現場の限界を自分なりに知ってしまったから、将来学校に行くようになる子どもに、それまでに何をしてあげられるか知りたいから

進路担任をしているとき、「もっとうちの子のことを見てほしい、指導してほしい」と伝えられる場面がしばしばありました。「かまいすぎです、ちょっと放っておいてください」と言われたことはないので(笑)、私の生徒との関わり具合は、ちょうど良く感じる生徒もいれば、ドライに感じて寂しく思う生徒もいたのでしょう。
今は自分に子どもがいることもあって、当時よりそういった保護者の方の気持ちに共感できます。お金だって多くかかってるし、何より大切な子ども。指導に物足りなさを感じるのであれば、遠慮ばかりしてられないって思いますよね。

そしてそれと同じくらい、当時の自分が感じた負担、苦言を呈されてしまったショックも覚えていて。頑張れども頑張れども終わらない事務作業、押し寄せる電話や来校者対応、、生徒と接したくてこの仕事を選んだのに、それ以外のことに時間や気力を取られて、うまくいかないもどかしさ。
もちろん自分の未熟さもあれども、昨今報じられている「学校教員の負担」と照らし合わせると、同じような葛藤を感じている指導者は大勢いるのでは、と思っています。

この経験から私は、「自分の子どもに関わってくれる教育関係者の先生方には最大のリスペクトを表現しよう」と決めています。(今は幼稚園の先生に)
極端な言い方をすると、多少変わった先生でも、「あの先生個性的だね⭐︎」と私も子どもも笑い飛ばせるくらいの余裕を作って、学校に送り出してあげたいのです。
少し話が脱線しましたが、そのために自己肯定感や心の整え方、基本的な生活習慣や学習姿勢など、家庭でできることを勉強したいなと思っています。
諦めではなく、先生に多くは求めない。忙しい中で、辞めずにきちんと仕事をしてくれてるだけでありがたや。何かプラスの影響を与えてもらったらラッキー!感謝!加点方式のイメージを持っていきたいと考えるようになりました。
そしてこの考えが、他の家庭と指導者にとって少しでも役に立てたらなと思います。

4.自分が見てきた生徒、保護者から学んだことを、予備校職員の立場ではない位置から、わかりやすく発信して、読んでくれた方の役に立てるようになりたいから

(ここまでの考えと少し重複するところもありますが備忘として、、)

例えばベクトルが苦手です、と言われたら、進路指導員は講習でベクトル講座を勧めます。
今の成績と志望校レベルに差があったら、進路指導員テストの結果を見て、足りない分野の穴を埋める講座を全て勧めます。
指導としても会社員としても、これは決して間違っていません。

ただ私は現場を離れて、「進路って生徒が自分で選んでいるように見せかけて、実は周りの環境に選ばされてしまっている子が多い気がする」と思うようになりました。渦中にいるときは思いつきませんでした。

例えば高偏差値の進学校であれば、学校の先生から、「どの大学を志望するか早めに決めましょう、おすすめは旧帝大、早慶です。興味があるところにオープンキャンパス行ってね」といったスタートで入る。10年違えば世の中は随分変わってるのに、生徒の話を聞く限り、私が学生だった十数年前から進路指導はあまり変わってない気がします。
そして、これは予備校もほぼ同じ。

もちろんこういった流れの中で本当に行きたい大学を見つけられる生徒も一定数いるのですが、予備校の現場で「興味のある学部がない」「行きたい学校がない」という生徒も同じくらい、いや、それ以上かもしれません。とにかく本当に大勢いました。
それでも、「それなりのレベルの大学から、まあその中では興味のある学部」をとにかくその子たちは選ぶ。というか選ぶしかない。選べって指導しかされてきてないから。
そして短い受験生活の中で、勉強もしながら、何となく考えた志望校を何となく目指して、結果が奮わない子も多く見てきました。

進んだ高校のレベルによって、ある一定の枠組みが暗黙の了解のように存在していて、生徒がその枠組みを出る機会はほぼ皆無。もちろん学校にも予備校にも、ある程度の進学実績が必要という事情があることは理解してます。だからこそ、一つの情報として、その枠を取っ払う考え方が存在してもいいのかなと思いいろいろな人の人生、進路選択に関することを扱ってるものは媒体を問わず目を引いて見てしまうのです。

若いときにやりたいことが決まっていなくても悪く思う必要は全くない。こういった職業、それに伴う学問を勉強した人材が不足しているから、今決まってない人は調べてみるといいよ。求められている分野から選ぶことだって立派なんだよ

いきなりですが、これは私が大人になってから触れた考え方で、学生のときに知りたかったなぁと思ったものの一つ。こういう話をもっとできたらなと思っています。

ということで、今回は私が考えを整理したいこともあって、今でも生活の中で教育について考えることが多い理由を書き出してみました。


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