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愛の大きさ

人は生まれた時は、自分への、人への愛の大きさに違いはない。
みんな大きな愛を持っている。
きゃぴきゃぴした楽しさ、陽気さ、人を思いやる気持ち、自分を大切にする心。

愛=思いやりととらえてみてもいいと思う。

いっぱいあった愛で満たされた心は、大人になった今、人によって違いがあるようにみえる。

それはどこに行ってしまったのか?なくなったのか?

そうではない。いつも、いつでもそれぞれの心の中に同じだけある。

もし、自分はその思いやりを忘れていない、人への無償の愛がある。
と思っていても、それは相手の望んでいる愛ですか?

自分のものさしで人に愛を与えていませんか?

その人が、寂しい、と言った。
寂しくないよ、私がそばにいるから、と返す。

その人の欲しい寂しさの意味がわかりますか?

その人は、ただ、うなずいてくれるだけで、受け入れてくれるだけで、わかってくれた、という安堵感が欲しいのかもしれない。

寂しくないよ、私がそばにいるから。
と言われても、現に私は寂しい思いが『ここ』にある。
だから否定しないでほしいと相手は思うから、それは本当に相手がほしい言葉じゃない。

なぜ、寂しくないよ。と言いたくなるのか。
寂しい、というマイナスの思いを持ってはいけない、という無意識の思考がそこにあるからではないでしょうか?

なぜ、マイナスの思いは持っていけないと思ってしまったのか?
寂しさを認めたら、悲しくて自分が可哀想で生きていけない、と思った過去があるのかも?
自分の感じた、嫌だ、辛い、悲しい、愛してくれない、自分をわかってくれない、という感情をなしにしないと、子供の私は家族の中で存在できなかったから?

相手への思いやりとは、相手の気持ちを推しはかり、相手の欲しいものをあげること。
思いやりの勘違いは往々にある。

本当は。。。
自分への思いやりをかけてあげていないから。
自分を一番に愛してあげていないから?

どうやってするの?

それは、自分の心に押し込んだ、本当の寂しい気持ちに気づいてあげること。
思いっきり感じてあげること。寂しさを叫んで、泣いて、気持ちを表面に出してあげること。

そうして、自分のマイナスの感情を思いっきり表出させてあげることを繰り返すこと。

これが、自分の気持ちに本当に正直になる、ということ。

人に、思いやり、愛を与えようとするのではなく、自分に関心を持ってマイナスの気持ちを表出させてあげることで、自然に相手への愛も表出できるようになる。

だって、元々私は愛をたくさん持っているんだもん♫

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