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蚯蚓出(みみずいずる)|七十二候

冬眠していたミミズが地上に現れ始める頃。
ミミズは、「目見えず」からメメズになり、転じてミミズになったとも言われています。
ミミズによって落ち葉や死がいなどが分解され、栄養豊富な土が出来上がります。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、ミミズを「大地の腸」と言ったそうです。

「ミミズ、ミミズ」
と思いながら、朝、散歩をしていたら、
なんと、足元にミミズが!

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すごいですね!

ただ、せっかく出て来てくれたミミズさんには申し訳ないのですが、
「ミミズ=手足がない=蛇」
と、蛇がどうしても頭から離れなくなってしまったので、今日はミミズならぬ蛇についてお話しさせてください。

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蛇には、たくさんの思い出があります。
こういうと、まるで蛇好きみたいですが、
私は貧血を起こすぐらい蛇が大嫌いです。

最初に駒の湯で蛇を見た時、
本当に貧血で倒れました。
あの手足がない姿が大嫌いなのです。

なのに、傷ついた蛇が癒しに集まってくる、
蛇の温泉と言われた駒の湯に嫁ぐというのも、
何かの縁ですね。

あっ。
念のためにお伝えしておきますが、
今は蛇は大丈夫ですから。
あくまでも、私が嫁いできた頃の、
40年近く前のお話ですから。
ご安心ください。
ただ蛇も傷を癒しにくるぐらい効能のある温泉
というのは今も同じです。

さて、話は戻って、蛇です。
そして蛇で思い出すのは「蛇のおじちゃん」です。

「蛇のおじちゃん」が初めて駒の湯にいらした時、あまりの強面と、がっしりとした体格に、
てっきりその筋の方だと思って、震えながらお昼の御素麺をお出ししたのですが、

(当時は日帰りのお客様のために、
 お素麺とお蕎麦と、
 駒の湯名物”けんさんやき”を
 提供していたのです。
 この“けんさんやき”が本当に絶品で
 お客様にも大人気だったのですが、
 そのお話はまたいつか)

実は、とても優しい方でした。

そして、そのお素麺が気に入ったのか、
駒の湯が気に入ったのか。
競輪選手だった「蛇のおじちゃん」は
それから毎月、試合の前の10日間、
駒の湯に宿泊してくださるようになりました。

そうなると、もう家族みたいになるのです。

その後、私たち夫婦に息子が生まれ、
でも二人とも忙しくてバタバタしていると、
「蛇のおじちゃん」は、あのがっしりとした肩に一日中子供を乗せて遊んでくれていました。
いわゆる子守をずーっとしてくれていたのです。

そんなある日、
道の真ん中に蛇がいたのです。

その蛇を「蛇のおじちゃん」は
なんてことはない動作で、すっと素手で掴み、
息子の顔の前に差し出し
「おい、握ってみろ」
っと言ったのです。

息子はもうびっくり。
多分3歳になるかならないかの頃だったと思います。
でも、子供ながらに何か思ったのでしょう。
恐る恐る、その蛇をぐーっと掴んだのです。

「僕、蛇を掴んだ!」
鼻を膨らませて、もう得意げで、得意げで!

だから「蛇のおじちゃん」なのです。

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「蛇のおじちゃん」は、
競輪を引退後も、ずっと駒の湯に来てくださいました。

最後にいらした時は、
多分、70歳は過ぎてらっしゃった思うのですが、杖を突きながら、なんとか駒の湯まで来てくださいました。しかしそのまま歩けなくなってしまったのです。
でも、それからしばらく駒の湯で養生され、
なんとか歩けるようになって帰って行かれました。
後で聞いたところ、
肺がんと骨肉腫を罹っていたそうです。

「蛇のおじちゃん」は
戦時中、予科練の教官として
若い人を何人も戦地に送ったそうです。
その罪の意識を一生抱えていました。
そして国の言うことを、ただ鵜呑みにしていた自分を責め続けていました。

ある時、
ロシアの凍土からマンモスが発見された、とニュースになったのです。
蛇は嫌いだけど、恐竜好きの私は
キャーキャー興奮していたのですが、

「自分で見たのか」

と厳しい顔で問うのです。
そして「自分は、自分の目で見たものしか信じない」と。

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亡くなる前、夫が病院にお見舞いにいった時、
「何しに来たんだ!」
と夫に怒鳴ったそうです。

国を信じない。
だから保険にも入っていなかった「蛇のおじちゃん」は、病院の大部屋に入院していたそうです。

「帰れ!」
と夫を追い出し、
お見舞い品も全て突っ返したそうですが、

「これだけはもらっておく」
と私からの花束だけは受け取ってくださったそうです。

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今も蛇は嫌いです。
でも、気功をやりだしてから、
昔のように蛇を見てきゃーきゃー騒ぐことはなくなりました。

ただ、「あっ、いるね」
と思うだけです。

それは命のつながりを
感じるようになったからかもしれません。

人間もお腹の中では
水の中で浮いている魚の状態です。
そこから手足が出て、
つまり、魚から、両生類、哺乳類と、
進化の過程を経て、最後、人間として生まれてきたと思うのです。

そう考えると、
その過程、過程の生物の命と
全てつながっている気がするのです。

だから散歩中、犬とかカエルとか見ると、
どうしてお前はイヌなの?
どうしてお前はカエルなの?
といつも思います。

誰がお前をイヌとして生まれさせたのか。
誰がお前をカエルとして生まれさせたのか。
本当に不思議に思うのです。

そして、この世界がまるでおもちゃ箱をひっくり返したように命が満ち溢れ、全ての命がキラキラと輝いてみえるのです。

だから、蛇を見ても
「あっ、そこにいたのね」
なのです。

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「自分で見たものしか信じるな」
その「蛇のおじちゃん」の教えが
見えない命のつながりを教えてくれている。
そんな気がしてならないのです。

秘湯と気功に感謝を込めて。