ある女との出会い
出会いはもう30年近く前になります。
母子家庭で家賃の支払いさえ大変な出費で、毎月頭を抱える日々でした。
何回も応募した挙句、このほどようやく賃貸契約がきまりました。
初回の支払いは5,000円でした。万歳やった!
そう思って移り込んだ住まいは都営住宅の一室でした。
少学校1年生の子供と二人、これからの生活に余裕ができることだろうことに、ほっとする思いでした。
しかし、左右を見ると、家賃としては恵まれた環境に住んでいるのは、決して苦労している風な人々ではありません。
が、あんまり深く考えるでもなく、住民となりました。
さて、ここから私の思い出となります。
一軒おいて右隣に、私より年長の50歳くらいの女性(Tさん)がいて、様々なことを教えてくれました。この住宅に入るとき何をしたらいいとか、となり近所の付き合いはこうするとよいとか、どのような人がいるのかまで丁寧に教えてくれました。
世帯数40の中に入って、仕事をしている私は覚えきれないほどいろんな情報がありましたが、ほとんどTさんより教えていただいたことでした。それは丁寧に教えてくれました。
付き合いが深まるにつれ Tさんが一人世帯であることを知り、疑問で仕方がありませんでしたが、いらぬ詮索はしないと思い、聞くことはありませんでした。
都営住宅の規則で、同居する家族が必要であることは知っていたので、部屋に招かれると、旦那さんはなくなったのかななど思ってお位牌を探したりしました。
整然とした部屋の中は結構難しそうな書籍がいくつか並んでいます。
ここでも、私は口を開くことなく終えました。何か事情があるようだと思いつつ、その同時の私には忙しく日々を送る生活が待っています。
ほとんどの人が夫婦、兄弟、親子で住まい中で、たった一人でいることにもっと、関心を寄せてよかったと今では後悔しています。知ったらもっと親身になってあげられたかもしれない・・・
そんな中に多少なじんだころ、聞こえてきたのは、かつて【あっちの男と、こっちの女がくっついた・・・】そんな興味もない風聞でした。
『だって、ここは世帯持ちしかいないのに・・』私の常識はその程度にしかありません。
夫婦世帯が中心の団地で、あっちの男と、こっちの女がくっつく?
私には理解の外でした。
ずっと後Tさんも亡くなった後ですが、住宅の中でも親しくする人が増えて、ビールを持って飲みに出かける程のひともいました。
その人から聞いたのは『Tさんの亭主はハンサムだったよ』そうなんだ!。やはり離婚したんだ・・・
ひとにはいろんな事情があるでしょうから、ましてや夫婦となればいい時ばかりでなく、きわどい対立が起こることもあるでしょう???
しかし、ハンサムだったというその飲み仲間の言葉は言葉の中に悔しさが満ち満ちていました。
男はTさんのご亭主、では、こっちの女は居ずらくなって、この団地を去っていったんだろう。
私は勝手に想像をしていたものです。
かなり以前からですが、私は近所の内科に日参するようになっていました。目を酷使する仕事のため、肩こりがひどくマッサージ、針に通う傍ら、内科医で胃腸薬までもらっていました。ある日内科医が大きな声で受付に『おい、Tさんに電話してくれ!』日参している中で数回そんなコトに出会いました。
亡くなってから内科医に尋ねました。『Tさんはなんだっんですか?』
内科医は言いました『Tさんは自殺したんだよ。』団地の中では誰より親しいはずのTさんのことを私はあまりに知らな過ぎたのです。
Tさんのすでに亡くなって数年後のある日、団地の掃除をする順番が回ってきたとき、ある男性が近づいてきて、『うちなど、仮面夫婦になってしまった・・・』という一言
思わず手にした清掃道具を落としそうになりながら、『こっちの女がある男の妻』だと知ったのです。そして、今もなおこの住宅に住まっている???
知らない顔ではないのです。「あの人が不倫の相手、そしてTさんの離婚」・・・
大変だ!!!
