妹背山 衣通姫(ソトオリヒメ)の真実を探る取材

妹背山の三断橋を渡ってみた。
和歌山にいたとき、そういえば、素通りしていた。
今回が初めて踏み込むエリアだ。

明治36年10月
皇太子が7日に和歌山に来た。
9日巡艦が淡路由良港から到着した。
聖武天皇が神亀?元年、1年ね、冬10月玉津島のお宮って記録されている。神社って書いてない。お宮って!
聖武天皇は、登山して眺望を楽しんだって。
山部赤人の万葉か何かを披露した人がいたみたい。
大政維新百事復古、って記録されてるけど、何のこと?w
妖怪百獣みたいな感じかなって、思った。

おさえて置こうと思うのは、
皇太子や聖武天皇が来るほど、和歌山の和歌浦って、
相当な価値あるところだったんだ。
近畿のおまけとか、芸能人や有名人なんて出ないよ、和歌浦w
隠された王家が集う、世界でも有名なエリアの一つだったんだ。

今調査してたので、
シンクロニシティーだと思うが、
淡路に由良という地名がある。淡路UFO神社があるのだが、
その住所が由良だったことを発見した。
和歌山にも由良という地名が、王家が出る日高郡にある。

これと、
わたしの叔母で真美子という、母の4姉妹の長女の娘、
わたしの年の離れた「いとこ」が淡路島に住んでいると、
中三のときに、一度きり出会ったときに、聞いた。
わたしたちの「西川」家は、日高川沿いの「川上村」
名前が代わって「美山村」あるいは、祖母の「龍神村」の遺伝子を
受け継いでいる。

次に、
地図で、淡路島の由良と和歌山の由良が地形的に
ぴったり合うことを見つけた。

淡路島は、和歌山日高郡由良にくっついていた、
本州地続きの島だったことが判明した。

淡路島洲本市由良=和歌山県日高郡由良


洲本じゃなくて、川本、あるいは、川木とかだったんじゃないか?
と読み取る。

薄暗いんだよね。妹背山。


わたしの中学の母校と旭橋が見える。
こんな風光明媚で田舎な町で、残酷な生贄拷問儀式が行われて、
なおかつ、聖武天皇や皇太子が当時も儀式に参加していたのだろうと
考えると「衣通姫」や「浅見香織」その他の生贄犠牲者が哀れに感じた。
前世のわたし、だけれどね。

老朽化が進んで旭橋を自転車で通るときも、怖かった。
修繕とか何も考えていないのだろう。
いつ折れてもおかしくない上、多くなりすぎた車やトラックが、
橋の上で渋滞していた。

無人だった。
荒れっぷりを見ると、近年だれも足を入れていないのだろうと感じた。



この井戸の下に何があるか、開けて確認する勇気は、
わたしには、なかった。
蔦が巻いている。IV(死)の呪詛がかかっているということだ。


なんだか、復元するというより、
工事していたが、余計、
殺人事件現場を隠すようにしているように感じた。


お堂。八角じゃないからユダヤ教じゃないし、仏教かな。
あれ?
三つ巴のような印が瓦の鬼門についている。
16個の点
16枚の菊の天皇の印の簡略化したようなもの。
埼玉の氷川神社の文様と同じだ。

氷川神社と天皇家が、和歌山の本物の王家の子ども、若者を、
昔から今もなお、拷問殺害してまで、
自分たちだけは、夢の世界を味わおうと、
バイオ人工知能や電磁波兵器など科学兵器を使って襲撃を繰り返していたんだ。




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