享楽のうた

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 川が流れている。いや、流れていると言えるだろうか。川幅が太く、凍りついたそれは、ほとんど流れているとは言えない。さながら海にまで続く、長い一本の氷の道のようだ。
 まだ朝が早い。七時頃だろう。川辺の薄汚いレンガ張りの舗装道に立った少年が、川に何か石のようなものを投げ入れた。小さな音がして、その石は水面の氷を割った。
 ここは街はずれだ。少年の立つ岸の対岸は人家もまばらで鬱蒼とした森が広がっているが、こちら側には街がある。まだ人通りは少ない。少年が飼い犬の名前を呼んだ。ムスペル。マラミュートだろうか、白くて毛が長く、ポニーほどもあろうかという大きさの犬が少年に駆け寄ってくる。ほんの二十年も前ならば、この街ではまず見かけることのなかった犬種だ。昔、夏は暑かった。八月には気温が摂氏四十度を超えるような日もあり、とてもではないが毛の長い大型犬が住めるような環境ではなかった。だが、それも二十年前の話だ。突然の氷河期の到来。それが全てを変えた。飢餓や治安の悪化。北方のいくつかの国は既に巨大な(巨大と形容するにはあまりにも巨大な)氷の壁に押しつぶされ、消滅した。だが、良いことが何もなかったわけではない。この街でもこうして、マラミュートを飼えるのだから。
 少年とマラミュートは河辺から離れ、街の中へと消えていく。

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