くっついたとは明らかに不倫を指す言葉でしょうから、何事もなく住み続けていることが私には理解することができませんでした。
それを知った当時はTさんは亡くなっていたので、衝撃と同時にその女に対する抵抗感はかなり強くありましたが、それ以上には考えるのはひとまず辞めました。
離婚して、くっついた女が今もいる共同住宅、実は玄関先ならTさんの部屋まで数歩で行ける距離・・・
Tさんはどんな思いでその後離婚したのち、亡くなるまでの20年を過ごしていたのでしょうか。
じぶんの亭主は居なくなった、家庭は崩壊した。
仮面夫婦と言いながら、今もなお都営住宅の恩恵を被りながら、住まい続ける不倫女とその夫
私ならどうするか?!
Tさんは心の強い人だったとおもいます。青天の霹靂で突然降ってきた離婚劇。
その渦中、3軒隣り合わせには災いをもたらした女が住んでいるのです。Tさんはホテルに勤めて自分の生活を維持してきたようです。
時々池袋の改札で彼女と出会いました。私も帰宅途中だったのです。『池袋のデパートでないとおいしいお肉が買えないのよ。』そうか・・いいものを使っているのね。おめでたく私はその言葉をまるで100%信じておりました。
Tさんとはその後も何度も改札で会いました。サンシャイン通りでも歩いている彼女に出会い、お茶をしたこともありました。しかし、池袋でもしかしたら、ホテルの仕事は早く終業するので、アルバイトでもしていたのかもしれない。そんなことを考えていました。
Tさんは通常の感性の持ち主でした。
私とTさんはかなり信頼しあい、ペットの犬の餌やりをお願いする程の交流をしておりました。鍵を預け、えさをやってもらい、さらに散歩まで頼んだりしていました。Tさんはむしろ喜んで、嬉々として散歩をしてくれていたと思います。
長く生活していたら、不満はあり、悪口の一つや二つは出てくるのでしょうが、一切そんなことは言う人ではありませんでした。私が、それ以上深く考えることもなく終わっていたのは、彼女が他人の悪口を言うことがなかったからです。何事もうまくやっているんだろう、勝手にそう思っていました。
ただ、私と散歩に出た途中、手に持ったごみを、風の中にまき散らしたときは公共心のある人なのに、どうしたんだろうか?
いくらか疑問を持ちました。深く考えない!そう思って否定しました。
さらに団地内で猫の餌やりが問題視され、高い階から猫の餌をなげることは迷惑行為とされたとき、Tさんの餌やりを目撃してしまいました。
このような行為は前も見たことがあります。Tさんの心の抵抗であったのかもしれません。
無言でTさんを見ると、後で知ったことですが、おそらく団地内の評判である不倫と離婚問題を私がうわさで聞き知ったであろうことを感じ、私を避けるようになったのです。実は私は当時全く何も知らない人でした。
その後、ガンで治療中の彼女は水道橋の病院へ入院します。
見舞いにもゆきましたが、結局帰らぬ人となり、その後の詳しい状況さえ知らぬまま数年を過ごします。
Tさんが逝ってから、新しい人が元の部屋に住んで10年近くが経過します。
一番親しい人だったTさんの、私は想い出を認めることにしました。
むろん、どのような女に誘惑されても、それに乗らなければいいのです。誘惑され飲み込まれたTさんの夫の行動が褒められることではないことは百も承知です。
今振り返ると、亭主にも裏切られた彼女は、どこかの優しい男性と会っていたのかもしれません。それもなかったら、どうして普通に暮らしてゆくことができるでしょうか。
人には心を寄せてくれる、傷ついたこころを癒してくれるやさしさが必要です。乾いた心を潤してくれたどこかのどなたかがきっといたことでしょう。と信じます。
そう思えたころ、胸のつかえがいくらかとれてきました。Tさんはきっと自分らしい生き方を見つけていたんだ・・・
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